明日の俺が、この景色を忘れないでいられますように。
 そう願って、俺は少しだけ、彼女の頭を胸に押し付ける力を強めたんだ。
 真っ黒なカーテンに囲まれながら、映画の青い光だけが俺たちを照らしていた。


side桜木琴音

 遊園地前で抱き締められたあの日、瀬名先輩の腕の中が、思ったより温かくて驚いた。
 視聴覚室で頭を胸に押し付けられたあの日、瀬名先輩の心音がなぜか心地よくて、戸惑った。
 彼にとって、なんともない行動だったとしても、私はかなり動揺していて。
 でも、そんな戸惑いすら跳ね返すほど、瀬名先輩は強引で。
 いろんな彼の表情を知るたびに、彼の唐突な行動に巻き込まれるたびに、私の世界の色が変わっていくのがわかる。
 瀬名先輩は、嵐のような人間だ。
 あっという間に私みたいな人間すら巻き込んで、前へ前へと進んでいく。
 世界の隅っこで体育座りをして静かにしていたはずなのに。
 そんな嵐をワクワクして待っている自分がいることに、最近気づいてしまった。
 今日は何が起こるんだろう。どこまで飛んでいくんだろう。
 おかしな話だ。やっていることは、小学生でもできるような、小さなことばかりなのに。
 そんなことを自分の部屋で考えていると、コンコンと部屋のドアがノックされた。
「琴音、入るわよ」
 母の声が聞こえて、私は慌ててパソコンに向き直る。
 一気に部屋の中に気まずい空気が流れて、私は知らぬ間に息を止めていた。
「琴音。もう進路希望出したの? 何も共有されてないけど」
「……まだ何も考えてない」
「そう、ゆっくり決めていいから。焦らずにね」
「ありがとう。ちゃんと考える」
 仮面みたいな作り笑顔で、私は母を安心させるようにそう返した。
 母も、同じ様に私を安心させるような言葉を選んでいる。
 まるで台本見たいなやりとりに、私は心の中で失笑していた。
「じゃあ、何か悩むことあったら言ってね」
「うん、大丈夫」
「お母さん、ボランティア活動でまた明日から夜遅くなるけど、ご飯代置いていくから好きなの食べてね」
「分かった。ありがとう」
 ドアが閉まるまで、私の口角は不自然に吊り上がったまま。
 側からみたら、何も問題ない親子のように見えるだろう。
 実際、母親は何も悪くない。
 私が勝手に、心の壁を作ってしまっているだけなんだから。