「自分の安心できる場所は、ここにあるってこと。そうしたら、何度でも戻ってこられる」
「安心できる場所……」
 ピンと来ていない私を見て、瀬名先輩はまたふっと優しく笑った。
 その笑顔を見たら、どうしてだろうか。
 なぜか再び、止まった涙がぽろっと溢れだしてしまった。
 もう、苦しくも、悲しくもないのに。
 瀬名先輩が笑った。ただ、それだけのことなのに、安心して、気が緩んで、涙があふれてしまった。
 人間が、一分一秒、そのすべてを、覚えていられる生き物だったらよかったのに。
 そうしたら、いつでも過去の瀬名先輩にも会いに行くことができる。
 ……だけど、そうじゃないと分かっているから、人は"今"を大切に思えるのだろうか。
 "今"目の前にあることすべてを、心に焼きつけようと思えるのだろうか。
 開けっ放しだった窓から、ふわりと生暖かい春風が舞い込んできた。
 ふわりと白いカーテンが舞い上がり、私と瀬名先輩を一瞬だけ囲い込んだ。
 真っ白で何もない世界の中に、瀬名先輩だけがいる。
 その景色があまりに儚くて、美しくて、スローモーションに見えた。
 そして、ようやくさっきの瀬名先輩の言葉の意味が分かってきた。
 どんなに何もない世界でも、瀬名先輩がいれば、光が差してくる。そんな気がしてくる。
 冬のあとにやってくる、春のように。
 瀬名先輩も、私のことをそんなふうに思ってくれているのだろうか。そう、うぬぼれてもいいのだろうか。
 私は、もらった勿忘草を一束掴んで、瀬名先輩の髪にそっと当ててみる。
 すると、先輩は不機嫌そうな瞳でこっちを睨んで「なんだよ」と悪態をついた。
「あはは、瀬名先輩、似合わない」
「当たり前だろ」
「でも……、きれいです」

 たとえ何度、忘れても。何度、迷っても。
 きっと見つけだして。信じていて。
 きみの春は、ここにあると。
 ふたりの間に、あるのだと。

 end