近衛左大臣。

 名は信尹(のぶただ)といい、信の字は元服の折に織田信長からもらっている。

 信長は嫡男の信忠が少し頼りないと見えたのか、いささか公卿の子弟にしては剛毅な信尹を可愛がり、愛蔵していた則宗(のりむね)の脇差さえ信尹に下げ渡し、

守刀(まもりがたな)とせよ」

 と言葉まで授けたことがある。

 ただ。

 この信尹と秀吉には、因縁がある。

 信尹にすれば秀吉は、

「本来ならば麿がなるべきやった関白の位を、横から掠め取った、百姓上がりの盗人」

 と罵ったほど、信尹から嫌われている。

 しかし。

 秀吉には秀吉なりの道理があって、信尹の父の前久(さきひさ)の猶子となって、前久から受け継ぐ形式で関白に就いていた。

 これは前久と信尹が不仲であったところに起因するのだが、何しろ相手が悪すぎる。