最上階の大教室は暗幕に覆われていた。

「あの……星を、見ませんか?」
 口下手そうな客引きの一言が、沖田の琴線に触れたらしい。
「ここ、入ってみよう」
 にこりとして振り向くと、大教室へとわたしを連行する。

 プラネタリウムの上映が始まろうとしていた。足下の明かりをたどり、造り付けの硬い木の椅子に腰を下ろす。
 ほどなく、すべての明かりが消えた。

 次の瞬間、天井も壁もなくなった。空間にたくさんの小さな光が満ちた。宇宙が敷き詰められている。
 わあ、と声を上げたのは、わたしと沖田と同時だった。

 星座の名前はろくに知らない。今の季節ならオリオン座の三つ星が見えると、その程度の知識だけだ。明るさごとの等級だとか、どのくらい離れたところの星だとか、聞いても覚えられない。

 でも。
 きれいだ。ただ率直に、そう感じた。偽物の星空だとわかっていても、それでも、きれいだ。
 下から上へ、すーっと流れていく星を見送る。どちらが上なのか下なのか、もう、そんなことはどうでもいい。

 星が美しい場所の話を、比較的最近、誰かから聞いた。意外な誰かだった。誰だっけ。
 ああ、思い出した。弦岡先生だ。

 沙漠の遺跡の発掘調査でのこと。昼間とは打って変わって冷え込んだ空気の中、星を見たと言っていた。
 地平線から流れ出す天の川が空をいっぱいによぎって、反対側の地平線に消える。月のない夜の流星は、突き刺さるように鋭いきらめきの尾を引いて、夜通し無数に降った。

 その空は、ここに映し出された星の海と似ているのだろうか。そこにはどんな風が吹いているのだろうか。砂の色は、空気の匂いは、乾いた冷たさは、一体どんなふうなのだろうか。

 つと、袖《そで》を引かれた。
「何を思い出してるの?」
 沖田がささやいた。暗い中でも、笑った形の唇が見分けられた。わたしは答えた。

「思い出すっていうか、思い描いてた。行ってみたい場所のこと」
 言葉にした途端、すとんと、わたしは理解した。
 わたしは、行ってみたいんだ。星の美しい沙漠の遺跡へ。

「そっか。おれはね、思い出してた。江戸にいたころ、出稽古の帰りは星明かりを頼りに歩いていたなあって。山南さんが星の名前を教えてくれたっけ」
「星の名前、覚えてる?」
「ちっとも。あそこに三つ並んでる明るい星は見覚えがあるよ。そのくらいだな」
「わたしと同じだ。わたしも全然、星は覚えられない」

「北辰《ほくしん》ってどれかな? 北の空にあるんだろう? あれを覚えておけば道に迷わないって、山南さんが言っていた。何度教わってもわからないままだったな」

 ささやくときの沖田の声は、低く歌うみたいだ。優しく柔らかな声をしている。
 だから、わたしは混乱する。沖田は今まで幾人も殺してきたはずなのに、なぜこんなにも、ごくありふれた男なんだろうか。

 音色とともに、浮かんだすべての星が降ってくる。きらきらと降って降って降って、夜空の幻影が美しく壊れていき……そして、プラネタリウムの上映が終わった。

 講義室が明るくなっても、しばし夢心地だった。やっぱり星の解説は頭に留まっていない。垣間見た憧れの残像だけが、ひりひりと胸を焼いている。