『あなたを孤独(ひとり)にしないためなの。分かって、類』
 静まり返ったリビングに、父親のいびきがこだましている。
 信じられないスピードで深い眠りに入った父親を見て、俺は子供ながらに何かを察知していた。
 これを食べたら、何かが終わる。
 そう思ったけれど、俺は無理やりシチューを食べさせられた。
 味がいつもより濃くて、味の違和感は抱かなかったけれど、どうしても飲み込むことができない。
 俺は飲み込んだ振りをして、母親が見ていない隙にティッシュに吐き出した。
 母親は無心でビーフシチューを頬張り、普段からは考えられないスピードでご飯を口には運んでいく。
 顔はぼやけていてよく見えないのに、一粒の涙が頬を伝っている瞬間だけははっきり見て取れた。
 すべて食べ終えると、母親はうつろな表情のまま、俺を父親がいるソファに連れていく。
 そして、頭からタオルケットをかけられ、布越しに目を手でふさがれた。
『眠いでしょう。おやすみ、類……』
 母親は、おそらく睡眠薬入りの料理を、俺たちに食べさせようとしたのだろう。
 十二歳の俺は、そんなことが予想できるくらいには大人に近づいていた。
 しかし俺は、食べたふりをしただけなので、ちっとも眠くはない。
 けれど、俺はこの場をやり過ごすために寝たふりをして、すうすうと寝息を立てるふりをしながら、タオルケット越しに薄目を開ける。生地が薄いので、かすかに景色が見える。
 全身にびっしょりと冷や汗をかいていると、突然母親の手が頭に触れた。
 母親の最後の一言が、なぜかいちだんとクリアに聴こえてくる。
『皆で生まれ変わって、全部やり直そうね……』
 母親は、泣きながら笑っていた。
 そんな壊れた表情で、彼女は心のうちを語り始める。
『類。あなたのこと、ちゃんと愛そうとしたけど、ごめんね。無理だった……。家族も何も大切にできないお父さんの血が、あなたにも流れてると思ったら、怖くなってきたの。あなたもお父さんと顔や仕草がだんだん似てきて、無口で、何を考えているのかも分からなくて……ずっと怖かった。あなたが大人になったら、私はあなたにも暴力をふるわれるかもしれないって……』
 青白く痩せこけた頬、色の抜けきった髪の毛、折れてしまいそうなほど細い腕……。
 母親が限界に達してしまったのは、誰が見てもわかるほどだった。