『類、ひとつだけ来世に役立つこと教えてあげる』
 そこまで言われて、俺は突然、脳に電流が走るような痛みを感じた。
 そうだ。思い出した……。
 俺が記憶を保てなくなった、大元の理由。
 それは、母親が死に際にかけた、呪いのようなこの言葉だった。
『大切なものなんてね、最初から作らなければいいのよ。そうしたら、何も自分から無くならない。幸福にも不幸にもならなくて済むんだから……』
 ひととおり言い終えた母親は、キッチンに向かうと、ガスまわりを何やらいじっている。
 途端に嫌な臭いが鼻をツンと突き刺し、俺はこれから起こることを完全に把握した。
 何も言えない。何も動けない。
 もうここで、終わってしまったほうがいいのだろうか。
 ここで死んで生まれ変わったほうがいいほどの、人生だったんだろうか。
 諦めと恐怖が、半々で自分に迫ってくる。
 父親のいびきが、鼓動をよりいっそう高まらせていく。
 ドクン、ドクン、という心音が、まるで太鼓の音を耳元で聴いているくらい大きく感じた。
 うつろな顔の母親は、眠たそうにしながら、出しっぱなしだったガスストーブに手をかける。
 もうダメだ。終わる。死ぬしかない。いやまだ間に合う。逃げられる。どっちだ。
 ……どっちだ。どうしたい、俺は。
 決断を出すよりも前に、俺はソファを飛び起きて、ソファのすぐ真横にある大きな窓から逃げ出した。
 思考よりも先に、体が生きようとしていた。
 逃げると同時に、母親の方を振り向いたが、彼女はすでに深い眠りに入っていた。
 俺は止まらずに、走って走って、走り抜けた。
 それからほどなくして、爆発音とともに火が家を覆いつくしている光景が、遠くから見えた。
 周りが田んぼだらけの田舎でよかったと、どこか冷静な自分に驚く。
 自然の中で燃え盛る火を、空に立ちのぼっていく真っ黒な煙を、俺はただただひとりで見つめている。
 すべてが無くなっていく光景を見つめながら、俺はぽつりと母親に言われた言葉をつぶやいた。
『大切なものなんて……なければいい……』
 本当だ。そんなもの最初からなければ、もうこれ以上傷つかなくて済む。
 とてもじゃないけれど、受け止めきれない現実を目の前にして、壊れていく自分を保つ方法が、逃避する以外思い浮かばなかった。
『全部……なかったことになればいい……』
 消えろ。消えていけ。