縁結びの神様に求婚されています ~潮月神社の甘味帖~

「うみゃい。うみゃいですニャ~。もうひとつ!」


 口いっぱいに塩大福を詰めて、ウニャウニャ言う千代丸くんの姿がなんとも愛らしくて、私はくすりと笑う。しかしそんな彼の姿を見た琥珀くんが、顔を引きつらせた。


「こらこら、はしたないよ千代丸。口の周りにたくさん粉がついているよ」

「そう言う琥珀も、塩大福はもう三個目のようだが」


 紫月が少し意地悪く笑って突っ込みを入れると、琥珀くんはばつの悪そうな表情をした。ちなみに紫月も、すでに三つ完食し四つ目に手を伸ばしている。


「いや……その。陽葵さまの塩大福が絶品すぎまして……。つい手が止まらなくなってしまいます……」

「そう? おいしかったんなら、嬉しい! ありがとうね、いつもみんなたくさん食べてくれて」


 三人の豪快な食べっぷりに嬉しくなって私は破顔すると、持っていた塩大福にかじりつく。うん、皮はもちもちした食感になったし、甘い餡が塩気と絶妙にマッチしている。今日も甘味係の仕事を、上手にこなせたと思う。

 今日はとても天気が良く、秋の匂いのする風が清々しい。私たち四人は縁側に座り、庭木が風になびくのを眺めながら、おやつを堪能していたのだった。

 ――私が潮月神社で暮らすようになって、すでに一週間。甘味係の仕事にもだいぶ慣れ、日々のルーティンも定まってきた。

 朝起きて身支度をし、琥珀くんの作る朝食を味わったあと、参拝客のお願いを聞く紫月に付き合う。その後十時のおやつを作り、片づけをした後は昼食。

 午後も、おやつ作りの合間に紫月の仕事ぶりを眺めて過ごし、夕飯のあと入浴。そして紫月や千代丸くん、琥珀くんとまったりと過ごした後、就寝。

 他にも紫月の従者はたくさんいるけれど、みんな私にとてもよくしてくれている。でも、湯あみのお手伝いをしますとか、お着替えをいたしますなどと、自分でできることまでやろうとするのでそれはお断りしている。

 お風呂は自分のペースで体を洗いたいし、着替えなんて手伝ってもらうほど大変じゃないし……。

 位の高い人がそういうことを下々の者にさせるのは人間社会でもよくあることだけれど、私は別に自分が偉いとは思っていないので、そういったことを他人にさせるのは、くすぐったくなってしまう。

 さて。明日は何を作ろうかな。まだまだ熱いし、ぜんざいなんかいいかも。それともチーズケーキかな? まだここでは作っていないし。

 ――などと、頭の中のレシピ帳のページをめくっていると。


「……おや。どうやら参拝客が来たようだ。ちょっと俺は行ってくる」


 そう言うと、紫月は立ち上がって草履を履き、すたすたと歩き出した。


「行ってらっしゃいませ」

「ませですニャ!」

「私も行く!」


 いまだに塩大福を味わっている琥珀くんと千代丸くんは軽くそう挨拶するだけだったが、私は彼の後を慌ててついていく。

 人がご神体の前でお願いをして、紫月がその道しるべを示す光景を見るのは、私にとってはとても興味深かった。

 神にすがりたくなるほどの強い願いと、それを叶えるためにするべきことを提示する紫月。

 なんだか他人の人生を少し垣間見れる気がするのだ。強面の男性が家族思いの優しい人間だったり、不良少年が一途に恋をしていたりするシーンを見ると、私にとっては通りすがりでしかない人にも、それぞれにそれぞれの長い人生があるんだなと思わされてしまう。

 まあ、穏和そうな美人が、恋敵を陥れたいと願った時は、ちょっとびっくりしてしまったけれど。

 ちなみに、紫月は他人を不幸にする願いや私利私欲に満ちた願いに、道を示すことはしなかった。「そういうのは、願いではなく呪いの範疇だからね」と軽く笑って言っていた。

 紫月は、人間に努力の道筋を提示して、その手に願いを掴ませようとしている。彼の示す道は、私の中の道徳と限りなく近しい内容だった。

 この前見たような、出会いが欲しいと言った男性にもっと仕事を頑張れと示したり、恋を叶えたいと願った少年には人に優しくしなさいと導いたり。

 だから私は、紫月が人間の願いを聞く場面が、とても好きだったんだ。

 紫月のあとを追って境内につくと、そこにはすでに参拝客がいた。高齢の男性で、恐らく八十代だろう。身なりにはとても気は使っているようで、シャツもズボンも皺がなくきっちりと着こなしている。清潔感のある、穏和そうなおじいさんだった。


「……お願いします。妻ともう一度だけ……もう一度だけでいいんです。昔のように話をさせてください」


 必死に懇願する様に、目頭が熱くなる。彼の妻は、もう亡くなってしまったんだろうか。


「妻は私のことを忘れてしまいました。私を見ても『どなたですか』と……。私はお喋りな妻と話すのが大好きでした。とても楽しかった。……お願いです、もう一度だけ」


 どうやら、亡くなってはいないようだった。しかし話の内容からすると、彼の妻は高齢によって記憶が覚束なくなってしまっているらしかった。

 大好きな人が近くにいるのに、忘れられてしまった自分。高齢者の夫婦にとっては、珍しいことではないのかもしれない。でも十代の私が実際にそういった人たちにを見るのは初めてで、ひどく切ない気分にさせられる。

 でも、人間が年齢とともに病気になってしまうのは仕方のないことだ。これは、このおじいさんの頑張りだけでなんとかなることではないように思えた。

 紫月はどういう道を示すのだろう? お願い、叶えてほしいなあ。

 ――しかし。


「…………」


 紫月は男性に何も示さなかった。彼は肩を落としたまま、私たちに背を向けてトボトボと神社から去っていく。


「どうして何も言わないの……?」


 どこか遠い目をして、小さくなった男性の背中を見据える紫月に向かって私は言う。


「……残念だが、彼の妻はもう寿命が近い。自然の流れまでは、変えられない。それに今、彼に道しるべも示しても間に合わないだろう」

「そんな……!」


 仕方のないという紫月の言いぶりに、私はショックを受けてしまう。

 おじいさんが必死に懇願していたというのに。ただ一度だけ、自分の妻と話したいという、純粋な願いだというのに。

 老化による寿命が、人間の頑張りや医学でなんとかなるものではないことは、私だって分かっている。

 だけど、だからこそ。だからこそ、どうしようもないこんな時だからこそ、神頼みをするしかないんじゃないの?


「……諦めないでよ」

「陽葵?」

「もうあの人は、神様にすがるしかないの! そう簡単に諦めないで! 私……私、あの人に何かできることがあるか、話を聞いてくる!」


 感極まった私は、そう言い切って走る。さっきのおじいさんの背中を追って。


「待て! 陽葵! ここから出るな!」


 背後から、紫月のそんな声が聞こえてきたけれど、私はそれに答えずに足を早める。


「ひ、陽葵さま!? どちらへ!? 外は危険です!」


 神社の鳥居付近を清掃していたオオカミ耳の従者が、全速力で走る私に驚いたように言った。――しかし。


「ちょっとお出かけ! そんなに遠くには行きません!」


 私はそれだけ言うと、迷わずに鳥居をくぐる。するとくぐった瞬間、従者の姿は消え、ピカピカで艶のあった鳥居はみすぼらしく色の禿げた門に成り下がった。

 鳥居をくぐったから、紫月の力が消えて私も普通の人間になってしまったということか。そう言えば、紫月にここに連れられてから神社の敷地を出るのは初めてだ。

 でも、紫月もオオカミさんも、「出るな」とか「危険です」って、一体なんなのだろう。だって私、少し前まで普通に鳥居の外で暮らしていたんだから。こんな治安のいい田舎町、何も危ないことなんてないはずだけど……。

 少し気になったけれど、とりあえずおじいさんに会わなくてはと思った私は、彼の姿を探して走り続けた。





 しばらく神社の周りをうろついていたら、おじいさんの姿を見つけた私。

 彼は、車いすに妻を乗せて散歩させていた。「風が気持ちいいね、貴子」「涼しくなってきたね、もう少しで秋かな」なんて、彼は一生懸命伴侶に話しかけていた。

 しかし、車いすに乗っている彼の妻――貴子さんは、あまり彼の問いかけには反応していない。たまに喋っても「ありがとうねえ、看護師さん」なんて言っていて、やはりおじいさんのことは覚えていないようだった。

 勢いで飛び出してきちゃったけれど、私にできることってあるのかな……。よく考えたら、私みたいなお菓子作ることくらいしかできない小娘が、何かできるわけないよね……。紫月の言う通りなのかもしれない。

 ――いや。でもあんなに必死に祈っていたおじいさんのお願いを、簡単に投げ捨てたくはない。

 などと思っていたら、車いすの車輪が側溝にはまってしまった。おじいさんは必死に車いすを持ち上げようとしたが、老人の力では難しいようだった。


「大丈夫ですか!?」


 気づいたら私は、おじいさんの前に出ていた。ふたりかがりなら、きっとなんとかなるはずだ。

 そして私はおじいさんと協力して、車いすを持ち上げることに成功した。はまった側溝から無事に抜け出すことができた。

 おばあさんは自分の身に何が起こっているか理解していないらしく、空をぼんやりと眺めている。顔には皺が幾重にも刻まれているが、つぶらな瞳に形の良い小さな唇から、若い時は大層美しい人だったことが想像できた。きちんと整えられてひとつに結わえられている髪の毛に、おじいさんの深い愛を感じる。


「ありがとう、お嬢さん。ひとりだったら持ち上げられなかったよ」


 おじいさんは、私に向かって朗らかに微笑む。


「いえ……。お散歩ですか?」

「ああ。家の中に閉じ込めておくのは、かわいそうだからね」

「そうなんですか……。車いすを押してのお散歩は、大変そうですね」


 何て言ったらいいか分からず、無難なことしか言葉に出せない私。こんなんでこの人の力になれるわけないのに。自分の傲慢さが、恥ずかしくなる。

 ――しかし。


「妻は認知症でね。私のことをヘルパーや看護師だと思っているようだ。……息子だったり、父親だったりという場合もあるけれど」


 おじいさんは、悲し気に微笑みながら身の上を語り出した。誰かに聞いてほしかったんだろうか。私は黙って耳を傾けることにする。


「少し前までは一緒に旅行に行ったり、家でテレビを見たり、他愛もないことで笑い合えたりしたのだがね……。今では身の回りのこともほとんどできなくなってしまった。それなのに家では台所に立って覚束ない手で料理を始めようとするから、危なくって目が離せないんだよ」

「……そうなんですね」

「もう一度、私のことを思い出してくれないだろうか」


 じっと愛する伴侶を見つめて、静かにおじいさんは言った。しかしおばあさんは、無表情で虚空を眺めるだけだった。

 するとおじいさんは、ハッとしたような顔をして、私に微笑みかける。


「すまないね。通りすがりの若い君に、こんな暗い話をしてしまって」

「――いえ」

「今日は本当にありがとう。助かったよ」


 そう言って、車いすを再び押し始めるおじいさん。私は彼に向かって励ましになるようなことを言おうとしたけれど、何も思いつかず口を引き結ぶ。

 やっぱり私みたいな小娘がなんとかできるような、簡単な話じゃないんだ。……紫月の言う通りだ。人間には抗えない老化、寿命がある。頑張ってもどうすることもできないことが、あるのかもしれない。

 でも本当に、何もできないのかな……。

 遠ざかっていく車いすをぼんやりと眺めながら、悲しい気持ちになっていた――その時だった。


「……っ!」


 急に呼吸が苦しくなり、私は声にならない声をあげた。何者かによって、背後からきつく首が絞められている。

 ――何!? 急に一体なんなの!?

 足をばたつかせたり、手を振り回したりして必死に抵抗する。しかし、私の首を締め上げる力はどんどん強くなっていくばかり。

 だんだん意識が朦朧としてきた。視界も黒ずんでくる。


「夜羽さまのために……。紫月の嫁は必ず奪う……」


 おどろおどろしい声が、耳元で響いた。

 ――夜羽って誰のこと……? なんなの。私、このまま死ぬの……?

 しかし、私が自分の命を諦めかけた、まさにその時だった。


「貴様……! 陽葵っ!」


 いつも涼しげに喋るあの人の、珍しく狼狽した声が聞こえてきた。その数瞬後に、首の拘束が解かれて私は地面に膝をつく。

 ごほっごほっと、へたり込んでせき込みながらも、必死に呼吸する私。だんだんと、薄れかけていた意識がはっきりとしてきた。その間ずっと、背中を優しくさすってくれる手の感触を感じていた。

 胸の苦しさが幾分が落ち着いた後、私は顔を上げた。紫月が悲痛そうな顔をして、私を見ている。


「大丈夫か! 陽葵!」

「な、なんとか……」


 首を絞められていたのはごく短い時間であったためか、これ以上体への影響はなさそうだった。

 しかし、一体なんで私は何かに襲われたのだろう? 夜羽さまだかなんだかって言っていたけれど、そんな名前知らないし……。

 そう思った私だったが、少し離れた虚空に黒い人型の靄のようなものが浮かんでいるのが見えて、息を呑む。


「なんなの、あれ……」


 かすれた声を上げてしまう。あれが、私を襲ったやつなのかな?

 紫月は、黒い靄の方を眉をひそめて睨みつけていた。


「……やはり陽葵を狙いに来たか」

「え? やはりって……」

「夜羽さまのご命令のままに……。必ずや、必ずや」


 低くくぐもった声が黒い靄から聞こえたかと思ったら、それは空中に霧散するように散り、すぐに消滅してしまった。


「紫月……。一体あれは何なの? 私、なんで狙われたの? 夜羽って、誰のこと……?」


 彼の口ぶりからすると、あの黒い靄についてなんらかの心当たりがあるように思えた。それに、神社を飛び出した瞬間、彼も従者のオオカミさんも、私に「出るな」とか「危ない」と言っていた。

 今の私は、神社の敷地から出ると危険にさらされるような状況にあるってことなんだろうか?


「おいおい話そうとは思っていたのだ。まさか君がいきなり飛び出してしまうとは、思っていなくて」

「ご、ごめんなさい……」