「知るかそんなの! 悩みたくても悩めない環境にいるやつだっていんだよ! 自分の努力云々で他人に八つ当たりすんな! 甘えんな! 全部やって、これでもかってやり切ってから言えよ!」

 恭矢の気迫に一瞬たじろいだ瑛二が視線を移したのは、媒体として持ってきたであろうバスケットボールだった。表面の凹凸の差が少なく、滑りすぎるそれは瑛二がたくさん練習した証だった。彼の努力が一目でわかる球体に、由宇は白い手でそっと触れた。

「……新谷くんがやってくれと言うならば、わたしはすぐにでもあなたから記憶を奪うことができるわ。でも……どうする?」

 瑛二は由宇が手にしたバスケットボールを見つめ、体を震わせて顔を伏せた。

 それからどれくらいの時間が経っただろうか。恭矢も由宇も無言で、依頼者の答えを待っていた。

 やがて、ゆっくりと大きな深呼吸をした彼は、小さな声で告げた。

「……………………帰るよ。そいつを返してくれ」

 その返答に由宇は柔らかに微笑み、瑛二にボールを手渡した。瑛二はその感触を確かめながら、恭矢に向き直った。

「……お前の説得、ひどかったな。『知るかそんなの』って、どうなのよ? 友人を改心させる気があるとは思えねえぞ」

「しょうがないだろ。俺は部活やってないから、瑛二の気持ちはわかんねえもん」

「そうだったな。……お前は家庭の事情があってやりたくてもやれないんだよな。俺ばっかり被害者ぶって、悪かったよ」

 瑛二はふっと笑みを零した。その顔を見た恭矢は、一瞬とはいえ瑛二に自分勝手に嫉妬してしまったことに胸が痛んだ。

「……恭矢、俺、もう少し頑張ってみるわ。自分で選んだ道だし、苦労があるからこそ頑張れることもあると思うし」

 瑛二の中で怒りや悔しさが昇華され、『次』のことを考える余裕が出てきたのだろうか。彼は随分と吹っ切れた顔つきになっていた。

「よかった。瑛二がそれでも記憶を消したいって言うつもりなら、ぶん殴るしかなかったからな」

「ふざけたこと言ってんじゃねえよ。まあ、……その気持ちだけは受け取っておくよ。いろいろとありがとうな」

 瑛二はボールと鞄を持って立ち上がった。

「じゃあ俺、帰るわ」

「……あの、新谷くん。わたしがこの仕事していること……」

「わかってる。誰にも言わないって」

 由宇の心配を吹き飛ばすような快活な瑛二らしい笑顔を浮かべて、彼は部屋を出て行った。