青葉と由宇の母親である舘美緒子(たちみおこ)が社長を務める会社〈レミリア〉は、この地域の中心部にある八階建てのビルだった。表向きは対企業へのコンサルタント業を営む中小企業として経営している会社が、実は人間の記憶を自在に操ることで収入を得ているトンデモ企業だなんて、普通なら夢にも思うまい。

 自転車から降りた恭矢はビルを見上げ、正体を隠すことと頭を守ることを目的として家から拝借してきた、修矢のバイクのヘルメットを被った。そして軽くストレッチをして、勢いよく〈レミリア〉に向かって駆け出した。

 だが、出陣した恭矢はすぐに後悔することになった。ヘルメットを被った恭矢を見て、警備員がぎょっとした顔で捕まえようとしてきたからだ。当然だ。

 もっと上手いやり方があっただろうに、どうしてわざわざ警戒させる格好で正面突破しようとしたのかと自分に呆れる。頭に血が昇っていてまったく冷静でなかったことを思い知ったが、遅すぎた。こうなったらもう、突っ走るしかない。

 制止するよう警告された声を無視して、ビル内を走り曲がり角に姿を隠した。そして追いかけてきた警備員が角を曲がった瞬間、彼に頭突きをかました。

 ヘルメットを被ったまま力いっぱい放った一撃は、警備員をしばらく戦闘不能にさせた。倒れた警備員をこっそりとトイレに運び込み、彼の胸ポケットに入っていたIDカードを抜き取った。

 人目を盗んで事務室に潜り込んだ恭矢は、社内全部のブレーカーを落とした。すぐに予備電源に切り替わったが、暗闇を生んだそのわずかな時間は、十分な効果を発揮する。

「どうした、何があった?」

 すぐに誰かが事務室に入って来た。そうだ、混乱しろ。たった五分でいい。少しだけ社内を慌ただしくさせることができれば、社長室に行くことが容易になる。

 身を隠しながら非常階段を昇って社長室を目指したが、目的地が近づくにつれ、恭矢は上手く行きすぎている現実に不安を覚えはじめた。

 ちっとも冷静ではない頭で考えたこの計画。進入時点から早速後悔で始まったくせに、社内に入ってからは不自然なほどに警備が甘く、スムーズに事が進んでいる。警備員をトイレに運んでいるときも、階段を昇ったときもそうだったが、いくら人目を避けていたとはいえ、誰にも会わないのはおかしいだろう。

 裏稼業だからこそ、侵入者に警戒するものではないのか? こんな緩い警備で大丈夫なのか?

 不安を抱えながら社長室の前に到着したとき、やっと馬鹿な恭矢でも気がついた。美緒子は恭矢が来ているのをわかっていて、わざと招き入れているのだと。

 カードリーダーにIDカードを通すと、電子音の後、ランプが緑色に変わった。恭矢はヘルメットを脱ぎ捨て、重圧感のある扉を開いた。

 足を踏み入れ、室内を見渡してみる。想像していたよりは狭い部屋だと思った。白い壁で囲まれた室内の社長机の背後には、大きな窓があって開放感がある。床には暖色系の絨毯が敷いてあり、由宇のいる雑貨屋の二階と同様、白いソファーが置いてあった。

「……表向きはコンサルタントの会社だからですか? 想像していたよりずっと、一般的な社長室ですね」

 恭矢は穏やかに、あくまで好青年を気取って声をかけた。

 社長椅子に座る美緒子――由宇と青葉の母親は、年齢を感じさせない若さと人目を惹く美しい容姿が特徴的で、娘は二人とも母親似だと思った。