『泣いてたのは、なんで? 俺が忘れてたから? それとも他の理由?』
「そ、それは……。えっと」
『琴音。ちゃんと分りたいから、教えて』
 真剣な声に、信じられないくらい心臓がドキンと跳ね上がった。
 そして、瀬名先輩に忘れられていなかったこと、会いにきてもらえたこと、泣いたことを心配してもらえたこと、私のことを分かりたいと言ってもらえたこと、そのどれもが嬉しくて、安心して、ぽろっと涙がこぼれ落ちてしまった。
 私は、くしゃくしゃの顔で涙を堪えながら、震えた声で言葉を返す。
「昔の、ツラいことを思い出して……」
『……うん』
「だから、瀬名先輩に会いたくなって、メッセージ送りました……」
『……そうか』
「呪いを、解いてほしい……もう解放されたいです……」
『分かった。解いてやるから、ここまで降りてこい』
 ほら、やっぱり、瀬名先輩の、根拠のない言葉はなぜか希望がわいてくる。
 瀬名先輩はスマホを切って、もう何も言わずに下から私のことを見上げている。
 そこに降りたら、私は何か変われるのかな。……そこに、光があるのかな。
 大袈裟だけど、本当にそんなふうに思ってしまったんだ。
 だから私は、親にバレないようにそっと家を抜け出して、一階に降りた。
 ドアを開けたら粉雪が舞っていて、空気は冷たいはずなのに、瀬名先輩の周りの空気は温かく感じた。
 何も持たずに立っていた、いつものダッフルコート姿の瀬名先輩に、私は大きめのビニール傘を傾ける。
 ようやく彼とほぼ同じ高さで目線が合って、なんだか気恥ずかしい気持ちになったけど、瀬名先輩はまったく表情を変えずに「近くの公園行くぞ」と言って歩きだした。
 傘を刺してうしろを歩きながら、私は自分の涙を親指で拭い、瀬名先輩にいくつもの質問をした。
「……いつ頃から、記憶が曖昧だったんですか」
「遊園地のあとかな」
「忘れるって、どのくらいのことを忘れてしまうんですか」
「お前とのことだけ、本当に全部忘れてた。名前も顔も、全部」
「それって、うっかりしたら本当に存在ごと消えてなくなっちゃうってことですか」
「……そうだな。うっかりしないようにするわ」
 あまりにあっけらかんと言うもんだから、私は少し拍子抜けしてしまった。
 瀬名先輩のこと、私はまだまだちっとも分かっていない。