「いいよ、おうちに連れていってあげる。でも、どこか覚えてる……?」
 千夏の問いかけに颯太は少し考えたあと、こくんと頷いた。
『ホイクエンからならおうちまでわかるよ』
「保育園の名前はわかる? あと、どのあたりにあったのかとか」
 うーんと颯太は窓の外を眺めたあと、もう一度大きく頷いた。
『ボクのおうちね。セーセキサクラガオカのエキのちかくだったよ。ケーオーせんなの』

 くわしく教えてくれる。もしかしたら、電車好きな子なのかもしれない。
 保育園の名前も憶えていた。スマホで検索してみると、聖蹟桜ヶ丘駅の近くにほぼこれだろうと思われる保育園がみつかる。これなら彼の家を探すのはさほど難しくはなさそうだ。
 晴高は残りの悪霊を祓うために残るというので、千夏と元気、颯太の三人で聖蹟桜ヶ丘駅まで向かうことになった。
 はじめは久しぶりに見る街の様子や電車に大はしゃぎだった颯太だったけれど、途中で疲れてしまったようで電車の中で寝始めた。その彼を元気が抱っこしながら、彼がかつて通っていたという保育園の前までやってくる。
 その頃には颯太も目を覚ましていて、元気の腕からぴょんと降りて保育園の柵から園内をしばらく懐かしそうに見た後、「ボクのおうち、こっちだよ」と先導して歩き出した。
 そこは保育園から歩いて十分ほどの場所にある住宅街の中の一軒家だった。
 いつしか日が沈み始めていたけれど、家の中からはいいニオイが漂っている。夕飯の支度をしているようだ。
 颯太は、タタタッと家に向かって走ると門の前で振り返った。
『ここ! ここがボクのおうち!!』
 郵便受けには、『森沢』とある。
「颯太くんのお名前は、森沢颯太くんで、いいのね?」
 千夏が聞くと、颯太はコクンと大きく頷いた。もし、彼の家族が引っ越ししてしまっていたらどうしようと少し心配だったが、ご家族は今もこの家に住んでいるようだ。
 ほっと胸をなで下ろした千夏はそこで気づく。颯太の全身がキラキラと輝き始めていた。彼の未練が果たされて、成仏しかけているようだ。
 千夏は笑顔で彼を見送る。
 家の中からは家族の声が聞こえていた。
 見送りはここまでで充分だろう。
「私たちはここまで。さぁ、ママとパパのところに行っておいで」
 そう言ってバイバイと手を振ると、颯太は『うん! バイバイ!』と手を振り返して、玄関の方へ走っていった。
 そして、もう一度こちらを見た後、『ただいま!』とはつらつとした声をかけて、ドアの向こうに消える。きっと、彼はもう大丈夫だろう。成仏するまでのしばらくの間、彼の大好きな家族といっぱい過ごしてほしいと切に願った。



 森沢家のキッチンでは母親がハンバーグを焼きあげ、ダイニングテーブルへと運んでいた。
 家族は三人のはず。それなのに、母親は四人分の料理を並べている。大きなハンバーグと、付け合わせのバターコーンにマッシュポテト。サラダと、オニオンスープもそれぞれ4皿ずつあった。
「ママー。おさら、一つおおいよ?」
 配膳を手伝ってフォークを並べていた五歳の沙也加が、母親に言いに行く。
 母親はエプロンで手を拭きながら、にっこりと笑った。
「ああ、いいのよ。今日は多く作っちゃったから。それにほら、お兄ちゃん、ハンバーグ大好きだったから。今日は一緒に、ね?」
「ふーん?」
 そこに父親もダイニングへとやってくる。
「お、今日はハンバーグか」
 そしていつもより一つずつ多い皿を見て、柔らかく目を細めた。
「颯太も好きだったからな。ハンバーグ」
「さあ、食べちゃいましょ。席についてついて」
「はーい」
 沙也加は返事をしながら自分の席に座る。
 そのとき。
 一瞬だけ、誰も座っていない席に誰かが座っているように見えた。
 瞬きをしたらもう誰もいなかったけれど、ニコニコ笑う顔が見えた気がした。


 
「これで、一件落着だね」
 駅に戻るためにくるっと向きを変えたそのとき、隣に立つ元気が一瞬、きらりと光を帯びているように見えた。
(…………え?)
 目をこすってもう一度見てみると、颯太が消えていったドアをじっと見つめている元気はいつもと変わらない彼だった。千夏の視線に気付いて、彼がこちらを見やる。
「ん? どうした?」
「う、ううん。なんでもない……」
「さぁ。晴高のところに戻ろうぜ。あいつ、大丈夫かな。またぶっ倒れてなきゃいいけど」
 そう元気が冗談めかして言うので、千夏はいま感じた不安をクスリと笑みに変える。
「うん。そうだね」
 いま見たのは、きっと何かの見間違いだよ。そう思うことにした。
 でも、駅へと戻る道すがら。駅に行くのに近いからと公園を抜けていたときのことだった。元気が突然足を止める。
 どうしたのかと思って千夏も足を止めて振り返ると、彼は自分の両手を見つめて立ちすくんでいた。
 「どうし……」
 そこまで言いかけて、千夏も驚きで目を見開く。彼の両手がキラキラと輝きだしていた。
 元気は千夏に視線を戻すと、申し訳なさそうに目じりを下げた。
「千夏……俺も、もうそろそろ逝かなくちゃいけないみたいだ」
 そう語る元気の全身が光を帯びはじめていた。颯太や華奈子、それにいままで成仏を見届けた数々の霊たちと同じように、その身体がキラキラと光の粒子を放って輝き始める。
 その輝きを千夏は驚きをもって見つめた。そして、それが意味することを理解する。こうなるともう、誰にも止められないこともわかっている。
 元気にもとうとう、成仏する瞬間がやって来たのだ。