警察に殺人事件として動いてもらうためには、阿賀沢兄か高村元気の死亡に殺人の疑いがあるという証拠をつきつける必要があった。
 元気の方はスマホが出てきただけでは証拠として弱すぎる。もうとっくに遺体も火葬されてしまっているし、両親や元婚約者もあれが事故ではなく殺人だったとは全く考えていないのだという。事故車両もとっくに廃車になっているだろう。立件の可能性があるとしたら、元気を轢いた相手が自白することぐらいだろうか。
 一方、阿賀沢兄の方については彼らが経営していた料亭のサイトを探してみたところ、会社紹介の役員の欄には現在も兄の名前が載っていた。阿賀沢(あがさわ)浩司(こうじ)という名のようだ。
 もし彼の遺体を発見できれば、一気に殺人として警察が動いてくれる可能性は高くなる。阿賀沢浩司が殺されたとわかれば、同じ敷地内に埋められていた元気のスマホと、元気のクラウドに残っていた写真を証拠に出すことで、こちらも殺人事件として捜査してもらえる可能性があった。
「というわけで、まずは阿賀沢浩司の遺体をみつけるのが先決だろうな」
 晴高がハンバーガーを齧りながら、そう結論づけた。
 ここは先ほどの会議室。とはいえ、もう勤務時間を過ぎていたので近くのファーストフード店で早めの夕食を買ってきたのだ。
 千夏もオレンジジュースを紙コップからストローで吸う。体中に染み渡る心地がした。元気のスマホが見つかってからというもの、感情の変化が忙しくて空腹すら忘れてしまっていた。考えてみたら、朝から何も食べていなかった。ナゲットも美味しい。
「でもさ。どうやって、探すんだよ」
 元気がフィッシュバーガーをもぐもぐ食べながら言うのに、晴高が返す。
「あの建物を解体したときに遺体が出てきたなんて話は聞いたことがない。さっきちょっと職場のデータベースで調べてみたが、やっぱそんな情報はなかった。ということは、解体される前にどこかに運び出したんだろうな」
「ということは、……車、ですかね」
 千夏が尋ねると、晴高は食べ終わったハンバーガーの包みをクシャっと潰した。
「だろうな。お前ら、聞いたんだろ?」
 晴高の問いかけに、千夏と元気は頷く。
 阿賀沢浩司の霊の記憶を見たときに、弟が言うのが聞こえたのだ。
『じたばたすんな。山にでも、うめときゃバレやしないさ』
 それだけで本当に山に埋めたかどうかは確証は持てないが、東京のど真ん中で成人男性の遺体を隠せる場所などそう選択肢はない。
 東京都心からだって、車で数時間走ればあっという間に山の中だ。
「……あの霊と同調すれば、もっと詳しいことわかるんでしょうか」
 ぽつりと千夏は思いついたことを口にする。
 しかしそれには晴高が良い顔をしなかった。
「……確かに本人に聞くのが一番早いんだろうが。アレはもう相当恨みに凝り固まっているように見えた。お前らの目にはどう見えていたのか知らんが、俺にはほとんど真っ黒に視えたんだよ。危険すぎるだろ」
 そうは言うものの阿賀沢浩司が一番確実なことを知っているのは確かなのだ。
 ちょうど夜も更けてきたこともあり、千夏たちはもう一度あのマンション建設現場へ行ってみることにした。社用車で現場につくと、防音シートにおおわれた更地に足を踏み入れる。
 しかし一歩踏み込んだ瞬間、千夏は先日とは空気が変わっていることに気づいた。
「あ、あれ?」
 いままでは昼に来た時も、夜に訪れた時も、ずっとどこからか視られているような視線を感じていた。あれは今になって思えば、阿賀沢浩司が隠れて千夏たちを観察し
 ていたのだとわかるが、今日はその視線を感じないのだ。
「……やっぱ、そうか」
 晴高が軽く嘆息する。
「え? どういうことなんですか?」
「阿賀沢浩司の未練は、ある程度解消されてしまったってことだよ。まだ多少気配は感じるから成仏したわけじゃないんだろうが、前回よりもはるかに薄い」
 晴高はスタスタと敷地の角へと歩いていく。そこは元気のスマホが見つかった場所だ。今はもう穴は埋め戻してあるが、晴高は目を閉じて手を合わせると、短く経を唱えてから顔を上げた。
「あの人は、自分の殺害そのものよりも、不動産を弟に騙されて取られたことよりも。無関係の銀行マンを巻き込んでしまったことを悔やんでいたんだろうな」
「……」
 元気の目が揺らぐ。彼はじっと、スマホが埋まっていた場所を見つめていた。
「マンション建設を妨害していたのだって、おそらくだが、ここに埋められていた元気のスマホを守るためだったんだろう。それを本人の手に戻せて殺害の事実を伝えられたんだから……思い残すことが少なくなって、霊としての存在感が薄れたんだろうな」
「……なんで、いい人ばかりがひどい目に合うんでしょうね」
 千夏の心の中に、さらに悔しさが募る。
「いい人、だからなのかもな……」
 晴高の呟きに、千夏はキッと睨むように彼を見た。彼にあたっても仕方ないことなのだけど、胸に沸くムカムカするほどの憤りをどこかにぶつけたかった。
「おかしいですよね! おかしいですよ!」
「おかしいな。まぁ、報いは受けてもらおう。因果応報って言葉もあるしな」
「でも、お兄さんの方がダメとなると……」
「あとはもう一人の当事者に尋ねるしかないだろう。ただ……危険は伴う。俺たちが殺人に気付いていることは極力察せられないようにしなきゃな」
 もう一人の当事者。つまり、加害者である阿賀沢弟夫妻だ。
 千夏は、元気とその視線の先にあるスマホが埋められていた現場に目をやった。なんとかして、彼らの罪をあばきたい。その表の顔の裏にあるものを引きづり出したい。元気のためにも。お兄さんのためにも。
「……実は、ちょっと思いついたことがあるんです。極力私たちに危険が及ばなくて、彼らに自分から行動してもらえる方法なんですけど……」
 千夏は、ここにくるまでにずっと考えていた作戦を晴高に伝えた。それは自分たちにしかできない作戦だった。