恭矢は小泉由宇を友人の範囲内で、可能な限り幸せにしたいと思った。具体的には、ひとの悲しい記憶ばかりを請け負って涙を流すことの多い彼女に、楽しい気持ちになってほしいという考えだ。

 いつものようにバイト帰りに雑貨屋に寄ると、仕事を終えていた彼女は目を赤くしてソファーでコーヒーを飲んでいた。

「相沢くんも、飲む?」

「いや、大丈夫。それより今日は、小泉に受け取ってほしいものがあってさ……はい、これ」

 由宇の笑顔が見られることを期待して、恭矢が鞄から取り出したのは映画の半券だった。以前に友達と一緒に観に行った際、記念にとっておいたものだ。

「この映画、すっげー面白かったんだ。だからさ小泉、俺の記憶から楽しい思い出を持っていってよ」

 半券を不思議そうに眺めていた由宇は趣旨を理解したのか、途端に困惑した表情になった。

「で、でも……これじゃ……」

「ただで映画見た気分で罪悪感があって嫌? じゃあこのTシャツはどう? シチローのサイン入りの激レアものなんだぜ!」

「……気持ちは嬉しいけれど、相沢くんが持っている楽しかったり嬉しかったりした記憶をわたしが貰ってしまったら、相沢くんの中からその記憶はなくなってしまうのよ? そんなの……」

「だからこそ、小泉に貰ってほしいんだよ。俺、小泉にはもっと楽しい思いや嬉しい思いをしてほしいんだ」

 由宇はしばらく考えこんでいたが、

「……ありがとう。わたし、相沢くんの記憶をいただきたいと思います」

 顔を上げたときには微笑んでくれて、恭矢は早速嬉しくなった。記憶を奪うために優しく半券に口付けた由宇の唇の中心から光が放たれると、恭矢は意識が奪われていく感覚を覚えた。忘れてしまう前に、映画の内容を記憶から掘り起こして脳内で反芻していたのにもかかわらず、目を覚ましたときにはなぜ由宇が映画の半券を手にしているのかさえわかっていなかった。

「あれ? それって映画の半券?」

「……相沢くんから貰った記憶から見た映画は、本当に感動的な物語だったわ。でも、やっぱり忘れちゃうよね。ごめんなさい」

 由宇は困ったように笑った。彼女が半券と一緒に手にしているシチローのサイン入りTシャツを見て、恭矢はやっと彼女に『記憶をあげた』ことを思い出した。

「あー! そっか、俺! うわー、ごめん! 全然気にしてないから! 映画面白かっただろ? 俺の人生ベスト3に入る映画だからさ!」

 由宇に気を遣わせないよう明るく振舞うと、彼女は安心した顔つきになった。

「うん。特にクライマックスにかけてのシーンでは、相沢くんが主人公に感情移入している様子がよく伝わってきたわ」

「そうだろ? 俺もレンタルで借りてもう一度見るわ!」

 もうその映画の内容を全く覚えていなかった恭矢は、由宇の能力の凄さを実感すると同時に、恐ろしさも感じていた。

「よし、じゃあTシャツの方もやっちゃって! 小泉には幸せになってほしいからさ!」

 由宇は恭矢の顔色を窺いながらも、礼を述べてTシャツに優しく口付けた。

 その後、また同じようなやり取りをしたことは言うまでもない。