月曜日、ついこの間卒業したばかりの高校へ向かう。

春休みだから朔間先生がいるとは限らないし、訪ねるのなら午前中の方が良いかと考えたのだけれど、夏哉のメモに書かれていた放課後の時間帯、十六時過ぎに着く。


三年生が使っていた靴箱は綺麗に空っぽで、他の学年の靴箱にはいくつか上履きが残っている。休み中に持って帰っていない上履きは処分されると聞いていたけれど、これらは文化部の生徒のものだろうか。

来客用のスリッパは生徒玄関には置いていなくて、隅の靴箱に入っていた適当な上履きを拝借した。


傾き始めた陽の光が窓から射し込んで、空中に舞う埃がきらきらと輝く。吸わないように、息を止めて歩いた。

グラウンドには疎らに人が散っていて、足に馴染まない上履きは歩く度にかかとが抜ける。

階段で三階に上がり、記憶を頼りに突き当たりを目指す。もしここが違ったら渡り廊下の向こう、それでも違えば二階に下りて虱潰しに探すことになる。


そんな徒労は必要なく、三階の突き当たりにその部屋はあった。

化学準備室のドアをノックするのは初めてだ。そもそも、化学の授業で移動したことがない。受け持っていたのも朔間先生ではなくもっと年配の女性だった。


何度かノックをするも返事はなく、試しにドアに手をかけても鍵がかかっているようで、虚しく引っかかる。


ユリに会いに行くまでに散々渋ったり、ナオキに手紙をすぐに渡せなかったこともあり、随分と時間がかかってしまった。

ユリに会いに行った時点で、遅かったのだけれど。

最後に来るのが学校だと知らなかったのだから、仕方がない。


最後にもう一度ノックをして、やっぱり返事がないことを確認したあと、爪先の向きを変えた。


「私服で校舎に入ると、卒業生とはいえ見過ごせないよ」

「……朔間、先生」


壁にもたれかかって、ずっと私を見ていたのかもしれない。

なんで気付かないかな、私も。


「橘さん。届けものかな、それとも、受け取るものがあるのかな」

「受け取るものなんて、なにもないです」


この手紙を渡したら、私の旅はおしまい。

夏哉を追いかけて、夏哉を知るための旅は、大団円もなく、今日幕を閉じる。


「僕が個人的に渡したいものもあるんだ。中へどうぞ」

「『も』って、どういう意味ですか」

「榊くんはとびきり甘いカフェオレが好みだったけど、橘さんはどうだろう」

「砂糖、いらないです」


鍵を開けるのだと思ったのに、朔間先生はさっきまで私が必死で引っ張っていた方とは反対のドアに手をかけて、簡単に開いてしまった。

あの音、鍵の引っかかる音じゃなかったんだ。


「この部屋、端っこにあるから大抵の人はそっちのドアを開けようとするんだよね。僕しか使っていないし、見られて困るものもないのに鍵をかけるのは手間だろう? かといって、勝手に入られるのも気分がよくないから、ちょっとした仕掛けだよ」

「この仕掛け、破った人はいるんですか?」

「ここに来る物好きがそもそもいないけど、榊くんくらいかな」


同じ校内にいたのに、私は夏哉がここに来ていたことも知らなかった。

もう、情けないだとか悔しいだとか、そんな感情は持たない。


いなくなってはじめて、でもいい。

夏哉を追いかけて、夏哉を知ることができるのなら、それでいい。