窈寵のアモル








「おじさん」

「ん?」


ーー夕飯の支度をする俺に、秋樹がプリントを差し出して言った。

「お母さんやお父さんについて書いてくる宿題を、出されたんだけど」

「…おう」

「先生が、保護者でいいって」

「…そうか」

「うん。だから、おじさんのことを教えて」

ああ、そういえばそんな宿題もあった気がするな…
遠い昔のことを思い出しながら、手を洗って秋樹に向き直る。




段々と顔立ちも凛々しくなり、まだ可愛らしさは残るが大人っぽくなってきた秋樹。
毎日を大事に過ごしていたら、秋樹はいつの間にか小学六年生になっていた。
最近疲れが取れないなぁと思っていたが、それもそのはずだ。

三十代も半ばを過ぎた俺は、十歳ちょっとのインタビュアーに緊張していた。
ーー俺のこと、か…
漠然とした質問だ。恐らく家事や仕事のことが主なのだろうが。

そして、さぁどんな風に答えようかとそわそわしながら、差し出されたプリントを受け取った時。
目に入った文字を見て、俺は思わず顔を強張らせてしまった。

「…授業参観?」

「うん。そこで作文の発表をするんだ。恥ずかしいから嫌だったんだけど、くじで選ばれちゃったから」

「そうか…」

「…もしかして、今回は来れない?」

「まさか。秋樹が前に出て話すんだろ?行くに決まってる」

伏し目がちに言った秋樹の頭を撫でて、とりあえずプリントをポケットに入れる。

「まぁ、とりあえず晩飯を先に食べよう。用意出来たら呼ぶから、部屋で待ってろ」

「…うん」

「大した話はできんが、食べ終わったら質問に答えるよ」

「分かった、ありがとう」

頷いて立ち上がった秋樹が、階段の手前で動きを止める。
そして、心配するような声音で言った。

「おじさん。もし忙しいなら、無理はしなくていいからね」

「……」

「来てほしいけど…他の予定があるなら僕、邪魔したくないから」

どうやら何か勘違いさせてしまったらしい。
頭を掻いて、何と言うべきか思考を巡らせる。

「あー…用事はないよ。ただ…皆の前で自分の話をされるってのが、ちょっと恥ずかしいだけだ。見栄くらい張りたいだろ?」

「…」

「気遣わせて悪かった。俺が行きたいから行くんだ、お前が気にすることは何もないよ」

まだ何か言いたげな背中を軽く押してやると、秋樹は仕方なくといったように階段を上がり始めた。

「…ありがとう」

「ああ。飯、出来たら呼ぶからな」

自分の部屋へ戻って行く後ろ姿をしばらく見つめた後、俺は携帯電話を手に取った。





ーー全員が秋樹の事情を知っているわけではないし、わざわざ知らせる必要もない。
恐らく、周りの子のほとんどが両親のことについて書いてくるだろう。
そんな中で、秋樹に俺の話をさせるのか?

今までたくさんの行事に参加してきたが、秋樹は周りとどこか一線引いている様子だった。
それでも友達と笑い合って、一生懸命輪に溶け込んで、秋樹なりに上手くやっているのに。

ーーませた子供は、残酷だ。
秋樹のそんな努力を俺なんかの存在一つで壊してしまうのは、絶対に避けたかった。


そう思って実家に電話して、母さんに事の次第を伝える。
すると、母さんは小さく唸った。

『そうねぇ…地元(こっち)でなら知ってる子もいるかもしれないけど…』

「秋樹、昔から友達作るの苦手みたいでさ…だから学校で詳しく知ってる子はあんまりいないんじゃないかと思って」

『うーん…そうねぇ』

「俺について発表したりしなければ、今後知られることはないかもしれないだろ?行事に参加しても、誰?って聞かれたことなんてないし。知らなければ、これからも父親って思ってもらえるかもしれないから」

『まぁ、難しいところね。他の家のことについて何か言いたい子は、残念ながらいるわ。自分の普通と、周りの普通を測りたいのね』

「だろ?」

『でもね昴甫。気持ちは分かるけれど、それはあなたが気にしても仕方がないことよ』

諭すように話す母さんの声に、じっと耳を傾ける。

『普通に育ってきた人達は、普通ではないことにとても敏感だから』

「……」

『大多数がBであるならそれが普通で、それ以上のAは妬みの対象に、それ以下のCは蔑みの対象になる。
心の底から傷ついたことのない人たちは、永遠にその考えから抜け出せないの』

「……そうかもな」

『これから先、秋樹はたくさんその理不尽に出会って行くわ。成長過程の学校生活では、特に』

ーー写真立てに飾った、姉の写真。
優しく微笑むその瞳が、何か言いたげに俺を見つめる。

『昴甫。親が守ってあげられることには、限界があるの。どんなに大事に思っていても』

「…うん」

『今回のその作文を上手く切り抜けられたとしても、秋樹が誰かに傷つけられることは、人として生きる以上避けられないこと』

「……」

『だから、あなたはそんな人たちのことを気にしたりせず、胸を張っていればいい。だって秋樹は、あんなに立派に育ったじゃない』

「……、」

『それを隠さなきゃいけないと思ってしまうなんて、とても勿体ないわ』

「…うん」

『…きっと大丈夫だから』

なんだか胸が熱くなって、見えもしないのに受話器越しに何度も頷いていた。
俺の無言からそれを察したのか何なのか、しばらくすると母さんは少し笑った後、声の調子を変えて聞く。

『ねえ、参観日はいつなの?』

「…来週の水曜日」

『水曜日ね。もし調整してお休みがもらえそうだったら、連れて行ってくれない?』

「分かった。近くなったらまた連絡するわ」

『よろしくね、カメラ持っていかなくちゃ』

「はいはい。じゃぁ、また」



通話を終えて、写真の姉と向き直る。
しばらく見つめた後、俺は晩飯の支度を再開した。

ーー秋樹は、あんなに立派に育ったじゃない

電話をして、良かったと思う。母親には、随所で世話になりっぱなしだ。




それから、二人で晩飯を食べ終えて。
俺は、こほんと咳払いをした小さなインタビュアーに向かって、背筋を正していた。

「えっと…まずは、おじさんの仕事はなんですか?」

「俺は、フリーのシステムエンジニアです」

「…えっと…それは一体、どんなお仕事ですか?」

「うーん…説明難しいな。あー、パソコンを使うお仕事です」

「あ、そっか。だからお家にいても出来るんだね」

「そうそう。依頼を受けて期日までに終わらせる。パソコンがあれば出来るから、場所はどこでもいいし、フリーだから結構自由がきくんだ」

「そうなんだ」

俺の話を聞く秋樹の顔は、真剣そのもの。
それがとても嬉しくて、仕方がなかった。

「それじゃぁ、おじさんの一日を教えてください」

「…朝起きて、朝飯作って、登校見送って、ゴミ出して…掃除して洗濯して…」

「うん」

「乾かしてる間に仕事して、夕方取り込んで…買い出し行って、晩飯作って皿洗って…仕事して寝ます」

「なるほど」

一生懸命メモしていて、なんだか恥ずかしい。
そうして一通り質問を終えると、秋樹は立ち上がった。

「参観日、来てくれるよね」

「ああ」

「良かった」

照れ臭そうに笑った秋樹。
その顔を見てーー自分が間違っていたことに気付かされた。

俺は、確かに、秋樹の親だ。

秋樹がこんなに慕ってくれているのに、俺が自信なさげにしているのは…秋樹に対して失礼だ。

「秋樹」

「ん?」

「楽しみにしてるから、発表頑張れよ」

頷いたその頭を、優しく撫でた。




*    *    *    *    *





ーーー参観日当日。

休みはもらえなかったが夜勤に変えてもらえた、と嬉しそうな母さんを連れて、授業を眺める。

「今日は参観日ということで、保護者の方への感謝の気持ちを綴った作文を、前に出て発表してもらいたいと思っています」

「…感謝の気持ちの作文?そんなこと言ってなかったけど…」

小声で母さんに言って、秋樹の後ろ姿に目を遣る。
その背中から緊張がひしひしと伝わってきて、思わずこちらも緊張してしまう。

「じゃぁ、くじで決めた五人は前に出て来てください」



前の子達の発表が終わり、いよいよ秋樹の番。
緊張している先ほどと打って変わって、秋樹はいつの間にかとても堂々としていた。
そんな秋樹が、ゆっくりと口を開く。


「ぼくのおじさん 柴田秋樹」




ぼくのおじさん     柴田秋樹


ぼくには、お母さんがいません。
三才の時に、事故にあってしまったそうです。その代わりに、お母さんの弟であるおじさんが、ぼくを引き取って育ててくれました。

おじさんは、システムエンジニアという、パソコンを使うお仕事をしています。
おうちでできるお仕事なので、おじさんはいつもぼくのそばにいてくれました。

朝早くに起きて、ぼくのご飯を作ってくれます。
お仕事をしながら、家の事をしてくれます。寝る前にも、お仕事をしています。

いそがしいのに、学校の行事にはかならず来てくれます。
いろんなところへ連れて行ってくれます。

たくさん、ほめてくれます。いろんなことを、教えてくれます。
だから、ぼくは毎日がとっても楽しいです。
おじさんといられる毎日が、とっても楽しいです。

おじさん。いそがしいのに、ぼくのために色々してくれて、本当にありがとう。
おじさんのおかげで、さみしいと思ったことは一度もありません。

一生けん命、お勉強をがんばります。運動は少し苦手だけど、がんばります。
おじさんが自慢できるような、立派な子になります。

だからこれからも、よろしくお願いします。
いつもありがとう。




「はい、みなさん。柴田くんに大きな拍手を」

拍手の音に包まれる、教室の中。
ーー隣にいた誰かのお母さんがハンカチを渡してくれるまで、俺は自分が泣いていることに気がつかなかった。
壇上に立つ秋樹が、俺を見ている。

誇らしそうに話してくれた秋樹に、泣きながら拍手した。
貸してもらったハンカチが、涙でぐしゃぐしゃになっていた。


授業が終わる頃、ようやく泣き止んだ俺。
ハンカチを貸してくれたマダムに、頭を下げる。

「…すみません…ちゃんと洗ってお返ししますから…」

さすがにこのまま返せないので、と言うと、マダムは笑った。

「いつも行事にいらっしゃるから、てっきり主夫なのかと思ってました」

他のマダムたちも近づいて来て、涙目で話しかけられる。

「すごいですね、大変だったでしょう、男手一つで」

「いや…秋樹が、本当に手が掛からないので。大変と思ったことは、一度も」

照れながら話すと、マダムたちは微笑んだ。

「本当に、応援してます。何かあったら気兼ねせず仰ってくださいね」

「ありがとうございます…」

ーーふと秋樹を見ると、発表そっちのけでクラスの子たちに囲まれていた。

「お前のおじさん、システムエンジニアって仕事してんの?カッケー」

「いいなー!」

「どこ連れてってもらったの?いいな〜」

秋樹が小さく俺を振り返って、恥ずかしそうに笑う。


「良かったわね、昴甫」




俺はきっと、生涯この日を忘れることはないだろう。
また俺のアルバムに一つ、宝物が増えた。