バスを降りると、そこは古き良きといった感じの田園地域だった。近くには山の緑も広がっていて、どことなく目に優しい感じがする。
「それで先輩、坂野先生の会社はどこにあるんですか?」
「ここから東へ歩いて十分くらいのところよ。さあ、張り切っていきましょう」
奈津美先輩が先頭を切って歩き始める。バスの中で言いたいだけ文句を言って、ストレスをすべて発散したのだろう。その表情は、燦々と降り注ぐ太陽の光に負けないくらい晴れやかだ。
さっきの罰として荷物持ちを仰せつかった僕も、奈津美先輩のリュックと自分のショルダーバッグを持って、後に続く。
「先輩は、坂野先生の会社へよく行ったりするんですか?」
「いいえ、私も数回しか行ったことないわ。お正月の挨拶なんかは、坂野先生のご自宅の方へ伺っていたし」
田んぼの畦道を歩きながら話を振ってみると、奈津美先輩は鼻歌まじりに答えた。
「職人にとって、仕事場は神聖かつ不可侵の領域なのよ。大切な場所だからこそ、他人の仕事場に理由もなくお邪魔することはできないわ」
普段とはどこか違う、大人びた声音が僕の耳を打つ。ふと前を歩く奈津美先輩に注意を向ければ、半分振り返ったその顔は、穏やかで優しい笑顔だった。
これはきっと、学校では見せない奈津美先輩の職人としての顔なのだろう。いつもは僕より何倍も子供っぽいくせに、今だけは僕よりずっと大人で、遠い存在に感じる。
「だから、この道を歩くのもずいぶん久しぶり。何だか遠くのおじいちゃんの家に帰省する気分だわ」
と思ったのも束の間。奈津美先輩が、いつもの笑顔で手を広げながらクルリと一回転する。
ああ、そんなことしたら……。
「あいたっ!」
あ、やっぱりこけた。
期待を裏切らないな、この人。
「先輩、運動苦手なんだから、無茶しないでくださいよ。ほら、つかまってください」
「うぅ、ありがとう……」
しりもちをついた奈津美先輩に手を貸し、立ち上がらせる。
とりあえず、こけた拍子に田んぼにまで転がり落ちないでよかった。さすがに泥だらけの人を連れて、〝職人の大切な場所〟に行くわけにもいかないし。
「足首、グキッてなっていましたけど、捻ったりしていませんか?」
「うん、大丈夫みたい」
奈津美先輩は足首を軽く回した後、指で丸を作った。
どうやら怪我をしなかったみたいで、僕は胸をなでおろした。だってここで奈津美先輩に怪我されたら、最悪僕がおぶって移動だし……。
「もうあんまり無茶なまねをしないでくださいね」
「うふふ。悠里君、心配してくれるんだ」
「当たり前です。先輩は、ただでさえ危なっかしいんですから。これ以上、僕の心労が増えるようなことをしないでください」
なぜかうれしそうに笑う奈津美先輩を、ピシャリと叱り付ける。
まったくこの人は、何がおもしろいんだか……。
「怪我をしていないなら、さっさと行きますよ。本当に遅刻しちゃいます」
「はーい。張り切っていきましょう!」
上機嫌な奈津美先輩の横で、僕はやれやれとため息まじりに歩みを進めるのだった。
「それで先輩、坂野先生の会社はどこにあるんですか?」
「ここから東へ歩いて十分くらいのところよ。さあ、張り切っていきましょう」
奈津美先輩が先頭を切って歩き始める。バスの中で言いたいだけ文句を言って、ストレスをすべて発散したのだろう。その表情は、燦々と降り注ぐ太陽の光に負けないくらい晴れやかだ。
さっきの罰として荷物持ちを仰せつかった僕も、奈津美先輩のリュックと自分のショルダーバッグを持って、後に続く。
「先輩は、坂野先生の会社へよく行ったりするんですか?」
「いいえ、私も数回しか行ったことないわ。お正月の挨拶なんかは、坂野先生のご自宅の方へ伺っていたし」
田んぼの畦道を歩きながら話を振ってみると、奈津美先輩は鼻歌まじりに答えた。
「職人にとって、仕事場は神聖かつ不可侵の領域なのよ。大切な場所だからこそ、他人の仕事場に理由もなくお邪魔することはできないわ」
普段とはどこか違う、大人びた声音が僕の耳を打つ。ふと前を歩く奈津美先輩に注意を向ければ、半分振り返ったその顔は、穏やかで優しい笑顔だった。
これはきっと、学校では見せない奈津美先輩の職人としての顔なのだろう。いつもは僕より何倍も子供っぽいくせに、今だけは僕よりずっと大人で、遠い存在に感じる。
「だから、この道を歩くのもずいぶん久しぶり。何だか遠くのおじいちゃんの家に帰省する気分だわ」
と思ったのも束の間。奈津美先輩が、いつもの笑顔で手を広げながらクルリと一回転する。
ああ、そんなことしたら……。
「あいたっ!」
あ、やっぱりこけた。
期待を裏切らないな、この人。
「先輩、運動苦手なんだから、無茶しないでくださいよ。ほら、つかまってください」
「うぅ、ありがとう……」
しりもちをついた奈津美先輩に手を貸し、立ち上がらせる。
とりあえず、こけた拍子に田んぼにまで転がり落ちないでよかった。さすがに泥だらけの人を連れて、〝職人の大切な場所〟に行くわけにもいかないし。
「足首、グキッてなっていましたけど、捻ったりしていませんか?」
「うん、大丈夫みたい」
奈津美先輩は足首を軽く回した後、指で丸を作った。
どうやら怪我をしなかったみたいで、僕は胸をなでおろした。だってここで奈津美先輩に怪我されたら、最悪僕がおぶって移動だし……。
「もうあんまり無茶なまねをしないでくださいね」
「うふふ。悠里君、心配してくれるんだ」
「当たり前です。先輩は、ただでさえ危なっかしいんですから。これ以上、僕の心労が増えるようなことをしないでください」
なぜかうれしそうに笑う奈津美先輩を、ピシャリと叱り付ける。
まったくこの人は、何がおもしろいんだか……。
「怪我をしていないなら、さっさと行きますよ。本当に遅刻しちゃいます」
「はーい。張り切っていきましょう!」
上機嫌な奈津美先輩の横で、僕はやれやれとため息まじりに歩みを進めるのだった。