「そういうわけで、一組のアイスをパンケーキに使う。この際、合同企画としてみんなで売り込もう。うちとしては、見た目も派手だし、けっこういけると思うんだけど」

 涼香の提案に、優也はしぶい顔つきだった。しかし、明の必死な頼みを前にして、無下にはできないらしい。そもそも、英雄気質な彼だから断りたくないことは明白だった。
 やがて、彼は「はぁー」と長いため息を吐いた。

「わかったよ。売り上げとかそのへんは、俺がどうにか帳尻(ちょうじり)合わせるとして。なんとかしよう」
「ありがとう優也! この恩は一生忘れない!」
「大げさだなぁ……でもまぁ、いっか。いまのうちにお前に恩を売っとくのも悪くねぇ」

 抱きつこうとする明を邪険に追い払い、優也はさっそく、クラスの男子生徒を引き連れて一組のクーラーボックスを取りに行った。
 その様子を、こころは感心げに見ていた。いっぽう、羽村はわずかに顔をしかめている。郁音は例のごとく、この場にはいない。
 教室の熱が下がっていくのは目に見えてわかった。

「ねぇ、大楠さん」

 予想通り、羽村が疑心の目つきで近寄ってきた。

「ほんとにうまくいくの? なんか、余計な仕事が増えた気がするんですけどー」
「大丈夫。だって、パンケーキの上にアイスだよ? 豪華(ごうか)じゃん。これは確実に売れるね」
「なにその自信。リスクとか考えないわけ? しっかりしてよ、実行委員」

 羽村の剣呑な言い方が、教室内の熱を急激に冷やした。それは羽村自身も気づいたようで、すぐさま涼香から目をそらす。しかし、彼女ももうあとに引けず、ふくれっ面のままだった。
 言いたいことはよくわかる。それは、羽村が一パーセントの望みをまだ持っているから。
 こころを見やると、彼女が足を踏み出そうとした。瞬間、涼香は羽村の腕を引っ張った。

「羽村さん。ちょっと、話そうか」
「えっ?」

 動揺する彼女を強引に引っ張って、廊下に出ていく。その後ろをこころが追いかけてきた。

「待って、涼香! 開会式始まっちゃうよ!」
「うん。でも、こっち優先。みんな、先に行ってて。あ、あと、寺坂にも言っといて」

 唖然と口を開けるこころに手を振り、涼香は羽村を引き連れてトイレに走った。


「羽村さんってさ、どうしても私と対立することがあるよね」

 トイレの奥で涼香は羽村と対峙した。校庭では文化祭開会式のために、生徒が集まっている。がやがやと賑やかなノイズが窓の隙間から侵入している。

「それって、私が寺坂と仲良くしてるから?」

 確信めいた声音で問うと、羽村は怯えたように肩を震わせた。しかし、すぐに目尻をきつく持ち上げる。

「バレてたか」

 悪びれる素振りを見せず、彼女は舌を出して意地悪に笑った。

「大楠さんも寺坂のこと、好きなんでしょ? 仲いいもんね」
「……バレてたか」

 同じようにツンとした態度で言えば、羽村は口に手を当てて吹き出した。

「あーもう、最悪。文化祭始まる前に嫌なこと聞いちゃったー」

 羽村は気だるそうにカーディガンのポケットに手をつっこんで、くるりと背を向けてしまった。

「でも、早めに知れてよかったよ。私、文化祭が終わったら寺坂に告白するつもりだったから」

 羽村は背中越しに敗北の笑いを上げた。

「いや、マジでさぁ、最初から負け戦だったわけなんだけど……それでも、望みをかけてたの。でも勝ち目がない。もう、絶対に。一パーセントも望みがないってことよね」

 涼香は後ろ手を組んで佇んでいた。彼女の失恋が、あの明の顔に重なっていく。苦しい。重圧が背中にのしかかってくる。
 羽村がちらりと振り返った。

「そんな顔しないでよ。もっとさぁ、こう、勝ち誇った顔でいてよ。でないと、大楠さんのこと悪者にできないでしょ」

 悪者か。たしかに、ここまでは思い通りになるよう危機を回避している。試験の答案をカンニングしている気分だ。しかし、ここで逃げるわけにはいかない。後夜祭までに、すべてのことを片付けなくてはいけないのだ。

「……聞いてもいい?」

 涼香は喉を引きつらせながら言った。

「もしも、私が鈍感で無自覚で、これから先も寺坂とのことを有耶無耶にしたら、怒る?」
「そりゃあ、いい気はしないよね。だって、寺坂は大楠さんのことが好きだもん。それを弄ぶのはムカつくし。大楠さんのこと、大嫌いになる」

 きっぱりと言われ、涼香は身構えていた体をさらに強張らせた。

「じゃあ、こっちからも聞いていい?」

 考えている間にも、羽村はせっついてきた。鋭く探るように聞く。

「どうして寺坂のことが好きなの?」

 考える。どうして好きなのか。
 思うようには出てこない。こみ上げる感情をなんと言い表せばいいのかわからない。でも、明の言葉を借りるなら、この感情にあてはまる言葉や理由はいらない。いつの間にか育っていた、執着心(しゅうちゃくしん)たっぷりの情熱だ。

「あいつのことが好きだから、好きってだけだよ。そこに理屈や言葉はいらない。感情だけで突っ走ってる。そういうもんでしょ」

 その答えに、羽村は小さく笑った。

「はぁ……やっぱ(かな)わないわー。もう、いいや。幸せになってよね。でないと、許さないから」

 その約束は気軽にはできない。でも、彼女と衝突する道は完全に閉ざされたと思う。涼香は小さく笑った。羽村もニッと歯を見せて笑う。

「期待してるぞ、大楠」

 わだかまった空気が、一瞬でくだけた。

「任せとけ、羽村」

 ——絶対に、無駄にはしないから。

 願いをたくされると、やる気がみなぎった。強くうなずいてみせると、比例して羽村の顔が緩む。

『ただいまより——第四十三回——青浪高校文化祭を——開幕します!』

 生徒会長の元気な声が窓越しに聞こえ、外が一段とにぎやかになった。開会式がもう始まってしまう。

「うわっ、最悪! ひとが失恋してる間に始まってるじゃん!」

 羽村は慌てて廊下に出た。涼香もその後ろを追いかける。派手に装飾が施された無人の廊下をバタバタと足音を鳴らし、二人で駆け抜ける。

『それでは、みなさん、せーの!』

 掛け声とともに色とりどりの風船が空へ放たれた。昇降口を飛び出すと、すでに風船は生徒たちの手から離れていく。花火が上がるような、空気を伝う音が高い空を沸かす。

「あー! あーあ、残念。遅かったかぁ」

 羽村が悔しそうに言った。その声がたくさんの拍手にかき消されてしまう。

「じゃ、がんばってねー」

 そう言って、彼女は友人たちを探しに、ひと波の中へ消えた。
 たちまち辺りは騒然となる。メイド服やきぐるみ、大きなマスコットキャラクターや手作りの衣装を見に付けた生徒、おそろいのTシャツを着たクラス、部活のユニフォーム姿でごった返した。
 すると、グラウンド特設ステージで吹奏楽部の演奏が始まった。楽器が一斉に音を揃える。その大きな衝撃に、その場にいた生徒たちが歓声をあげた。中には踊りだす女子グループもいる。流行りの邦楽をアレンジした演奏だ。

「すーずーかー!」

 ごった返す人波の中を、こころがかいくぐって走ってきた。三つ編みがわずかに崩れている。

「開会式、間に合った?」
「アウトだった」
「えぇーっ! んもう、せっかくきれいな開会式だったのにー!」

 空へ昇っていく風船を見上げながら、こころは惜しむように絶叫した。がっくりと項垂れ、涼香の手を握る。そして、密やかに聞いた。

「羽村さんとは仲直りできた?」

 心配だったに違いない。そんな彼女の頭を小突き、涼香はあっけらかんとうなずいた。

「うん」
「そっか。んじゃ、今日は全力で楽しんじゃおう!」

 校舎へ戻って、お祭りムードの廊下を過ぎる。例えようのない愉快な気分。足は幾分軽やかだ。
 教室のドアを開け放つと、スタンバイしているクラスメイトたちのはしゃいだ声が飛びこんでくる。陽気な圧迫感に怖気づくも、こころが後ろからポンと背中を押した。

「さぁ、文化祭だ!」

 ***

 午前十時。順当にいけば、郁音はいまごろ部室で困っているはずだろう。
 一年二組のパンケーキ屋は一般解放された午前中は客足がピークだった。一組のアイスが好評で、いまや当番じゃない羽村やこころまでが裏でパンケーキを焼く作業に徹している。
 優也と明はバスケ部に顔を出しており、いまは教室にはいない。こころの企みも鳴りをひそめているようだ。

「ちょっとトイレに行ってくる」

 こころにそれだけ言い、涼香は廊下に出て、すぐさまスマートフォンを操作した。美作郁音の電話番号を呼び出す。

「あ、もしもし、郁ちゃん? そっちはどんな様子?」

 何度目かのコールで、郁音が電話に応じた。

『涼香じゃん。えーっと、どんな様子って、そんな急に言われても……』

 郁音は切羽詰まった声で叫んだ。思わず耳から画面を離し、涼香は顔をしかめて聞いた。

「いま、現在進行形で超やばい非常事態発生中じゃないの?」
『どうなんだろ。まぁ、そんな予感はしてるよね。て言うか、私たちのこと、どこかで見てるの?』
「……いやぁ、そんな予感がしただけですよ」

 怪しく含むように言えば、郁音は思考停止したように「あー」と腑抜(ふぬ)けた声を垂れ流した。おおかた、彼女の後ろでは麟と雫が口喧嘩をしているところだろう。目に浮かぶ。
 しかし、予想よりも郁音の声は「超やばい」というほどに焦ってはいなかった。

『いまね、麟と雫が喧嘩しててさー。出番もうすぐなのに冷戦状態』
「喧嘩してるんなら、止めなよ」
『や、でも、これくらいいつものことだし』

 彼女の声は呆れた調子で、苦笑が混ざっている。あの激しい大喧嘩はまだ始まっていないようだ。
 思えば、最初の世界では二人の喧嘩が起きていたのか定かじゃない。この違和感に気がつき、涼香は唸った。時間のズレはあっても、BreeZeの解散危機は訪れる。いまの段階で冷戦状態なら、本番までに麟の大爆発が起きかねない。

「でも、それならなおさら郁ちゃんがしっかりしないとダメだよ。バンド、続けたいでしょ? ここで終わりにしたらもったいないよ」
『うーん……そこまで深刻じゃないんだけどね』

 なんとも煮え切らない。郁音だけを説得するには(らち)が明かないので、涼香はピシャリと言い放った。

「ちょっと、伊佐木に変わって」
『え? なんで?』
「いいから早く!」
『えぇー? うーん……わかった』

 郁音の声が遠のく。電話口がざわざわと慌ただしくなる。ノイズが走り、やがて無愛想な麟の声が聞こえた。

『はい、どちらさま。こっちはいま忙しいんですけど』
「郁ちゃんの友達の大楠です。私、BreeZeのライブ、楽しみにしてるんだからさ、くだらないことで喧嘩しないで。あと、うちの郁ちゃんは午後から当番なので、こっちに速やかに回してください。以上!」

 (たた)み掛けるように言えば、その圧力に押されたようで、麟は困惑気味に唸った。

『えーっと……うーん……あー、はい、わかりました……つーか、お前はなんなんだよ!』

 我にかえったらしく、彼の声が徐々に熱を帯びる。それをもひっくり返そうと、涼香は強く厳しい口調で言い放った。

「文化祭実行委員よ。あと、あんたたちのファンだから。それ以外の何者でもない!」

 一方的に通話を切る。これで少しは頭が冷えたらいいけれど。
 しかし、こちらの問題はついでだ。郁音のことも気がかりでいたし、なにより過去をたどるには避けては通れない道だと思う。
 スマートフォンをカーディガンのポケットに押し込み、いまだ慌ただしい教室に向かった。

 ***

 ふかふかと弾力のあるクリーム色の生地に、真っ白な雪どけのような生クリームを絞る。そして、ドライフルーツと乳白色のバニラアイスを添えると、一年二組特製アイスパンケーキの完成だ。これがかなり好評で、一組のアイス問題も解決の(きざ)しが見える。

「大楠ー」

 呼んだのは羽村だった。彼女は今朝からずっとこの調子だ。(なつ)かれるのも困りものだが、客足もいったんは引いたこともあり、涼香はゆるく返事をかえした。

「なに?」
「ちょっと休憩してきなよ。寺坂も戻ってくるし」
「それなら、なおさらこっから出たくないわ」

 優也と入れ違いになるのは嫌だ。羽村がわざと言っているのがわかり、涼香は素直にふくれっ面を見せた。その頬を羽村が「えい」と人差し指で突き刺してくる。

「ちょっとくらい、私に寺坂貸してよ」
「ダメ! そのお願いは聞きません!」
「なんだと、このケチんぼめ」

 悪態を見せつつ、彼女はどこか楽しげだった。

「冗談じゃん。まぁ、真面目な話、美作さんがこっちに来れそうなら、あんたたち二人で文化祭デートでもしてきたら? それくらいの後押しはしてあげるよ」

 目を白黒させる涼香に、羽村は照れ隠しに笑う。二人の間で確実に空気が変わった。羽村の素直な協力が嬉しい。さっそくエプロンを外して押し付ける。
 こんな風に打ち解けられるなんて思いもしなかった。こころとはまた違う友情を感じ、文化祭の熱もあいまって浮かれてしまう。

「あれ? そう言えば、こころ知らない?」

 見回すと、教室にあのふわふわの三つ編みがいないことに気がつく。さっきまでパンケーキを焼いていたはずなのに。

「さぁ……トイレじゃない?」

 羽村も行方を知らないらしい。

「はい、行った行った。ここは任せて、楽しんでおいで」

 慌ただしく背中を押され、涼香は祭りばやしの中へようやく飛び込んだ。
 結局、今朝は優也と二人きりになることもなく、彼とこころの作戦はまだ果たされていない。こころがいま、なにを考えているかはわからないが、優也へ告白の指示を送っているのは容易に想像できる。今朝の段階で作戦が行使されないとなれば、あとは後夜祭で再び実行しようと企む。その前に優也へ告白して、なんのわだかまりもなく文化祭を終える。最後はBreeZeのライブを観て大団円。これで完璧だ。
 涼香は廊下に貼られたポスターを見ながら、優也へ電話をかけた。その後ろでは客引きの生徒たちであふれかえっている。

「サッカー部、サッカー部のイカ焼き亭は、玄関前露店にありまーす。よろしくお願いしまーす」
「体育館ステージにて、演劇やりますよー! 開演は十四時からでーす! どうぞご観覧くださーい!」

 コールが続く。優也はなかなか電話に出てくれない。
 一度切って、もう一度かけ直した。

「ばけがく実験室に興味ないですかー? 化学室で大実験やってまーす。次の実験は、銅貨を金に変える錬金術でーす。ご興味ありましたら、ぜひB棟の化学室へー」
「かるた部の百人一首、ぜひご参加ください! そこのあなた! かるたやりましょう! かるた! 初心者でも大丈夫ですよー!」
「漫研部誌販売中でーす。『その夢は、誰の夢?』略して『ゆめだれ』! 気鋭(きえい)の作家とりそろえてまーす!」

 元気な声に電話のコールがかき消され、涼香は頬をふくらませた。仕方なく、辺りを見回して目ぼしい食べ物屋を探す。玄関前の露店に行けば、なんでもそろうだろう。
 アイスとパンケーキを食べすぎて、舌は甘さが残っている。しょっぱいものがほしい。そのとき、記憶のフィルムを巻き戻して思いついた。

「からあげ食べよ」

 そこに行けば優也がいるかもしれない。