どうしよう、どんな顔をしていいのか分からない……。
「今日は桜木と遊ばないの?」
 目の前まで近づいてきた瀬名先輩のつま先を、俯いたまま見つめる。
 しかし、村主さんの問いかけに、瀬名先輩は低い声であっさりと答えた。
「……何、誰それ」
 どういうことか、すぐに理解できなかった。
 瀬名先輩に、もしかしたら忘れられている……?
 嘘だ、そんなはずはない。
 村主さんが私の代わりにすぐに問い詰めてくれた。
「いや、何言ってんの? この桜木ですけど。寝ぼけてんの? それとも虫の居所が悪いだけ?」
「お前こそ何言ってんだよ。今、スマホ失くして最悪の気分だからどけ」
「あ、ちょっと瀬名先輩……!」
 瀬名先輩は、一度も私に目をくれずに、颯爽と自転車を漕いで友人たちと一緒に去ってしまった。
 ぽつんと取り残された私たちは、その場に棒立ち状態だ。
 村主さんはあんぐりと口を開けたままで、瀬名先輩が去っていった方向を指さした。
「ねぇ、今本気で忘れてたのかな……」
「え……」
「それとも、ケンカとかした……?」
 村主さんの言葉に、頭を横にぶんぶんと振る。
 いつもと違った行動といえば、キスをしたことくらいだ。
 もしかしたら、キスしたことを無かったことにするために忘れたふりをしたのだろうか。
 でも、そんなことは考えづらい。
 無かったことにしたいくらいなら、キスなんてしなければいいだけの話だ。
「もしかして、本気で桜木のことが大切になっちゃって、記憶消えちゃったのかな……」
 村主さんがぽつりとつぶやいた言葉に、私はどう反応していいのか分からなくなってしまった。
 瀬名先輩にとって、私は少しでも大切な人になれたということ……?
 だけど、瀬名先輩の記憶に今私はいないかもしれない。
 自分が瀬名先輩の大切な人ということも含め信じがたいけれど、もし万が一それが本当だとしたら、まったく知り合う前のスタート地点に戻ってしまった、ということだ。
 そう考えた瞬間、さっきとは比べものにならないほどの胸の痛みが、ズキンと走った。
「桜木、大丈夫……?」
「だ、大丈……」
 あれ……?
 瀬名先輩の記憶から消えたら、あのノートの存在ごとなかったことになって、いつもの落ち着いた日常に戻って、いいことだらけのはずなのに。