君と見る空は、いつだって青くて美しい




 真宙くんと一緒に学校を休んだ翌日の土曜日。


 今日は、四週間に一度の通院の日。

 通院と言っても身体のことでではない。
 傍からはわかりにくい心の中のことで。

 私は中学一年生の頃から心療内科に通院している。


 中学一年生の頃、私は精神的に限界だった。

 そのとき私は、お母さんと一緒に心療内科に行った。

 そうして診察してもらった。
 そうしたら、だいぶ気持ちが楽になった気がした。

 そして自分が抱えている悩みや苦しみと少しだけ向き合える気がした。



 診察結果。
『うつ病』

 うつ病も心療内科に通い続け、治療を受けているうちに。
 少しずつではあるけれど回復の方向へ向かっている。

 でも完治しているわけではないので、これからも慎重に治療をしていこうと思う。





 今日の診察は終わった。

 受付で薬をもらって会計を済ませた。



 その帰り。

 雨じゃなければ必ず寄るところがある。

 昨日、真宙くんと一緒に行った、あの公園。

 あの公園は時々一人で行っている。
 ベンチに座って、お気に入りの音楽を聴く。



 今、公園に着いてベンチに座ったところ。


 いつものようにイヤホンをして、あの曲を聴く。

 その曲は、私の大好きな曲。

 その曲を聴くと、元気が出てくる。



 ただ、この曲を歌っている歌手。

 その歌手の顔を私は知らない。

 私は、じゃない。

 みんな、その歌手の顔を知らない。

 その歌手は表には出てこない顔出しNGの歌手。

 だから、みんなその歌手の顔を知らない。


 だけど、その歌手とその歌手が歌っている曲は、とても人気。

 今までに出した曲は必ずトップ3にランクインしている。

 それもそのはず。

 その歌手の歌声は、とても透き通ったように美しい。

 そして抜群の歌唱力。

 それだけ揃っていれば十分なのだけど。

 この歌手は、それだけではない。

 それ以外にも人の心を惹きつける魅力をもっている。


 現に私も、この歌手の魅力に惹きつけられている一人だから。




 お気に入りの場所。
 そこで、お気に入りの曲を聴いている。

 それは私にとって癒しの時間。
 そして心が和らぐ時間。

 そんな気持ちに浸りながら上を見た。
 今日も美しい緑の葉たちが風に乗ってやさしく揺れている。

 そんな緑の葉たちを見ながら、お気に入りの歌手が歌っているお気に入りの曲を聴いている。

 それは、とても美しい時間。
 そんな時間を私は大切にしたい。


 ……って。

 ん……?

 誰かが私の方に来る。
 そんな気配がした。

 気になった私は気配がする方に顔を向けた。


「あ……っ‼」


 驚きのあまり、それ以上、声が出なかった。


「希空ちゃん」


 そこには真宙くんがいたから。


「嬉しいな、昨日に続いて今日も希空ちゃんに会えるなんて」


 真宙くんは満面の笑みを浮かべてそう言った。


「……真宙くん、どうしてここに……?」


 驚きの気持ちが治まらないまま、真宙くんにそう訊いた。


「散歩だよ」


「散歩……?」


「うん、散歩。
 俺、時々この公園に散歩しに来るんだ。
 運動不足解消も兼ねて」


 真宙くんも時々この公園に来てるんだ……。


「そうなんだ。
 私も時々この公園に来るんだ」


「えっ、そうなのっ?
 すごい偶然っ。
 なんか、すごく嬉しいっ」


 真宙くんは純粋な子供のような笑顔でそう言った。

 そんな真宙くんを見ていると。
 少しだけ照れくさくなった。





「そういえば、希空ちゃん、何を聴いてるの?」


 私が手にしているイヤホンを見た真宙くんはそう訊いた。

 真宙くんに声をかけられたとき、すぐにイヤホンを外していた。

 真宙くんと話している間、イヤホンはずっと手に持ったままだった。


「俺にもちょっと聴かせて」


 真宙くんは私の隣に座った。
 そして私が手にしているイヤホンを一つ手に取り、そのまま耳につけた。


「この歌、誰が歌ってるの?」


 真宙くんの質問。
 それを聞いて驚いてしまった。

 私たちの世代で知らない人がいるなんて思わなかったから。


 この歌手は。
 若い世代、特に中高生にとても人気。

 なので真宙くんが知らないなんて意外だと思った。


「曲名は?」


 続いて真宙くんはそう訊いた。


 真宙くんの質問に順番に答えていく。


「名前は『blue sky』。曲名は『青の世界』」


 私は『blue sky』の曲の中でも。
『青の世界』という曲が一番好き。

 他にもヒット曲を出しているけれど。
『青の世界』は『blue sky』の曲の中でも特にヒットしている曲。

『青の世界』を聴くと元気が出てくるとか励みになるとか、ものすごく評判が良い。

『blue sky』の曲が評判が良いと私も嬉しくなる。

『blue sky』の家族や親戚ではないけれど。
 好きな歌手の評判が良いと、とても嬉しい気持ちになる。


「ふ~ん、そうなんだ」


 嬉しい気持ちに浸っていると。

 真宙くんは淡白な反応でそう言った。





 真宙くんのあまりにも淡白な反応に少し驚いてしまった。

 真宙くんは本当に『blue sky』の存在を知らないのだと思った。


「なんか、ちょっとびっくり」


「え? びっくり?」


「うん、だってね、『blue sky』って私たちの世代にとても人気なの。
 だから真宙くんが『blue sky』のことを知らなくて、
 ちょっとびっくりしちゃって」


「そんなんだ」


 興味なさそうな真宙くん。


 そんな真宙くんのことを見て思った。

 真宙くんはいないのかな。
 お気に入りの歌手や俳優。


「真宙くんはいる? お気に入りの芸能人とか誰か」


 そう思っていたら。

 無意識のうちに訊いていた。


 ……珍しい。

 私が積極的に他人(ひと)に質問をするなんて。

 そんな自分に驚いていた。

 無意識のうちにとはいえ。
 いつもの私なら、なかなか言葉にすることができない。

 それなのに今日の私は、すんなりと言葉にすることができている。

 それは、私にとって大きな進歩。


 ……進歩……?

 これは進歩なのだろうか……?

 本当に誰にでもできるようになったのか……?


 ……ううん。

 できない。

 このようにできているのは……たぶん……。



「特にいない、かな」


『う~ん』と少しだけ考えた後。
 真宙くんはそう返答した。


「そうなんだ」


『blue sky』だけではなく、他の芸能人にも興味がないみたい。


「希空ちゃんは好きなの? 『blue sky』のこと」


 次は真宙くんがそう訊いた。


「うん」


 私は『blue sky』のファン。

 これからも『blue sky』のことを応援していきたい。


「そうなんだ」


 穏やかな笑顔の真宙くん。



 それから、しばらく私と真宙くんは一緒にその曲を聴いていた。




『blue sky』の曲を聴きながら、私と真宙くんはのんびりとくつろいでいた。


「希空ちゃん」


 そのとき。
 真宙くんが私の名前を呼んだ。


「今度、一緒にどこかに出かけない?」


 一緒に……。
 真宙くんと……。


 私は女の子の友達も少ない。
 だから一緒に出かけることも少ない。

 それなのに。
 男の子と一緒に出かける。
 しかも二人きりで。

 それは。
 かなりの勇気がいる。


 だけど。
 なぜだろう。

 真宙くんとなら。
 二人で出かけることができそうな気がする。

 だから。


「うん」


 そう返事をした。


「ありがとう、希空ちゃん」


 真宙くんはとても嬉しそうな笑顔でそう言った。



 不思議。

 人付き合いが苦手なのに。

 昨日、話したばかりの真宙くんに『出かけない?』と言われて『うん』と返事をしている私がいる。

 真宙くんとならと思っているとはいえ。

 そんな積極的な自分に驚いていた。


 だけど。
 接している時間が全てではないのだと思った。

 それよりも大切な何かが、きっとある。
 そう思えた。

 そう思える何かが真宙くんにはある。

 真宙くんには何か不思議な魅力がある。
 そう思った。





 真宙くんと友達になってから約一ヶ月が経った。


 今は昼の休憩。

 教室で桜ちゃんと一緒に弁当を食べている。



 ……って……。

 ……?


 気のせい……だろうか。

 教室の戸から。
 チラッと。
 見られているような……。



「どうしたの? 希空ちゃん」


 視線が気になっている。
 そう思っているから。
 態度に出ているのかもしれない。

 桜ちゃんが不思議そうに私の顔を見ている。


「……気のせいだと思うんだけど……
 教室の戸のところから見られている気がして」


 正直に感じたことを桜ちゃんに話した。


「……確かに……
 こっちの方を見ている気がする」


 桜ちゃんも気になって教室の戸の方をチラッと確認し、そう言った。


「やっぱり、気のせいじゃないんだよね」


 気のせいではない。

 だとしたら、どうして私たちの方を見ているのだろう。


「……もしかして……」


 そう思っていると。
 桜ちゃんが口を開いた。


 もしかして……?

 桜ちゃん、何か心当たりが……?


「……違うかもしれないけど……」


 桜ちゃんはとても話しづらそうにしている。


 桜ちゃんの様子を見ていると、よほどの内容なのかと思い、緊張が走る。


「……噂のことで……かもしれない」


 噂……?




「……希空ちゃんのことで……」


 私のこと……?


「希空ちゃんが……青野くんと……付き合っているんじゃないか……って……」


 えっ⁉

 私が真宙くんと……⁉


「希空ちゃん、ここ一ヶ月くらい、青野くんと一緒に登校しているでしょ」


「……うん……」


 真宙くんと一緒に登校している。

 わざわざ待ち合わせているわけではないけれど。
 登校時間が同じで。


 真宙くんは話していた。
 真宙くんは高校一年生になる春休みに家族で引っ越してきた。

 真宙くんの家と私が住んでいる家は、わりと近い距離にある。

 だから最寄り駅も同じ。
 同じ時間に顔を合わせれば自然に一緒に登校する。

 そのことに関して特に深い意味なんて全くない。



 それなのに……。

 私と真宙くんが……付き合っている……という噂が流れているなんて……。 


 まさか、そんなことに……。

 驚き過ぎて。
 何て言えばいいのか。

 見つからない。
 言葉が。



 桜ちゃんが言うには。

 私と真宙くんのことは。
 クラス中どころか、学年中に広まっているとのこと。

 真宙くんの存在は、同じ学年の人なら知らない人はほとんどいない。
 それくらい有名で存在感がある。

 その真宙くんと噂になっている、私。

 噂になり始めた頃。
『青野真宙と付き合っている女子の名前は?』となり。

『その名前は、麻倉希空』と、知れ渡ってしまったらしく……。

 そして『麻倉希空って、どんな子なの?』ということになり……。

『じゃあ、麻倉希空って子のことを見に行こう』
 という感じに……。

 こうして、いつの間にか興味本位で私のことを見に来る生徒たちがいるようになってしまったという。

 そんな感じで。
 私は見せ物状態のようになっている、らしい。



 桜ちゃんから話を聞いて。
『こんなこと、いつまで続くのだろうか』
 そう思うと不安になってくる。

 それだけではない。
 うんざりして疲れが出くる。


 これから、どうすればいいのだろうか。







「麻倉さん」


 ……‼


 そう思っていると。
 同じクラスの山下さんが私のことを呼んだ。


 少し自分の世界に入りかけていたので。
 山下さんに声をかけられ、少しびっくりしてしまった。


「麻倉さんのことを呼んでって言われて……」


 山下さんは教室の戸の方を見た。

 私も山下さんが見ている戸の方を見た。

 そこには見たことのない女子生徒三人が立っていた。



 知らない女子生徒たちが私に何の用だろう。
 そう思うと同時に恐怖が襲いかかる。

 相手は三人。

 ということは……。
 この状況は……危険……?

 何か恐ろしいことがあっても。
 相手は三人で私は一人。


 あ……。
 でも、待って。
 ここは学校。
 そのような場所で恐ろしいことはしてこない……かな……。


 とりあえず、その女子生徒たちのところに行ってみるしかない。
 本当は行きたくないのだけど。


 いろいろな思いや気持ちを抱えながら、山下さんに「教えてくれて、ありがとう」と言って席を立った。

 そして、ゆっくりと歩き出した。

 そのとき極度の緊張と不安と恐怖に襲われていた。

 そんな気持ちになりながら、なんとか女子生徒たちがいるところに着いた。