それは、葛藤を一気に吹き飛ばすには十分すぎるほどの威力を持った真実だった。
「心因性記憶障害のこと、ちゃんと勉強して、高校のときの先輩に会いに行きたいんです。病室に来たら、なんだかその人と離れ離れになった日のこと思い出してしまって……。ダメですね。いつ会えるかも分からないのに……」
 そこまで聞いて、俺は気づいたら衝動的にカーテンに手をかけていた。
 シャッと勢いよくめくると、パジャマ姿の琴音が目を丸くして俺のことを見ている。
 ごめんもありがとうも、間に合わなかった。
 言葉よりも何よりも先に、愛しいという感情に耐えきれず、全力で彼女のことを抱き締めてしまった。
「え……」
「琴音」
「え……? なんで……瀬名、先輩……?」
 動揺に満ちた声が、俺の鼓膜を震わせる。
 琴音の声、吐息、心音、体温、そのすべてが愛おしくて、壊れてしまいそうなほど抱きしめる。
 熱い涙が、ぎゅっと強く閉じた目の端からじわりと滲みで出ていく。
 もう、壊れてもいい。それくらい、今、泣いてもいいだろう。
 すべてを刻みつけるように、俺は何も言わずに琴音のことを抱き締め続けた。

 悲しくても愛しくても、人は涙を流すものなのだと、俺はこのときようやく思い出したのだ。



side桜木琴音

 いったい、何が起こっているんだろう。
 今、私は、世界で一番会いたかった人に抱き締められている。
 両手を伸ばせば、抱き締め返すことができる距離にいる。
 不運な交通事故に巻き込まれて、どこか頭を打っていたんだろうか。これは夢だろうか。
 そうだ、夢に違いない。
 カーテンが開いて、目の前に、瀬名先輩がいるなんて。
 ひどい。こんなに幸せな夢なんて、起きたときにツラいから見たくないよ。
 そう思ったけれど、瀬名先輩の心音がリアルに感じ取れて、私は少しずつ今の状況を理解していった。
 夢じゃない……。これは今、現実の話だ。
「な、なんで……ここにいるの? 瀬名先輩……、私のこと忘れてたはずじゃ」
「村主から場所を聞いた。放火事件から今日まで、琴音のことを思い出せなかった」
「思い出したばかりなんですか……?」
 抱き締められながらそう問いかけると、瀬名先輩はこくんと力なく頷いた。
 瀬名先輩が泣いていることに気づいて、私もようやく実感がこみあげてきて、急に涙腺が熱くなってしまった。