どのクラスもあまり作業の残りが少なかった今日、放課時間はいつもより少し早かった。
一度実行委員の方に戻るからと、屋上よりの帰り道に知音とは別れ、しかし話し合いも「明日から三日間、力を合わせて頑張ろう」程度のもので終り、汐里もすぐに教室で荷物を纏めて帰路についていた。
家までは徒歩で四十分程度。自転車くらい使えばいいものを、ゆっくりとマイペースに歩くのが好きなのだとかで却下。たまに、登下校の道中で素敵な出会いもあるからと、一度も使ったことは無いらしい。
だからと今日も今日とてゆっくりと歩いているのだが、その素敵は思いもよらない形で舞い込んで来た。
家へ続く直線道へと続く、最後の曲がり角。
そこへ辿り着いた時、少し先に見知った後ろ姿を見つけた。
自宅まではまだ二、三百メートル程あるからと、汐里は琢磨に呼びかけた。
『何だ?』
応じる琢磨に対し、汐里は強気に出た。
どうせもうあと少しなら、やれるだけのことはやってやる。そう置いて、
「ちょっと、本気でやってみるよ。恋ってやつ」
『は、恋…? って、会長は脈ナシだって前に――』
「昔から、とっても良い人でお兄ちゃんみたいで――でも、やっぱり大好きだなって。だから最後に、伝えられるだけのことは伝えないと。手遅れかもしれないけどね」
苦く笑う汐里の表情は、少し強張っていた。
何だ、保健室で行ったことは嘘っぱちで、本当はやっぱり気が合ったんじゃないか。
そう思うと、琢磨にも自然と応援する気が起きて来て、
『忘れてるなら何度でも言うぞ。ちょい足しの補填はしたが、紛れもない君の人生だ。俺の許可は必要ないだろ』
そんな言葉が口をついていた。
「――ありがと、琢磨!」
『……っ……!』
来るだなんてこれっぽちも思っていなかった不意打ち。
無自覚というものは、時に何より強力な武器らしい。
琢磨が言葉を返すが早いか、汐里は目的の方向へと走り出していた。
狙うは直線、五十メートル先。
「輝くん!」
汐里が呼びかけた相手は、その声にすぐに振り向いて微笑んだ。
茶臼山輝典。汐里の幼馴染らしい生徒会長だ。
「誰かと思えばしーか。マラソン大会はまだ先でしょ?」
「体力無いもん――って、そうじゃなくてさ。文化祭三日間の内どこかで、時間作れない?」
ドスレートな切り出しに、茶臼山は目を丸くして聞き返した。
「時間?」
「うん。お祭りとかこういう大きな行事って、小学校以来一緒に回ってないからさ。どうかなって思って」
恥じらうことなく平然と言ってのける汐里は、その実、後ろで組んでいる両手が僅かに震えていた。寒さではない、一目で分かる緊張の色に、琢磨は口出しをしないで見守る。
一日目はあれとあれ、二日目三日目もあれとあれ。そう言って三日間のスケジュールを空で確認する茶臼山に、汐里は少し強く唇を噛んだ。
と、「そう言えば」と茶臼山が思い出したように言った。
「明日の一日目、終わりの方でちょっとなら――三十分くらいかな。時間作れるけど、そこで良い?」
順々になぞっては駄目、駄目と繰り返す様子に希望を捨てていたが、その一言で汐里の表情は一気に和らいだ。
「うん、うん…! ありがと、楽しみにしてる!」
「はは。そういえば、昔から祭りはしーの好物だったからね。久しぶりで、僕も嬉しいよ」
そう言って、茶臼山は妹に接するが如く汐里の頭を撫でる。
知音の時とは違ってやけに熱くなる胸の奥。
(あぁ。私、やっぱり好きだったんだ)
『聞こえてるぞ』
(いいよ、減るもんじゃないし。応援してよね、分身さん)
『俺は君じゃない。まぁ、せっかく助けた相手なんだし、否が応でも応援したくもなるわな』
(素直でよろしい)
幾つかの月もまたぐと、段々と琢磨の扱いにも慣れてきて、たまにこうして少し弄っては喜んでいた。その度に琢磨は少し恥ずかしい思いをするのだが、それもまた良しと思える自分がいた。
「いつになるかは分からないけれど、その時間になったら電話で呼び出すよ。文化祭の時だけは校則の力もその限りでなくて良かった」
「ほんとにね。分かった、ありがと。午後からはフリーにしておくから、急がなくてもいいからね」
「了解。それじゃ」
爽やかに眩しい笑みを残すと、すぐ先の交差点で進路を変える茶臼山。
近所であるけれど、少しばかり帰宅の方向は違った。
前まではどうでも良かったのに、今は少し、それすらも惜しく感じてしまう。本当にその人のことが好きで、それに正直になった時、こんなにも胸がざわっとするものなのかと、汐里は十八年の生涯の中で初めて実感していた。
もう少し。そう自分で発した言葉に、一つ満足のいく結果を残せた。今までの自分なら、恐らく声をかけることも、追いかけもしなかっただろう。
遅ればせながら、大きな一歩が踏み出せた瞬間だった。
『おめでとさん、って言っておけば良いか? まぁ良かったじゃないか、断られなくて』
「うん……うん、ほんとにね。ダメだ、心臓、痛い」
『何で片言。それより、明日はちゃんとポケットにスマホ入れておけよ。君、いっつもバッグに入れっぱみたいだし』
「校則だからね。分かってるよ、ありがと」
短く礼を言う汐里。
ふん、と琢磨は鼻を鳴らしながら、万が一忘れていたら指摘してやらないとな、と思っていた。
しかし、”輝くん”に”しー”と呼び合う仲とは。
小説やドラマなんかだと、昔はそうやって読んでいたが、大きくなると呼ぼうにも呼べず、最終的にも実らない恋――というのが多いが。
とっくにデキてるんじゃないのか。
琢磨はふと、そんなことを直感していた。
無事上手くいった世紀のお誘いを終えると、再び帰路につく一人と一人。
家が見えてくると、琢磨は屋上で汐里が言っていたことを思い出した。
『そういや、あと一個隠してることがって言って――』
――キーン――
唐突でも、何度も経験していれば流石に慣れてきた入れ替わりに、リアクションすることなく話を続けた。
一度実行委員の方に戻るからと、屋上よりの帰り道に知音とは別れ、しかし話し合いも「明日から三日間、力を合わせて頑張ろう」程度のもので終り、汐里もすぐに教室で荷物を纏めて帰路についていた。
家までは徒歩で四十分程度。自転車くらい使えばいいものを、ゆっくりとマイペースに歩くのが好きなのだとかで却下。たまに、登下校の道中で素敵な出会いもあるからと、一度も使ったことは無いらしい。
だからと今日も今日とてゆっくりと歩いているのだが、その素敵は思いもよらない形で舞い込んで来た。
家へ続く直線道へと続く、最後の曲がり角。
そこへ辿り着いた時、少し先に見知った後ろ姿を見つけた。
自宅まではまだ二、三百メートル程あるからと、汐里は琢磨に呼びかけた。
『何だ?』
応じる琢磨に対し、汐里は強気に出た。
どうせもうあと少しなら、やれるだけのことはやってやる。そう置いて、
「ちょっと、本気でやってみるよ。恋ってやつ」
『は、恋…? って、会長は脈ナシだって前に――』
「昔から、とっても良い人でお兄ちゃんみたいで――でも、やっぱり大好きだなって。だから最後に、伝えられるだけのことは伝えないと。手遅れかもしれないけどね」
苦く笑う汐里の表情は、少し強張っていた。
何だ、保健室で行ったことは嘘っぱちで、本当はやっぱり気が合ったんじゃないか。
そう思うと、琢磨にも自然と応援する気が起きて来て、
『忘れてるなら何度でも言うぞ。ちょい足しの補填はしたが、紛れもない君の人生だ。俺の許可は必要ないだろ』
そんな言葉が口をついていた。
「――ありがと、琢磨!」
『……っ……!』
来るだなんてこれっぽちも思っていなかった不意打ち。
無自覚というものは、時に何より強力な武器らしい。
琢磨が言葉を返すが早いか、汐里は目的の方向へと走り出していた。
狙うは直線、五十メートル先。
「輝くん!」
汐里が呼びかけた相手は、その声にすぐに振り向いて微笑んだ。
茶臼山輝典。汐里の幼馴染らしい生徒会長だ。
「誰かと思えばしーか。マラソン大会はまだ先でしょ?」
「体力無いもん――って、そうじゃなくてさ。文化祭三日間の内どこかで、時間作れない?」
ドスレートな切り出しに、茶臼山は目を丸くして聞き返した。
「時間?」
「うん。お祭りとかこういう大きな行事って、小学校以来一緒に回ってないからさ。どうかなって思って」
恥じらうことなく平然と言ってのける汐里は、その実、後ろで組んでいる両手が僅かに震えていた。寒さではない、一目で分かる緊張の色に、琢磨は口出しをしないで見守る。
一日目はあれとあれ、二日目三日目もあれとあれ。そう言って三日間のスケジュールを空で確認する茶臼山に、汐里は少し強く唇を噛んだ。
と、「そう言えば」と茶臼山が思い出したように言った。
「明日の一日目、終わりの方でちょっとなら――三十分くらいかな。時間作れるけど、そこで良い?」
順々になぞっては駄目、駄目と繰り返す様子に希望を捨てていたが、その一言で汐里の表情は一気に和らいだ。
「うん、うん…! ありがと、楽しみにしてる!」
「はは。そういえば、昔から祭りはしーの好物だったからね。久しぶりで、僕も嬉しいよ」
そう言って、茶臼山は妹に接するが如く汐里の頭を撫でる。
知音の時とは違ってやけに熱くなる胸の奥。
(あぁ。私、やっぱり好きだったんだ)
『聞こえてるぞ』
(いいよ、減るもんじゃないし。応援してよね、分身さん)
『俺は君じゃない。まぁ、せっかく助けた相手なんだし、否が応でも応援したくもなるわな』
(素直でよろしい)
幾つかの月もまたぐと、段々と琢磨の扱いにも慣れてきて、たまにこうして少し弄っては喜んでいた。その度に琢磨は少し恥ずかしい思いをするのだが、それもまた良しと思える自分がいた。
「いつになるかは分からないけれど、その時間になったら電話で呼び出すよ。文化祭の時だけは校則の力もその限りでなくて良かった」
「ほんとにね。分かった、ありがと。午後からはフリーにしておくから、急がなくてもいいからね」
「了解。それじゃ」
爽やかに眩しい笑みを残すと、すぐ先の交差点で進路を変える茶臼山。
近所であるけれど、少しばかり帰宅の方向は違った。
前まではどうでも良かったのに、今は少し、それすらも惜しく感じてしまう。本当にその人のことが好きで、それに正直になった時、こんなにも胸がざわっとするものなのかと、汐里は十八年の生涯の中で初めて実感していた。
もう少し。そう自分で発した言葉に、一つ満足のいく結果を残せた。今までの自分なら、恐らく声をかけることも、追いかけもしなかっただろう。
遅ればせながら、大きな一歩が踏み出せた瞬間だった。
『おめでとさん、って言っておけば良いか? まぁ良かったじゃないか、断られなくて』
「うん……うん、ほんとにね。ダメだ、心臓、痛い」
『何で片言。それより、明日はちゃんとポケットにスマホ入れておけよ。君、いっつもバッグに入れっぱみたいだし』
「校則だからね。分かってるよ、ありがと」
短く礼を言う汐里。
ふん、と琢磨は鼻を鳴らしながら、万が一忘れていたら指摘してやらないとな、と思っていた。
しかし、”輝くん”に”しー”と呼び合う仲とは。
小説やドラマなんかだと、昔はそうやって読んでいたが、大きくなると呼ぼうにも呼べず、最終的にも実らない恋――というのが多いが。
とっくにデキてるんじゃないのか。
琢磨はふと、そんなことを直感していた。
無事上手くいった世紀のお誘いを終えると、再び帰路につく一人と一人。
家が見えてくると、琢磨は屋上で汐里が言っていたことを思い出した。
『そういや、あと一個隠してることがって言って――』
――キーン――
唐突でも、何度も経験していれば流石に慣れてきた入れ替わりに、リアクションすることなく話を続けた。