切石と巡野の手元にはビールもあった。二人とも、いい具合に出来上がっている。

「大将、沖田と仲ようなったみたいやな! 結構、結構」
「顔付きが今朝までと全然違いますよねえ。何があったのやら」
「妬くなや、幽霊!」
「妬いてなんていませんよ」

「わしは嬉しゅうてなあ。あの大将を学園祭で楽しませる男が現れるとは」
「手塩にかけて育てた娘を嫁に出す父親のように晴れやかな顔で涙ぐまないでください」

 何これ、面倒くさい。ほっとこう。勝手にやっててくれ。
 わたしは切石と巡野のほうへ、缶ビールを押しやった。彼らの好きそうな、ロースト系の肉料理も。この肉、もしかして吉田寮のヤギかな?

 沖田は鼻の頭に汗をかいている。
「カレーが辛い?」
「少しね。舌にびりびりくるような感じじゃあないんだけど、何か熱い。汗が出てくる」

「香辛料の作用だろうね。漢方薬に使われる薬種も入ってるんだよ。汗かいちゃうなら、そのぶん何か飲むようにね。あ、そうだ。果物を絞った冷たい飲み物があるはず。毎年恒例なの。取ってこようか?」

 腰を浮かしたわたしの袖を、沖田が引っ張った。
「今じゃなくていい。あんたはまず自分のぶんを食えってば」
「わかった」

「これと同じ料理、おまつり広場の出店にもあったよね」
「御蔭寮のカレーうどんのほうがおいしいよ」
「負けず嫌いだな。でもまあ、確かにそうかもね。ここであんたたちと一緒に食う飯は、どれも本当にうまいよ。知らなかった味ばっかりで、それでも、うまいと思う」

 沖田は、はにかむように笑うと、うどんを勢いよくすすった。ぴちゃん、とスープが跳ねる。

「着物が汚れるよ」
「いちいち気にしない」
「気になるよ、わたしは。それ、寮から借りてる古着だよね。昼間もちょっと汚してたように見えたし、後で洗濯に出しておいて」
「はいはい。このくらい、汚れたうちに入らないと思うんだけどな」
「入りますー」

 わたしはしかめっ面をした。沖田はおどけた様子で、くるりと目を動かしてみせる。

 何なんだろう、このなごやかな時間は。
 楽しい。胸が熱くなるくらいに。
 だからこそ、ひどく怖い。この時間がいつまでも続くはずはないと、わたしは理解しているから。

 沖田が先にカレーうどんを食べ終わった。まだ食べ足りないらしく、巡野に勧められた林檎のパイに舌鼓を打つ。きんつばも喜んで食べた。やっぱり甘いものが好きらしい。

 わたしが箸を置くと、沖田は立ち上がった。
「さて、飲み物を取りに行こう」
 まるでそれが当たり前みたいに、沖田はわたしの手首をつかむ。切石が指笛を鳴らした。
「そんなビミョーなことせんと、手ぇつなぎぃ」
「バカ!」

 わたしが怒ってみせても、切石はにやにやしている。
 巡野は、犬でも追い払うような手つきをした。飲んでも飲んでも、青白い顔色はまったく変わらない。飲むと面倒くささが増すから、一応、酔いは回るのだと思う。

 テーブルから十分に離れたときだ。半歩先の沖田がふと立ち止まり、わたしと並んだ。
 ごく近い距離で、沖田はわたしにささやいた。

「後で外に出たいんだ。ちょっと散歩。付き合ってくれない? 話したいことがある」

 甘く優しく響く、低い声。
 話したいこととは何なのか、はっきりとはわからない。
 でも、わたしは察した。

「いいよ。散歩しよう」

 沖田はきっと、もうすぐいなくなってしまう。
 再び歩き出す。沖田と袖がすれ合う。いつも袂《たもと》に入れて持ち歩いている沖田の巾着袋が、ちりりと、かすかな音を立てたように感じた。