「タイムリープはもうしない。ここが私の居場所だから」
自室でボソボソと唱えると、いくらか安心できた。
どんなに痛みを分け合ったとしても、涼香はまだこころに打ち明けられない。このことは胸に秘めておかなければいけないだろう。それに、もう忘れてしまいたい。でないと、誰にも許されないような気がした。ここでもやはり甘えてしまい、不甲斐なく思いつつも隠し通す決意を固める。
「……でも」
でも、明はどうなる。もし、最初の世界が正しい道だったのなら、あの続きはどうなっていたんだろう。明を傷つけずにいた世界になったのだろうか。あのときも、明は涼香の顔色をうかがって優しく慰めようとしていた。
二回目も同じく。優也と別れ、最初よりも大きな喪失感を知ってしまったあとにも彼は優しく慰めようとしていた。そこに下心があったとしても、彼の優しさは本物だった。それに、あのままなら明に流されても仕方がなかった。つくづく簡単に左右されやすい。自我がない宙ぶらりんな自分が恨めしくなる。
「はぁ……どっちにしてもしんどい世界だなぁ。どこで間違ったんだろ」
ベッドに寝転がり、涼香はスマートフォンを開いた。
こころは明日、彼にきちんと謝罪すると言っていた。だったら、こちらも明に言わなければいけないことがある。
トークアプリを開いて、明のアカウントを呼び出す。迷いなく文字を入力した。
【今日はごめんなさい。また、改めて話そう】
明の返事も待たず、優也のアカウントを呼び出した。このことは優也にも報告しないといけない。こちらはメッセージではなく、電話にする。
『もしもし? どうした?』
コールが何度か続いたあと、ようやく電話がつながった。
「こんな時間にごめん。話したいことがあるの」
起き上がり、自然とベッドの上で正座する。どうにもかしこまってしまい、喉の奥が緊張した。声が固くなると、電話の奥の優也も察したように唸る。
『なに?』
「明のことなんだけど」
『またか』
うんざりともとれる優也の声音だが、諦めにも似た息が聞こえた。それをかき消すように、涼香は一息に言う。
「今日、明に告白された。知らなかったの。明にどんな風に思われているか、全然気づかなかった」
『……お前って、本当に鈍感だもんな』
怒られるかと思いきや、拍子抜けするほどに軽い冷やかしが返ってきた。
『それで? 断ったんだろ?』
「それが」
『え? まさか断ってないの?』
途端に優也の声が不審を帯びる。その声が強く耳を責め立て、涼香の口は慌てた。
「違う! 聞いて。そもそも付き合う気はないし、明だってそんなつもりは……いや、あるのか。とにかく、はっきりとは話せなかったの。途中でこころが間に入るしで、明が怒っちゃって」
『待て待て、意味わかんねぇよ。なにがどうしたのか、ちゃんと言ってくれ。いまからどっかで会う?』
彼の声もますます急ぎ、ノイズが遮った。慌ただしい衣擦れの音が聞こえてくる。ジャンパーを持って外に出ようとする様が見て取れた。
「ごめん。落ち着いて話すから、そのまま聞いて」
もう夜も更ける。午前〇時が近い。いまにでも飛んできそうな優也をなだめ、涼香は放課後に起きたことをつっかえながらも話した。
明に優也との仲直りをお願いしたこと。明に告白されたこと。こちらは付き合う気はないし、絶対になびかないこと。もう友達ではいられなくなること。明に告白させようとしたのがこころで、彼女が盗み聞きしていたこと。明が怒り、話が中断したこと。
ゆっくりと、なるべく感情を尖らせないように話すと、優也は不満そうにも黙って聞いてくれた。
『はー……それなら俺も呼べよな。いや、でも俺が行ったらややこしくなりそうだな……まったく、お前らは』
「ごめん」
『いや、俺も悪いよ。こっちの問題に巻き込んだようなものだし。まぁ、無関係ってわけじゃないんだけどな』
おそらく彼も後悔している。しきりに繰り出すため息を聞くたびに、涼香の罪悪感が増した。
『ごめん、涼香。俺がちゃんと明に向き合わなかったから、こんなことになったんだ。本当にごめん』
「ううん。私のほうが悪いよ。私が優也を不安にさせてたのは間違いないし、中途半端にしてた私が悪い」
『いやいや、俺が勝手に不安になってただけだし……あぁ、もう。やめよう。どっちが悪いとか、誰のせいだとかいう問題じゃねぇ』
確かに、謝罪の応酬はそろそろ不毛なものになってきた。潔くピシャリと言われてしまえば、言葉に詰まる。
黙り込んでいると、優也も何を言おうか迷っており「うーん」と長い唸りが聞こえた。沈黙が苦手な彼は思案に暮れると、決まって深く唸る。
『そもそも、なんで右輪が明にそんなことをさせたのかがわかんねぇな』
やがて、彼は不思議そうに言った。
「明に諦めてもらうためでしょ。区切りをつけたかったって、明も言ってたし。いつまでも叶わない恋愛を引きずってても仕方ないでしょ」
『じゃあ、そういう場を設けたって感じ? 明が怒ったのは、右輪のせいってことか』
「こころのせいだけじゃないよ。私もどうしていいかわからなくて、ずっと黙ってたし」
『お前に対して怒ったのは、八つ当たりだろ』
厳しい言葉が突き抜ける。涼香はやり場のないため息を吐いた。
「明ってさ、普段は全然怒らないよね……でも、今日はかなり怒ってた」
『普段怒らないやつが怒ると、めちゃくちゃ怖いって言うしな……そっか』
意外だと言いたげな優也の声。そこからも、明の性格がわかる。また、二年の冬までは親友として仲が良かった優也にも怒った顔を見せない明が、あんなに感情を尖らせたということは、よほどのことだ。それくらい思いを募らせて、苦しめていた。明の思いがとても重い。
『明を怒らせる右輪って、ある意味大物だな』
こちらの重さとは打って変わって、優也は軽く鼻で笑い飛ばしてきた。不謹慎な音が過敏にいらだちを揺り動かす。
「のんきなこと言ってる場合じゃないでしょ。私、明にちゃんと話して、諦めてもらいたいの。こころとも仲直りしてほしいし、できれば優也とも」
『それこそのんきな話だな。そううまくいくわけがない』
「だったら、どうすればいいの?」
『そうだなぁ……』
答えはなんとなく出てきている。しかし、諦めが悪い。なんとか丸くおさまる解決法がないか、その望みを優也にたくす。
彼はしばらく考えた。珍しく沈黙が続き、静寂が怖い。
『……やっぱり無理だよ。俺はともかく、明も右輪も許し合えないとこまできてるだろうし、形だけ仲直りしても、もう前のようにはなれない。戻れないと思う』
出てきたものは、虚しい結論だった。
『しょうがないんだよ。もしかすると俺たちは高校までの関係で終わるんだろう。そういう風にできてたんだ』
「やめてよ。そんなの、私が納得できない」
『いい加減、諦めてくれよ』
優也の声がわずかにいらだった。涼香はすぐに黙った。息を飲んだ音が電話口に届いたらしく、優也は気まずく唸る。
しばらく考えたのち、彼は静かに言った。
『……バスケってさ、五人の連携なんだよな』
「え?」
『たとえ話』
脈絡のない言葉は、諭すような節がある。
『味方を信頼して、パスを出してボールを運んでシュートする。それぞれ一人ずつポジションが決まってて、フォーメーションもある。緻密に練った作戦と、絶大な信頼を持って試合にのぞむ。シンプルに考えたらそんな感じで、これは人間関係も同じだと思う』
「はぁ」
『逆に、信頼できない相手にはパスは出せない。言ってることわかる?』
「うーん……」
『要するに、迷ってると試合にならない。勝負の世界は甘くないってこと。これから高校卒業して、大学入って、就職して、フィールドだけじゃなくポジションも変わっていくんだよ。いちいち気をとられてたら次に進めないだろ。それが言いたかったんだよ』
口調とは裏腹に、言葉は厳しい。優しい言い方が、かえって寂しさを増長させる。
『俺も明と話をつけるよ。でも、あんまり期待すんな。惚れた女をここまで悩ませといて、挙句に八つ当たりするようなやつとは、もう友達に戻れない。俺、そこまで優しくねぇから』
彼もまた怒っている。はっきりと口に出されると、冷や水をかぶったような寒気を覚えた。
全員がばらけてしまうなんていう最悪な結末に太刀打ちできない。現実を受け入れられない。子どもじみたわがままだとはわかっていても、おとなしく引き下がれない。
どうしたらいいんだろう。なにか解決策があるはずだ。
無駄な足掻きはかえって虚しくなる。わかっていても、なかなか諦められない。
「……ねぇ、優也」
涼香は静かに言った。
「さかさ時計のおまじないって、知ってる?」
『は? なに急に』
優也は素っ頓狂な声を返した。小さく忍び笑う声が漏れている。そんな彼の調子には合わせず、涼香はなおも声を低めて言った。口が淡々と白状していく。
「私、実は優也と別れる世界を見たの。だから、過去をやり直してきたの。さかさ時計のおまじないでタイムリープして、晴れて優也と別れない世界をつくったの」
願ったはずの世界は、あまりにも寂しく、身勝手で息苦しい。友達を犠牲にした罪悪感で頭が痛くなる。どこにたどりついても、バッドエンドが待っているから、きっとこの世界にも嫌われているんだろう。そんな悲観が渦巻いた。
『なにバカなこと言ってんだよ。その冗談はきついって。面白くねぇ』
喪失を噛みしめる涼香の告白を、優也は深刻に受け止めてはくれなかった。
『それに、俺が涼香と別れる世界はありえねぇよ。悪い夢でも見たんじゃねぇの?』
そうだったらいいのに。
でも、それこそ夢物語に過ぎないし、考えが甘いと思う。高校を卒業して大学に入学して、就職した先でも一緒にいられる保証はない。
言い返したくても言葉は声にならず、涼香は小さな笑いを投げた。
「あーはははは……そーだよねぇ。いや、ほんと、どうかしてる。なんか、悲しすぎて変なこと考えてた。ごめん、忘れて」
***
通話を切ったあと、涼香はベッドに寝転がった。体が重たい。明日は文化祭だというのに、心は浮かない。行きたくない。面倒だ。
でも、自分がしでかしたことの始末はしなくてはいけない。
スマートフォンに通知はなく、明からの返事は見込めそうになかった。それでも、彼と話をしたい。優也に言われたとおり、修復は望めなくてもきちんと折り合いをつけたい。それくらいしなければ、この罪悪感を抱えて優也とつき合っていくのは難しいだろう。
——どうしよう。
とたんに不安な未来が見えてしまい、必死に振り払った。彼との別れが、やはり来てしまうのだろうか。そんな未来を先延ばしにしているだけじゃないか。それにもしも、この先、また同じように人間関係でつまずいたら、そのときはどうやって回避したらいい。
「あぁ、もう。バカみたい」
考えるだけ無駄だ。そもそも、もう一度過去に戻れる保証はない。何度もたやすくことが運べば、人生は苦労しない。
反省すると決めたくせに、いつまで悩んでいるつもりだろう。目の前のことを大事にしていけば、また明るい未来を描けるはずだ。
——ありえないよね。私たちが別れるなんて。ありえない。
もし、またタイムリープして大団円の世界を築けるのなら——そんな保証もない。鉛筆の軌道を消しゴムで雑に削れば粗が出る。それと同じように、どんどん汚くなっていくだろう。
「ごめんね、明。こころ」
二人との仲を引き裂いてでも、この恋を選ぼう。いまは、この時間を大事にしていきたい。
厚かましくも、楽な道を願う自分がどうしようもなく弱くて、かっこ悪い。つくづく弱い。でも、この弱さに向き合えるほどの精神力はまだない。
涼香は枕を叩いた。バンバンと思い切り叩いてみても、このどうしようもない感情はおさまりそうにない。
「……それでも、タイムリープはしない! 絶対に!」
もう二度と振り返るものか。
蹴りをつけるように、涼香はスマートフォンの画面をひっくり返し、電気を消した。ベッドに潜りこむ。
同時に息を止めた。アナログの時計が時を刻む音を聞く。カチカチと一定のリズムで鳴る音に、極度に怯えた。刻々と焦燥が煽ってくる。闇に目が慣れてくると、時計の針がどの位置にあるのかがわかった。
午前〇時が、過ぎる。
「——はっ」
水の底から這い上がるように息を吸い込むと、わずかに肺が軋んだ気がした。
自室でボソボソと唱えると、いくらか安心できた。
どんなに痛みを分け合ったとしても、涼香はまだこころに打ち明けられない。このことは胸に秘めておかなければいけないだろう。それに、もう忘れてしまいたい。でないと、誰にも許されないような気がした。ここでもやはり甘えてしまい、不甲斐なく思いつつも隠し通す決意を固める。
「……でも」
でも、明はどうなる。もし、最初の世界が正しい道だったのなら、あの続きはどうなっていたんだろう。明を傷つけずにいた世界になったのだろうか。あのときも、明は涼香の顔色をうかがって優しく慰めようとしていた。
二回目も同じく。優也と別れ、最初よりも大きな喪失感を知ってしまったあとにも彼は優しく慰めようとしていた。そこに下心があったとしても、彼の優しさは本物だった。それに、あのままなら明に流されても仕方がなかった。つくづく簡単に左右されやすい。自我がない宙ぶらりんな自分が恨めしくなる。
「はぁ……どっちにしてもしんどい世界だなぁ。どこで間違ったんだろ」
ベッドに寝転がり、涼香はスマートフォンを開いた。
こころは明日、彼にきちんと謝罪すると言っていた。だったら、こちらも明に言わなければいけないことがある。
トークアプリを開いて、明のアカウントを呼び出す。迷いなく文字を入力した。
【今日はごめんなさい。また、改めて話そう】
明の返事も待たず、優也のアカウントを呼び出した。このことは優也にも報告しないといけない。こちらはメッセージではなく、電話にする。
『もしもし? どうした?』
コールが何度か続いたあと、ようやく電話がつながった。
「こんな時間にごめん。話したいことがあるの」
起き上がり、自然とベッドの上で正座する。どうにもかしこまってしまい、喉の奥が緊張した。声が固くなると、電話の奥の優也も察したように唸る。
『なに?』
「明のことなんだけど」
『またか』
うんざりともとれる優也の声音だが、諦めにも似た息が聞こえた。それをかき消すように、涼香は一息に言う。
「今日、明に告白された。知らなかったの。明にどんな風に思われているか、全然気づかなかった」
『……お前って、本当に鈍感だもんな』
怒られるかと思いきや、拍子抜けするほどに軽い冷やかしが返ってきた。
『それで? 断ったんだろ?』
「それが」
『え? まさか断ってないの?』
途端に優也の声が不審を帯びる。その声が強く耳を責め立て、涼香の口は慌てた。
「違う! 聞いて。そもそも付き合う気はないし、明だってそんなつもりは……いや、あるのか。とにかく、はっきりとは話せなかったの。途中でこころが間に入るしで、明が怒っちゃって」
『待て待て、意味わかんねぇよ。なにがどうしたのか、ちゃんと言ってくれ。いまからどっかで会う?』
彼の声もますます急ぎ、ノイズが遮った。慌ただしい衣擦れの音が聞こえてくる。ジャンパーを持って外に出ようとする様が見て取れた。
「ごめん。落ち着いて話すから、そのまま聞いて」
もう夜も更ける。午前〇時が近い。いまにでも飛んできそうな優也をなだめ、涼香は放課後に起きたことをつっかえながらも話した。
明に優也との仲直りをお願いしたこと。明に告白されたこと。こちらは付き合う気はないし、絶対になびかないこと。もう友達ではいられなくなること。明に告白させようとしたのがこころで、彼女が盗み聞きしていたこと。明が怒り、話が中断したこと。
ゆっくりと、なるべく感情を尖らせないように話すと、優也は不満そうにも黙って聞いてくれた。
『はー……それなら俺も呼べよな。いや、でも俺が行ったらややこしくなりそうだな……まったく、お前らは』
「ごめん」
『いや、俺も悪いよ。こっちの問題に巻き込んだようなものだし。まぁ、無関係ってわけじゃないんだけどな』
おそらく彼も後悔している。しきりに繰り出すため息を聞くたびに、涼香の罪悪感が増した。
『ごめん、涼香。俺がちゃんと明に向き合わなかったから、こんなことになったんだ。本当にごめん』
「ううん。私のほうが悪いよ。私が優也を不安にさせてたのは間違いないし、中途半端にしてた私が悪い」
『いやいや、俺が勝手に不安になってただけだし……あぁ、もう。やめよう。どっちが悪いとか、誰のせいだとかいう問題じゃねぇ』
確かに、謝罪の応酬はそろそろ不毛なものになってきた。潔くピシャリと言われてしまえば、言葉に詰まる。
黙り込んでいると、優也も何を言おうか迷っており「うーん」と長い唸りが聞こえた。沈黙が苦手な彼は思案に暮れると、決まって深く唸る。
『そもそも、なんで右輪が明にそんなことをさせたのかがわかんねぇな』
やがて、彼は不思議そうに言った。
「明に諦めてもらうためでしょ。区切りをつけたかったって、明も言ってたし。いつまでも叶わない恋愛を引きずってても仕方ないでしょ」
『じゃあ、そういう場を設けたって感じ? 明が怒ったのは、右輪のせいってことか』
「こころのせいだけじゃないよ。私もどうしていいかわからなくて、ずっと黙ってたし」
『お前に対して怒ったのは、八つ当たりだろ』
厳しい言葉が突き抜ける。涼香はやり場のないため息を吐いた。
「明ってさ、普段は全然怒らないよね……でも、今日はかなり怒ってた」
『普段怒らないやつが怒ると、めちゃくちゃ怖いって言うしな……そっか』
意外だと言いたげな優也の声。そこからも、明の性格がわかる。また、二年の冬までは親友として仲が良かった優也にも怒った顔を見せない明が、あんなに感情を尖らせたということは、よほどのことだ。それくらい思いを募らせて、苦しめていた。明の思いがとても重い。
『明を怒らせる右輪って、ある意味大物だな』
こちらの重さとは打って変わって、優也は軽く鼻で笑い飛ばしてきた。不謹慎な音が過敏にいらだちを揺り動かす。
「のんきなこと言ってる場合じゃないでしょ。私、明にちゃんと話して、諦めてもらいたいの。こころとも仲直りしてほしいし、できれば優也とも」
『それこそのんきな話だな。そううまくいくわけがない』
「だったら、どうすればいいの?」
『そうだなぁ……』
答えはなんとなく出てきている。しかし、諦めが悪い。なんとか丸くおさまる解決法がないか、その望みを優也にたくす。
彼はしばらく考えた。珍しく沈黙が続き、静寂が怖い。
『……やっぱり無理だよ。俺はともかく、明も右輪も許し合えないとこまできてるだろうし、形だけ仲直りしても、もう前のようにはなれない。戻れないと思う』
出てきたものは、虚しい結論だった。
『しょうがないんだよ。もしかすると俺たちは高校までの関係で終わるんだろう。そういう風にできてたんだ』
「やめてよ。そんなの、私が納得できない」
『いい加減、諦めてくれよ』
優也の声がわずかにいらだった。涼香はすぐに黙った。息を飲んだ音が電話口に届いたらしく、優也は気まずく唸る。
しばらく考えたのち、彼は静かに言った。
『……バスケってさ、五人の連携なんだよな』
「え?」
『たとえ話』
脈絡のない言葉は、諭すような節がある。
『味方を信頼して、パスを出してボールを運んでシュートする。それぞれ一人ずつポジションが決まってて、フォーメーションもある。緻密に練った作戦と、絶大な信頼を持って試合にのぞむ。シンプルに考えたらそんな感じで、これは人間関係も同じだと思う』
「はぁ」
『逆に、信頼できない相手にはパスは出せない。言ってることわかる?』
「うーん……」
『要するに、迷ってると試合にならない。勝負の世界は甘くないってこと。これから高校卒業して、大学入って、就職して、フィールドだけじゃなくポジションも変わっていくんだよ。いちいち気をとられてたら次に進めないだろ。それが言いたかったんだよ』
口調とは裏腹に、言葉は厳しい。優しい言い方が、かえって寂しさを増長させる。
『俺も明と話をつけるよ。でも、あんまり期待すんな。惚れた女をここまで悩ませといて、挙句に八つ当たりするようなやつとは、もう友達に戻れない。俺、そこまで優しくねぇから』
彼もまた怒っている。はっきりと口に出されると、冷や水をかぶったような寒気を覚えた。
全員がばらけてしまうなんていう最悪な結末に太刀打ちできない。現実を受け入れられない。子どもじみたわがままだとはわかっていても、おとなしく引き下がれない。
どうしたらいいんだろう。なにか解決策があるはずだ。
無駄な足掻きはかえって虚しくなる。わかっていても、なかなか諦められない。
「……ねぇ、優也」
涼香は静かに言った。
「さかさ時計のおまじないって、知ってる?」
『は? なに急に』
優也は素っ頓狂な声を返した。小さく忍び笑う声が漏れている。そんな彼の調子には合わせず、涼香はなおも声を低めて言った。口が淡々と白状していく。
「私、実は優也と別れる世界を見たの。だから、過去をやり直してきたの。さかさ時計のおまじないでタイムリープして、晴れて優也と別れない世界をつくったの」
願ったはずの世界は、あまりにも寂しく、身勝手で息苦しい。友達を犠牲にした罪悪感で頭が痛くなる。どこにたどりついても、バッドエンドが待っているから、きっとこの世界にも嫌われているんだろう。そんな悲観が渦巻いた。
『なにバカなこと言ってんだよ。その冗談はきついって。面白くねぇ』
喪失を噛みしめる涼香の告白を、優也は深刻に受け止めてはくれなかった。
『それに、俺が涼香と別れる世界はありえねぇよ。悪い夢でも見たんじゃねぇの?』
そうだったらいいのに。
でも、それこそ夢物語に過ぎないし、考えが甘いと思う。高校を卒業して大学に入学して、就職した先でも一緒にいられる保証はない。
言い返したくても言葉は声にならず、涼香は小さな笑いを投げた。
「あーはははは……そーだよねぇ。いや、ほんと、どうかしてる。なんか、悲しすぎて変なこと考えてた。ごめん、忘れて」
***
通話を切ったあと、涼香はベッドに寝転がった。体が重たい。明日は文化祭だというのに、心は浮かない。行きたくない。面倒だ。
でも、自分がしでかしたことの始末はしなくてはいけない。
スマートフォンに通知はなく、明からの返事は見込めそうになかった。それでも、彼と話をしたい。優也に言われたとおり、修復は望めなくてもきちんと折り合いをつけたい。それくらいしなければ、この罪悪感を抱えて優也とつき合っていくのは難しいだろう。
——どうしよう。
とたんに不安な未来が見えてしまい、必死に振り払った。彼との別れが、やはり来てしまうのだろうか。そんな未来を先延ばしにしているだけじゃないか。それにもしも、この先、また同じように人間関係でつまずいたら、そのときはどうやって回避したらいい。
「あぁ、もう。バカみたい」
考えるだけ無駄だ。そもそも、もう一度過去に戻れる保証はない。何度もたやすくことが運べば、人生は苦労しない。
反省すると決めたくせに、いつまで悩んでいるつもりだろう。目の前のことを大事にしていけば、また明るい未来を描けるはずだ。
——ありえないよね。私たちが別れるなんて。ありえない。
もし、またタイムリープして大団円の世界を築けるのなら——そんな保証もない。鉛筆の軌道を消しゴムで雑に削れば粗が出る。それと同じように、どんどん汚くなっていくだろう。
「ごめんね、明。こころ」
二人との仲を引き裂いてでも、この恋を選ぼう。いまは、この時間を大事にしていきたい。
厚かましくも、楽な道を願う自分がどうしようもなく弱くて、かっこ悪い。つくづく弱い。でも、この弱さに向き合えるほどの精神力はまだない。
涼香は枕を叩いた。バンバンと思い切り叩いてみても、このどうしようもない感情はおさまりそうにない。
「……それでも、タイムリープはしない! 絶対に!」
もう二度と振り返るものか。
蹴りをつけるように、涼香はスマートフォンの画面をひっくり返し、電気を消した。ベッドに潜りこむ。
同時に息を止めた。アナログの時計が時を刻む音を聞く。カチカチと一定のリズムで鳴る音に、極度に怯えた。刻々と焦燥が煽ってくる。闇に目が慣れてくると、時計の針がどの位置にあるのかがわかった。
午前〇時が、過ぎる。
「——はっ」
水の底から這い上がるように息を吸い込むと、わずかに肺が軋んだ気がした。