「……わたし、忘れていたの。小泉由宇の存在も、彼女が持っている能力のことも。……思い出した今はね、忘れていた自分の馬鹿さに……後悔してる」

 ――小泉? どうしてこのタイミングで、その名前が出てくるんだ?

「……何が言いたいのか、よくわからん」

 青葉はゆっくりと腕を振りほどいて、恭矢を見つめた。その大きな瞳からは、まだ静かに大粒の涙が流れていた。

「……ごめんね」

 青葉は涙を拭い、無理な笑顔を作ってから、恭矢の頬を両手で掴んだ。そして恭矢の唇に、本当に少しだけ触れるだけのキスをした。

 その瞬間、恭矢の脳味噌は熱くなった。

 頭の天辺から足のつま先まで痺れ出す感覚に意識を取られていると、無抵抗だった恭矢の脳味噌は無理やりこじ開けられ、封印されていた記憶が次々と駆け巡っていった。

 小泉由宇に飴をあげて、なんとか話そうと努力していた放課後。

 情緒不安定な女性、支倉を自転車に乗せて、初めて由宇の仕事を知ったあの日。

 八畳間で何度も見た彼女の涙。

 西野の恋愛を請け負って、恋なんてできる気がしないと言い切った彼女の表情。

 レギュラー争いに負けて心が折れていた瑛二と話し合った夜。

 それから――彼女の喜ぶ顔が見たくて、恭矢自身の思い出を差し出していたこと。

 ……それが原因で、彼女から距離を置かれてしまったこと。

 どうして忘れていられたのだろう。由宇が人一倍優しく、それゆえ傷つきやすいということをすぐ近くで見てきたというのに、どうしてまた一人にしてしまったのだろう。

 青葉が指でそっと頬を伝う水滴を拭ってくれたことで、恭矢は自分が涙を零していることに気がついた。

「……青葉、俺に何をしたんだ?」

「小泉由宇が〈記憶の墓場〉と呼ばれ、ひとの記憶を奪うことができるなら、わたしは逆だった。わたしは……ひとの忘れた記憶を思い出させることができるの」

 恭矢の脳味噌は確かに、忘れていた由宇との記憶を思い出している。青葉が嘘をついていないことは身をもってわかった。

「わたしは、自分の能力の存在を忘れていた。正確に言えば、忘れ“させられていた”の」

「どういうこと……?」

 青葉は答えなかったが、恭矢はすぐに答えに行き着いた。恭矢が知っている中で、そんなことができるのは、一人しかいない。

「……小泉が……?」

 青葉は小さく頷いた。

「わたしがこんな力を持っているなんて、知らない方が幸せに暮らせると考えた小泉由宇は……わたしに接近して、わたしの能力と、それと……を奪った」

「え、ごめん。最後の方聞こえなかった」

 青葉が思い出したという記憶の中には、おかしな点がある。そのことに関係があるのだろうかと考えていると、青葉に手を握られた。

「……帰ろ?」

「ちょ、ちょっと待って! 気になるだろ! 最後まで話してくれよ!」

「……ここから先は、わたし一人じゃ話せないんだ。だから……」

 青葉の言いたいことがわかった恭矢は、黙って青葉に手を引かれて歩き出した。

 行き先は、由宇のいる雑貨屋だ。恭矢は思い出した由宇への気持ちと、青葉を守りたいという気持ちの間で揺れながらも、何があっても三人で前に進みたいと思った。