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ユリへ
久しぶり、になるんだろうな。
ユリは冬華に聞かなくても、全部知っているよな。
中途半端で、悪い。
見守るから、と伝えた言葉は嘘ではないけれど、もうどれだけ手を伸ばしても、ユリを支えられる手にはならない、なれないから。
無責任で勝手な俺にできることがまだあるのなら。
この手紙は、最後のお節介だと思って読んで。
まず、俺のことで冬華を責めるのはやめてくれな。
冬華のせいじゃないんだ。
もちろん、ユリのせいでもない。
俺は今、苦しくないし、痛くもないんだ。
大丈夫だから、俺のためにユリと冬華を責めないで。
俺も冬華も、ユリも大丈夫。
何度も伝えたけれど、学校に行かないことは悪いことじゃないよ。
つらいとか、苦しいとか、そういうユリの気持ちの前に、罪悪感だとか焦燥感って壁があるんだよな。
それでその壁は、日増しに高く厚くなっていく、厄介なやつだったりする。
今のユリが踏み出すべき一歩ってのは、学校に行くことではないと思うのだけれど、でもそれは俺が与えるものでもないよな。
少なくとも、行きたくないと思う理由がユリのなかで形になっていて、どうすれば、って考えることは学校では教わらないことだ。
成績も友人関係も学校生活も、そんなものはどうだっていいといえるのなら、それこそ学校に行く意味なんてないけれど、どうでもいいとは言えないんだよな。
行きたくないなら行かなくていい、は救いの言葉のように思えるけれど、見捨てられたように感じてしまうのも、わかるよ。
でも、ユリの両親とか、アユミちゃんの『行きたくないなら行かなくていい、来なくていい』は『行くな、来るな』って意味ではないし、突き放したり見放す言葉ではないこと、ユリもわかってるよな。
わからないものにほど、人は慎重になるから。
ユリに触れる言葉や態度が余所余所しくて、腫れ物に触れるように感じてしまうのなら、それはみんながユリの気持ちを知りたくて、傷つけたくなくて、慎重になっている証拠だよ。
目に見えないものまで否定しようとするとユリがキツくなるだけだから、まずは、見えているものを疑って否定するといい。信じたいものはそのままに。
そうして残ったものが、きっと、ユリの行く道を示してくれる。
どんな道を選んでも、ユリの傍らにいてくれる。
背中を押されるのを待つよりも、手を伸ばしてみろ。
不安と隣合わせで期待をするよりも、信じられるものに手を伸ばしてみる方が、ずっといい。
ユリが思うよりもずっと、ユリの周りの人はあたたかいよ。
それから、これは最後の頼み。
冬華のこと、見ていてやって。
どうしたって、冬華をいちばん知っているのは俺とユリだから。
となりにいなくていい、支えてやれとも言わない。
でも、ユリのその距離なら、見ていてやることはできるだろ?
ユリ。
あのこと、ちゃんと伝えてな。
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