一瞬の沈黙。その後、恭矢の声が夜空に響いた。
「……えええええ!? 嘘だろ!? じゃあ一体、最後に小泉は美緒子さんからなんの記憶を奪ったんだよ!?」
「あはは、騙してごめんね? でも相沢くんだって、わたしと青葉の記憶を勝手に譲渡したんだから、お互い様だよね?」
「……えー……そうなのか?」
「そういうことにしておいて。あのね、わたしが母から奪ったのは……相沢くんに関する記憶なの。強奪直後にわたしが動けなかったのは、母の仕事に関する記憶に怯えたからじゃない。あなたが、一人で母の元へ乗り込んだときの記憶を見て……胸が苦しくなってしまったから。わたしと青葉のためにあんな危なくて辛いことをやってくれて、本当にありがとう」
由宇は再び頭を下げた。
「……俺の記憶を? 一体どうして?」
「……もう、わたしたちに関わってほしくないから」
思いつめた表情で決心したように重々しく口にする由宇に対して、恭矢は思いっきり盛大に、わかりやすい溜息を吐いてみせた。
「……あのさー。俺、自分を我儘って言ったこと撤回するわ。だってさ、小泉の方がものすんごい我儘! 俺なんか足元にも及ばないくらい!」
「そ、そうかな?」
「うん。だって『わたしといない方がいい』なんて言っておいてさー、俺が美緒子さんに会いに行こうとしたら『わたしも行く』って言ってきかなかったよな? それで今は何? 『相沢くんに甘えるのっていいね』とか言ったくせに、『もう関わってほしくない』って、ジコチューでワガママなアマノジャク以外の何物でもないじゃん」
由宇は反論を試みたようだったが、余地はないと判断したのか顔を赤くして閉口した。そんな表情も可愛いとは思うが、今は態度で怒りを示すべきだと恭矢は強気な態度で臨んだ。
「だからさ、俺も我儘言っていいよな?」
「う……聞ける範囲なら? 言ってみて」
恭矢は由宇から目を逸らさずに、優しく、子どもに言い聞かせるような声色で告げた。
「俺、小泉のそばにいるよ。これからもずっと」
小泉由宇に関する記憶の大部分の失った今でも、恭矢は今、目の前にいる女の子とずっと一緒にいたいと思っている。
この気持ちこそが本物で、真実だ。
冷たい風が、彼女の長い髪の毛を揺らしている。恭矢は黙って由宇の返事を待った。
「……相沢くん。わたしとの思い出は、ほとんど忘れているんでしょ? ……どうしてそんなことが言えるの?」
「それは俺が決めることじゃないよ。好きになったひとが、そうさせるんだ」
「……不思議。今回の相沢くんはたくさん記憶をなくしても、あんまり人格が変わってないね。……前にも同じことを言っていたわ」
「どれだけ他人の記憶を奪っても、変わらない優しさを持つ女の子に影響されたんじゃないかな。そんな魅力的な子に惹かれない男の方が、おかしいって話だ」
由宇の表情は嫌がっているようには見えなかった。頬を染め、潤ませた瞳に色よい返事を期待する。
「ありがとう。……嬉しいけど、やっぱり相沢くんと学校以外で会うのは、これで最後にする。……今の言葉、多分一生忘れない」
しかし由宇は、恭矢の告白を拒否した。そして恭矢が抵抗の言葉を口にするより先に、距離を詰めた彼女は恭矢の膝に手を置いて、唇を重ねてきた。
この柔らかい感触はたぶん、初めてではない。
だがこのキスは以前とは違い、記憶を奪うことを目的としていないことは、確かだった。
「――さよなら、相沢くん」
彼女がそう告げたと同時にタイミングよくやって来たバスに、逃げるように乗り込んだ由宇を恭矢は追わなかった。
恭矢は彼女の唇の感触も、表情も、何もかもを脳裏に焼き付けた。
そしてこの先何があっても、この記憶は誰にも渡さないと誓った。
「……えええええ!? 嘘だろ!? じゃあ一体、最後に小泉は美緒子さんからなんの記憶を奪ったんだよ!?」
「あはは、騙してごめんね? でも相沢くんだって、わたしと青葉の記憶を勝手に譲渡したんだから、お互い様だよね?」
「……えー……そうなのか?」
「そういうことにしておいて。あのね、わたしが母から奪ったのは……相沢くんに関する記憶なの。強奪直後にわたしが動けなかったのは、母の仕事に関する記憶に怯えたからじゃない。あなたが、一人で母の元へ乗り込んだときの記憶を見て……胸が苦しくなってしまったから。わたしと青葉のためにあんな危なくて辛いことをやってくれて、本当にありがとう」
由宇は再び頭を下げた。
「……俺の記憶を? 一体どうして?」
「……もう、わたしたちに関わってほしくないから」
思いつめた表情で決心したように重々しく口にする由宇に対して、恭矢は思いっきり盛大に、わかりやすい溜息を吐いてみせた。
「……あのさー。俺、自分を我儘って言ったこと撤回するわ。だってさ、小泉の方がものすんごい我儘! 俺なんか足元にも及ばないくらい!」
「そ、そうかな?」
「うん。だって『わたしといない方がいい』なんて言っておいてさー、俺が美緒子さんに会いに行こうとしたら『わたしも行く』って言ってきかなかったよな? それで今は何? 『相沢くんに甘えるのっていいね』とか言ったくせに、『もう関わってほしくない』って、ジコチューでワガママなアマノジャク以外の何物でもないじゃん」
由宇は反論を試みたようだったが、余地はないと判断したのか顔を赤くして閉口した。そんな表情も可愛いとは思うが、今は態度で怒りを示すべきだと恭矢は強気な態度で臨んだ。
「だからさ、俺も我儘言っていいよな?」
「う……聞ける範囲なら? 言ってみて」
恭矢は由宇から目を逸らさずに、優しく、子どもに言い聞かせるような声色で告げた。
「俺、小泉のそばにいるよ。これからもずっと」
小泉由宇に関する記憶の大部分の失った今でも、恭矢は今、目の前にいる女の子とずっと一緒にいたいと思っている。
この気持ちこそが本物で、真実だ。
冷たい風が、彼女の長い髪の毛を揺らしている。恭矢は黙って由宇の返事を待った。
「……相沢くん。わたしとの思い出は、ほとんど忘れているんでしょ? ……どうしてそんなことが言えるの?」
「それは俺が決めることじゃないよ。好きになったひとが、そうさせるんだ」
「……不思議。今回の相沢くんはたくさん記憶をなくしても、あんまり人格が変わってないね。……前にも同じことを言っていたわ」
「どれだけ他人の記憶を奪っても、変わらない優しさを持つ女の子に影響されたんじゃないかな。そんな魅力的な子に惹かれない男の方が、おかしいって話だ」
由宇の表情は嫌がっているようには見えなかった。頬を染め、潤ませた瞳に色よい返事を期待する。
「ありがとう。……嬉しいけど、やっぱり相沢くんと学校以外で会うのは、これで最後にする。……今の言葉、多分一生忘れない」
しかし由宇は、恭矢の告白を拒否した。そして恭矢が抵抗の言葉を口にするより先に、距離を詰めた彼女は恭矢の膝に手を置いて、唇を重ねてきた。
この柔らかい感触はたぶん、初めてではない。
だがこのキスは以前とは違い、記憶を奪うことを目的としていないことは、確かだった。
「――さよなら、相沢くん」
彼女がそう告げたと同時にタイミングよくやって来たバスに、逃げるように乗り込んだ由宇を恭矢は追わなかった。
恭矢は彼女の唇の感触も、表情も、何もかもを脳裏に焼き付けた。
そしてこの先何があっても、この記憶は誰にも渡さないと誓った。