瀬名先輩は、とくに何も話さずに、そっと私の手を握ってくれた。
 冷えた鉄のように冷たい指なのに……不思議だ。ずっと繋いでいると、じんわりと温かくなってくるんだ。
 そんなことに驚いている私に、瀬名先輩はゆっくりとした口調で話しだす。
「……忘れられなくて当然だし、母親がお前を理解できなくて、当たり前だろ」
 繋いだ指の力が強くなり、私は瀬名先輩の顔を見つめた。
 彼は、まっすぐな瞳のまま、はっきりと一言、告げたのだった。
「お前と母親は別の人間なんだから」
 ――それは、私が何度も母親に言おうとして飲み込んだ言葉だった。
 それを、瀬名先輩は息をはくようにいとも簡単に言ってくれた。
 急に光が差したように目の前が明るくなって、ずっとずっと胸の奥隅に固まっていたどろどろとした何かが弾け飛んだ。
 私はすぐに言葉が出なくて、瀬名先輩がぽつりと話し出すのをただ黙って聞いていた。
「別に、無理して自分の気持ちを言葉にできる人間にならなくたっていいだろ。当たり前に、お前と母親は別の人間で、俺とお前もそうだ。この世界中の誰も、お前のことを全部分かったりしねぇよ。自分のこと分かんのは自分だけだ」
 知らぬ間に出ていた涙を、瀬名先輩が落ち着いた口調で話しながら、手をつないでいないほうの指で拭ってくれた。
 それから、少しだけ目を細めて、信じられないくらい優しい声で、一言囁いたんだ。
「大丈夫。目に見えないことを、もうそんなに怖がらなくていい」
 それは、まるで魔法の言葉だった。
 みるみるうちに熱い涙があふれてきて、胸が絞られるようにぎゅっと苦しくなった。
 私の中の面倒なこと全部を、まるごと受け止めてもらえたような、そんな気持ちになった。
 どうして、瀬名先輩はこんなにも私がほしい言葉をくれるんだろう。
 どうして……、こんなに優しくしてくれるんだろう。
「……私、もう一回頑張れるかな……、いろんなこと」
 ひとりごとみたいに弱弱しくつぶやくと、瀬名先輩は私の腕ごとぐいっと引き寄せて、胸の中に抱き寄せた。
 差していたビニール傘が下に落ちて、粉雪がふわりと舞い降りてくる。
「……お前は、人の痛みが想像できるから、それだけで百点の人間だと俺は思うけど」
「そ、そんなこと、ありえないです……」