俺は精一杯に生きてきたつもりだが、心残りはむろん多々ある。自分なりに人生の目標があったし、家族のために成したいこともあった。岡先生やお前の好意に報いることなく死ぬことを残念に思う。千鶴との約束も果たせなくなった。とはいえ、今の俺はそれをいたずらに嘆くことなく、受けてきた恩愛や友誼などの全てに報いるために、そしてこの国に再生の芽を残すために、この命を捧げようと思っている。それによって日本の未来に良き結果がもたらされるよう心より願っている。
千鶴はこれから先の人生を、俺とは関わりなく生きて行かねばならない。身勝手な頼みごとだが、千鶴への助力をよろしく頼む。洋子がお前と結ばれるなら俺にはこのうえなく嬉しいことだが、それはお前と洋子のことゆえ、俺はただお前たちの幸福を願うのみだ。
このノートと出雲の家や千鶴に宛てた手紙などは、信頼できる士官に依頼して送り出してもらうが、全てが無事に届くとは限らない。俺の家族や千鶴が望む場合には、このノートを見せてやってはくれまいか。
お前に書き遺すのもこれが最後になるかも知れないので、すでに何度も書いてきたことだが、ここで改めてお礼を言わせてもらう。お前のおかげで俺の人生はより良きものとなった。忠之よ本当にありがとう。
より良き日本を遺すことを願い、そのために俺たちは命を捧げるのだが、将来の日本の姿を見ることができない。忠之には俺の分までそれを見届けてもらいたい。〉
良太は日本の未来に想いを馳せた。敗戦から立ち直るであろう未来の日本を想っていると、あの不思議な夢のことが思い出された。できることならあのようにして、夢でもよいから見てみたい、これから先の日本の姿を。
死んでも霊魂は残るわけだから、俺は未来の日本を見ることができるかも知れない。それとも、死んでからはあの世の内側しか見ることができないのだろうか。それにしても、あの世とはいったいどんな所だろう。死んだら天国へ行くと言った木村は、霊魂の実在を信じているに違いない。俺は無宗教に近い生き方をしてきたわけだが、霊魂が存在していることを信じるどころか、それが実在することを知っている。俺の場合には、霊魂の実在を知っていることが、宗教にもまして俺を救ってくれたことになる。霊魂と会話のできたあのお婆さんのおかげだから、あのひとに感謝しなければならない。
「森山」吉田の声が聞こえた。「風呂にゆこう。近くの家で入らせてもらえるそうだ」
良太はノートを風呂敷にもどすと、折り畳んであった手拭をとりだした。
良太は吉田とつれだって、宿舎の出入り口に向かった。建物を出てからふり返ると、割れずに残っている窓のガラスが、午後もおそい日ざしをはねかえしていた。
吉田と並んで歩きだすと、校舎の中からオルガンの音が聞こえた。音楽に素養のある隊員が弾いているのか、聴きなれた文部省唱歌の旋律が、少しも滞ることなく流れた。
「ところで森山、貴様は自分の寿命について考えたことがあるか」と吉田が言った。
「考えたことはないな、そんなことは」
「俺はモーツァルトが35歳で死んだことを知って、せめてそこまでは生きたいと思ったよ。その頃の俺は20歳までには死ぬと思っていたからな。中学に入ったばかりの頃だった」
「何かあったのか」
「肺浸潤になったんだ。残りの人生が数年しか残っていないような気がして、35まで生きたモーツァルトを羨ましく思った。35年も生きたなら、自分なりに何かをやれるだろうに、このまま死ぬのは悔しいという気持ちになったんだ。まだ12だったからな」
「悔しいよな、たしかに。俺たちは日本のためどころか、人類全体のために役立つことができるかも知れない。そんな気持にもなるじゃないか。今の俺たちは死んで役に立つことしかできないが、この特攻がほんとに役に立ってほしいもんだよな」
「俺たちは実を結ぶどころか、花も咲かせずに散るんだ。俺たちの特攻が何の役にも立たないなんてこと、そんなことがあってたまるか」
「そう言えば、小林が歌を作ったことがあったな。嵐に散る花の歌。おぼえているか、あの歌。特攻が有意義なものであってほしいという、そんな願いをこめた歌だった」
「おぼえているよ、正確じゃないかも知れないけど」と吉田が言った。「小林は国文だったそうだが、俺たちよりも先に逝ってしまったな」
もの静かに本を読んでいた小林の姿が思い出された。小林が仲間に歌を披露したのは、特攻要員に指名されて間もない頃だった。
「小林はあのとき、辞世の歌を作るようにと勧めるつもりだったのかな、俺たちに」と良太は言った。「貴様は作ったのか、辞世の歌」
「歌には自信がないが、それらしい歌をどうにか作ったよ。手紙に書いて送ったんだ」
「俺もな、手紙やノートに歌を書くことがあるんだ。辞世の歌というわけじゃないけど」と良太は言った。
良太は入浴からもどると、忠之にあてたノートを開いて、先に書きつけた言葉のあとに歌を記した。
時じくの嵐に若葉散り敷くも桜な枯れそ大和島根に
いかに多くの特攻隊を出撃させたところで、この日本は敗北に至るはず。その結果がどのようなものであろうと、いつかは立ち直ってもらわねばならない。戦争に負けても国が滅ぶようなことになってはならぬ。この国は俺たちの死を無駄にしてはならない。俺たち特攻隊員のこの願いが天に通じないはずがない。
夕食をとる時刻になったので、良太は仲間とつれだって、食堂にあてられている場所へ向かった。
食事を終えた良太はもとの教室にもどると、千鶴への手紙を書くために便箋をとりだした。
良太は悲嘆にくれている千鶴を想った。谷田部で書いた浅井家への礼状を、千鶴はどんな気持ちで読んだことだろう。悲しみの淵であえいでいる千鶴は、この手紙をどんな気持で読むことだろう。どんな言葉を書きつらねても、千鶴の悲しみを癒すことなどできるわけがない。それでも俺は千鶴のためにこれを書かなければならない。
良太はペンを執って便箋にむかった。
〈千鶴よこのような結果になったことをどうか許してほしい。俺の出撃を知って千鶴がどんなに悲しむことかと案じつつ、そしてこの手紙をどんな気持ちで読んでくれることかと思いつつ、こうして便箋に向かっているところだ。千鶴と人生を共に歩もうとの約束は果せなくなった。それどころか無事に還るとの約束を破って悲しませることになった。ここにどんな言葉を書き連ねても、千鶴の悲しみを癒すことなどできそうにないが、千鶴のためだけでなく俺自身のためにもこの手紙を書こうと思う。
上野駅での千鶴が思い出される。私は大丈夫だからと繰り返した千鶴の言葉が、しっかりと俺の心に伝わってきた。嬉しい別れの言葉だった。千鶴よありがとう。〉
続きの文章を考えていると、吉田から聞かされたモーツアルトの話が思い出された。
〈今日は近くの民家で風呂に入らせてもらった。風呂に入っていると四月だというのに虫の声が聞こえた。その声が本郷の家の庭を思い出させた。虫の声を聴きながら、ふたりで語り合ったあの夜のことを、千鶴も覚えていることだろう。
仲間と風呂に向かっているとき、その仲間がこんなことを話した。中学時代に肺を患い、二十歳までには死ぬだろうと予想したとき、三十五歳まで生きたモーツァルトを羨ましく思ったという。十二歳だった中学生には、三十五歳という年齢は、人生とは如何なるものかを知り得る年令だと思われたのだろう。その話を聞いて二十二年を生きた自分の人生を思った。やりたいことは多々あるし、やるべきことも残しているので、人生を終えることには心残がある。とはいえ精一杯に生きたことを以て、この人生も可なりと肯定したいと思うが、千鶴との約束が果たせなかったことはこの上なく無念だ。無念と思うにとどまらず、千鶴には許を乞いたい気持でいる。このような結果になったことをどうか許してもらいたい。
今日は仲間たちと散歩に出かけ、満開のれんげ草に寝ころんで語り合ったが、ときには笑い声が起こった。千鶴の悲しみを思うと耐えられない程に悲しいのだが、俺もまた仲間とともに声をだして笑った。そのような自分の心の奥をのぞいて見ても、ここに記せるような形では見えそうにない。俺の気持を理解してもらうには、千鶴に渡した日記を読んでもらったほうが良さそうだ。いずれにしても俺は死の恐怖に怯えているのでもなければ、運命を呪って暗い気持に沈んでいるのでもなく、仲間たちと話すときには声をあげて笑うことすらある。その様子を千鶴に見せて安心させてやりたいのだが、こうして手紙で報せることしかできないのが残念だ。〉
ふいに良太は不安に襲われた。良太は記したばかりの文字を眺めた。心をこめて記した言葉ではあっても、自分の本心を表したものではなさそうな気がした。霊魂の実在を知っていようと、死を恐れる気持は確然としてある。愛する者たちの悲しみを思えば、生還を願う気持が沸きおこってくる。特攻要員に指名されてからというもの、眠れぬ夜が幾夜もあった。ことに昨夜は寝つかれず、寝返りをうつ仲間の気持を推しはかりつつ、長い時間を過ごした。俺たちはれんげ草の上で笑い声をあげたが、束の間の笑い声のあとには虚しさを覚えた。特攻隊員の俺たちに、本来の笑い声など出せるわけがないのだ。もしかすると、この手紙だけでなく家族や忠之たちにも、偽りの言葉を遺したことになりはしないだろうか。
良太は思った。苦悩や悲しみについては記そうとせず、むしろそれを隠そうとしてきたわけだが、偽りの言葉は記さなかったつもりだ。千鶴に遺す手紙はこれでよい。千鶴が受ける悲しみを、多少なりとも和らげるためのものだから。
それにしても、今になってこんな不安を覚えるとはどうしたことか。自分なりに考えるべきところは考えつくし、覚悟をかためていたはずではないか。
もしかすると、俺の心の底には、胸中のすべてを伝えたいという気持ちがあって、それがこのような不安をもたらしたのかも知れない。たしかに、俺はこれまで、手紙にしろノートにしろ、自分の悲しみや悩については少しも記さなかった。そのようなことは書き遺さなかったが、ノートや手紙を受け取った者たちは、俺の気持を推しはかり、理解してくれることだろう。俺は心をこめて書けばよいのだ、少しでもそれが役に立つことを願って。
良太は便箋をおさえてペンを握りなおした。
〈これから先の国情がいかようになろうと、千鶴はしっかりと生きてゆけるに違いない。俺に関わるさまざまな記憶は、千鶴の中にいつまでも残るはずだが、そうであろうと、俺に拘ることなく人生を歩んでほしい。千鶴が俺とは関わのない人生を歩もうとしても、それは俺に対して不誠実なことでは決してない。このことを俺はここに明確に伝えておくし、千鶴にもそのように理解してほしい。かく言う俺自身は、千鶴との思い出を抱いてあの世で生きようと思っているが、だからと言って千鶴につきまとったりするつもりは全くない。とはいえ千鶴が助けを求めているとわかれば、どんな場合であろうと助けたいと思う。〉
これから先の日本で、千鶴はいかにして、いかなる姿で生きてゆくことだろう。俺が知る千鶴は、21歳になろうとしている千鶴でしかない。10年先の千鶴の姿は想像できるけれども、数十年後の千鶴の姿は想像することができない。もしも千鶴に子供が産まれたら、その子はどんな人に成長することだろう。千鶴はどんな母親になるのだろうか。
良太は3枚の写真をとりだして、便箋のうえにそれを並べた。千鶴と良太が微笑んでいる写真と、良太が家族たちとともに写っている写真、そして浅井家の玄関で写してもらった集合写真であった。写真に写っている者たちのだれもが、良太がなれ親しんだ面影を見せている。
ここに写っている者たちは、数十年先にはどんな姿を見せることだろう。俺には想像することができない。残された者たちには、俺はいつまでも現在の姿のままに記憶されることになる。いつの日か、俺たちはあの世で再会できるはずだが、どのような再会になるのだろうか。
良太は写真をふろしきにもどすと、造花をとりだして鼻に当ててみた。匂いらしいものは感じられなかったが、千鶴の匂いがはっきりと思い出された。良太は造花を紙箱に納めてから、ペンを執ってふたたび便箋に向かった。
〈俺のふろしきには写真と造花が入っている。千鶴の面影はしっかり脳裏に焼きついているけれども、出撃前にはじっくり写真を眺めようと思う。この写真は身につけてゆくつもりだったが、今ここで眺めているうちに、そうはしないことにした。千鶴や家族が写っている写真は特攻機にそぐわない。写真は手紙に同封し、信頼できる士官に投函を依頼する。母から贈られたマフラーを首に巻き、千鶴が造ったこの造花をマフラーに挿してゆこうと思う。
この造花に香はないが、不思議なほどにはっきりと千鶴の匂が思い出される。忠之の下宿でのことがつい先ほどのことのように思い出される。千鶴がとてもいとおしい。千鶴と共に過ごすことができたあの日のことに、深く感謝せずにはいられない。千鶴とともにあった全てのことに、心の底から感謝している。千鶴よ本当にありがとう。
書斎での千鶴とのことが思い出される。あの書斎があって本当に良かった。浅井家の皆さんがあの場所で再び安穏に暮らせるようにと願っている。
焼けた山茶花が芽を出していた。あの山茶花もいつかは花をつけることだろう。花の形や色は以前と変わりなくても、もとの山茶花そのものではなく、蘇生して新しい命を生きる山茶花と言うべきだろう。これから先の日本がどのような国になろうと、希望を抱いて生きてもらいたい。千鶴がこれからの人生を強く生きてくれるようにと願っている。〉
良太は千鶴にあてた手紙をようやく書きおえた。努力して記した小さな文字で、数枚の便箋がうめつくされていた。
この手紙は千鶴の悲しみをどこまで癒してくれるだろうか。俺がひたすらにそれを願って書いた手紙だ。この手紙は多少なりとも千鶴をなぐさめ、千鶴の悲しみを癒してくれるに違いない。
その願いがかなえられるよう祈りつつ、良太は手紙を封筒におさめた。
天候の具合とアメリカ艦隊の動向により、良太たちは基地でしばらく待機させられた。人生を終える日を待つ過酷な時間を、ノートを開いて言葉を記し、いくつかの手紙を書いて過ごすうちに、良太が出撃すべき日がおとずれた。
その日の午後、基地に残る者たちに見まもられつつ、良太は爆弾を吊した零戦の操縦席に座った。白いマフラーが巻かれたその首元に花が見られた。二本の造花であった。
残る者たちが帽子を振って見送るなかを、爆弾を抱いた特攻機はひときわ大きな爆音をともない、次からつぎへと離陸していった。
特攻機は数機ずつの編隊をつくると、飛行場の上空にもどっていっせいに翼をふった。最後の別れを告げた特攻隊は、数時間後に人生を終えることになる沖縄へ向かった。
良太とその仲間たちが操縦する零戦の機影は、遠ざかるにつれて小さな黒い点となり、雲のかなたに姿を消した。
エピローグ 造花の香り
昭和26年の春、千鶴は南九州の鹿屋を訪れた。列車による長い旅を共にしたのは、良太の妹洋子と忠之だった。
良太さんが最後に過ごされた土地をたずねて、飛行場や宿舎の跡はもとより、周辺の風物や景観などもこの眼で見たい。千鶴が抱えていた数年来の願望が、ようやくにして叶えられることになった。千鶴が手にしているバッグには、鹿屋で書かれた良太からの手紙が入っていた。
戦後もすでに5年あまりが経っていたけれども、戦時中の情景を思い描くに充分な景観と風物が残されていた。最初に訪れたのは、特攻隊員たちが宿舎としていた学校の跡だった。
宿舎の跡を前にしたとき、多様な感情が千鶴をおそった。今なお尽きない良太への思い。良太の出撃を知ったときの悲しみと絶望感。良太さんは人生最後の数日間を、このような所で過ごされたのだ。良太さんはこの場所で、残された貴重な時間を使って、この手紙を書いてくださったのだ。便箋に向かっている良太の姿を想い、千鶴は手紙の入っているバッグを抱きしめた。
3人は小川に沿った道を歩いた。道端では草がのび、あたりにはれんげ草の花が見られた。良太がかつて眼にした景観にちがいなかった。良太が仲間たちと散策したと思われるその道をたどって、三人は飛行場の跡へ向かった。
千鶴は戦後まもなくから東京都内の病院に勤務し、薬剤師としての経験をかさねた。もとの家があった場所に、忠之の協力を得てバラックを建て、そこでしばらく暮らしていたが、数年後には家を建てることができた。以前の浅井家にくらべてずいぶん狭かったけれども、不満を口にする者はなかった。
忠之は復学した大学を卒業して電機会社に就職していたが、その年の春、そこを退職して出雲の村に帰った。新制中学校の理科教師が求められていることを知り、技術者として生きるかわりに、若い世代を指導する道をえらんだ。その秋には洋子と結婚することになっていた。
忠之の退職金は少なかったとはいえ、3人で鹿屋を訪ねるための旅費には充分な金額だった。忠之は千鶴と洋子に誘いかけ、南九州への旅を実現したのだった。
千鶴はその機会に出雲の森山家を訪れ、良太の七回忌の法事につらなった。
4月下旬のよく晴れた夜、洋子と修次に案内されて、千鶴は斐伊川の堤防を歩いた。良太がかつて語ったように、出雲の星空は美しかった。良太との約束が思い出されて、その星空が千鶴の眼にはむしろ悲しいものに映った。
千鶴は滑走路の跡にたたずんで、良太が向かったはずの南の空を眺めた。彼方の丘にかぶさるように、白い雲がつらなっている。たくさんの特攻機がここを飛びたち、あの雲のかなたの沖縄をめざしたのだ。
千鶴は滑走路の跡に立ちつくして、良太が出撃したときの情景を想った。零戦が轟々たる爆音をのこして滑走路をはなれ、高度をあげながら遠ざかってゆく。雲を背にした機影が小さくなってゆく。
洋子と忠之に見守られつつ、千鶴は遠い雲を見つめ続けた。良太さんの飛行機が見えなくなるまで、しっかり見送ってあげなければならない。
白い雲しか見えなくなった。良太さんは遠い世界に行ってしまわれた。良太さんが手紙やノートに書いてくださったように、私は良太さんから離れて生きて行かなければならない。良太さんがそのように願っておいでなのだから。
千鶴はバッグを開いて封筒を取り出した。良太が出撃直前に書いた手紙だった。
鹿屋から送られてきたのは、一葉のハガキと三通の手紙であった。最後に書かれた手紙には、〈我が念願とするところは千鶴の幸せな人生なり〉と記された便箋と、二枚の写真が入っていた。その言葉を読んで千鶴は思った。私の幸せはどうしたら得られるというのだろうか、良太さんがそばに居てはくださらないというのに。
千鶴は封筒から写真を取り出した。良太が出撃直前に眺めたはずの写真であり、身につけてゆく代わりに送り返してきた写真であった。
写真を見ながら千鶴は思った。先ほどここで良太さんを見送り、良太さんに別れを告げたけれども、私は良太さんから離れた人生を歩むことができるだろうか。
「写真を抱いて出撃した者が多かっただろうに、良太らしいよな、写真を送り返してくるというのも」と忠之が言った。
「写真を持ってゆく必要が無かったんでしょうね。良太さんは、私たちの面影を心の中にしっかり抱いていたはずですもの」
良太さんは私や出雲の御家族のことを想うあまりに、写真であろうと特攻機の道づれにはできなかったのだ。良太さんは写真を持って行く代わりに、私が作った造花を身につけて行かれた。私の匂いをしみこませ、良太さんと初めて結ばれた日に渡したあの造花。
出撃の二日前に書かれた手紙には、おわりの部分に歌が記されていた。その歌を千鶴は心のなかで読みかえした。
枯るるなき造花に勝る花ありや愛しき人の香ぞしのばるる
三鷹での良太との一夜が思い出された。良太への想いがわきおこり、千鶴の胸を満たした。良太さんはこの写真や造花を見ながら私を想い、あのことを思い出されたのだ。あのことは、三鷹で一夜を共にしたことは、良太さんのためにもほんとうに良かったという気がする。明け方の光のなかで眺めた良太さんの寝顔は、とても安らかで幸せそうだった。寝顔に触っていると眼を覚まされ、私の手をにぎって笑顔を見せられた。
写真の良太と千鶴は微笑んでいる。千鶴は写真に眼をとめたまま、心のなかの良太に告げた。「写真のあなたを見るたびに、千鶴よ幸せになれとの声を聞く想いがします。もう少し時間をくださいね。あなたを忘れることはできなくても、そのうちいつか、あなたから離れて生きられるようになりますから。そうなることを、あなたが望んでおいでなのだから」
「靖国神社のことだけど、俺はこれまでのようには参拝できないと思うんだ」
忠之のとうとつな言葉に千鶴は応えた。「出雲からではたいへんですものね。私はこれまで通りに行くつもりですけど」
「私はまだ参拝していないから、兄さんには申し訳なくて」
「いいんじゃないかしら。良太さんは神社の中に閉じこもるかわりに、宇宙を自由に飛びまわっておいでだもの。岡さんと靖国神社に行ったのは、良太さんの願いをかなえてあげたいからよ」
「このまま日本の復興に勢いがつけば、過去をふり返らずに、前ばかり見て走りそうな気がするんだ。そうなると、戦死者と遺族に眼が向かなくなって、良太の願いを叶えることが難しくなるかも知れない。だから、遺族の思いを世間に見せ続けるために、去年から千鶴さんと靖国神社に行ってるんだが、もしかすると、あの世で良太は怒っているかも知れないな、国民に戦死を名誉として受け入れさせ、進んで国に命を捧げるように仕向けた神社ではないかと」
「私もそんな記事を読みましたけど、戦前の私たちはそんなふうには考えなかったでしょう。兄さんも戦前の考え方のままに戦死したんだと思いますよ。そんな戦死者の気持を思ってのことでしょうね、たくさんの遺族が今でも靖国神社に格別な感情をもつのは」
「靖国の英霊にされたことを、良太がほんとはどう思っているのか分からないが、靖国神社だけでなく、他にも大きな墓標が必要だと思っていたことは確かだ。戦没者しか祀らない靖国神社とちがって、原爆や空襲の犠牲者なども含めた、すべての戦争犠牲者を追悼するための墓標だよ、良太がノートに書き遺したのは」
忠之が続けた。「その墓標は単なる墓標じゃなくて、国家が国民に愛国心を要求するようなときには、いったいどんなことが起こり得るのか、そのことを学ぶための墓標でもあるんだ」
「私たちはいやと言うほど学んだけど、将来の日本人のためには必要だわね、そのことを学ぶためのものが」
「政治を見張っていないとどんなことが起こるか、私たちは身をもって学んだけど、そういうことを伝えるための象徴にもなりますよ、その墓標は」
「ほんとにそうね。良太さんが望まれた墓標には、象徴としての役割があるわね。戦争で苦しんだ私たちがいなくなった将来にも、二度と戦争をしてはならないと教え続けるための象徴」
「あの戦争を永久に忘れないための象徴になるだけでなく、国民のあり方を戒めるための象徴にもなるわけだよ。言論の自由を奪われていたにしろ、新聞や雑誌は権力の代弁者になってはいけなかったんだ。もうひとつ反省すべきは、戦前の日本人には付和雷同しやすい傾向があって、自分の頭でしっかり考えず、周りの声に影響されるような者が多かったということだと思うんだ。そんな俺たちがゆだんしているうちに、まさかと思っていた戦争になってしまった。軍部が暴走してあんなことになったと言うが、それを許したのは国民だったし、軍部を支持する国民も多かったんだ。俺にしたところで、今になって偉そうなことを言える立場にはないけど」
「悔しいわね。誰もがしっかり考えて、正しいことに勇気を出していたなら、あんな国にはならなかったでしょうし、あんな戦争も起きなかったでしょうに」
「そうだよ。もっと知恵と勇気を持つべきだったと思うよ、言論の自由を奪われてしまう前に。戦争を防げなかったことを、俺たちは心の底から悔やんでいるわけだが、将来の日本人にそんな思いをさせないためにも、あの戦争をふり返るための象徴を作るべきだよ」
3人は滑走路の跡地にそって歩いた。日ざしは柔らかく、風は穏やかだった。
桜の若葉が風にそよいでいる。良太さんが出撃した日は晴れていたということだから、良太さんを見送ったあの桜は、今と同じように鮮やかな若葉を見せていたことだろう。
千鶴は桜に眼をやりながら、「岡さんに遺されたノートに歌がありますよね……桜な枯れそ大和島根に」と言った。
「時じくの嵐に若葉散り敷くも桜な枯れそ大和島根に……俺は好きだよ、この歌」
「私への手紙やノートにも歌が書かれてるけど、この鹿屋で詠まれたのは造花の歌」
良太の法事が終わったあとで、千鶴はその歌が記されている手紙を出して、良太の家族や忠之に見せていた。
「造花に勝る花ありや……良太らしい歌だよな」と忠之が言った。
「法事のあとで、戦争を防ぐためにも歴史を学ぶべきだと話し合ったわね。岡さんはあのとき、歴史には造花に通じるところがあるとおっしゃったわ」
「良太の歌を読んだばかりだったから、こじつけみたいな言い方をしたけど」と忠之が言った。「もしも歴史の記録に偽りがあったなら、後世の人間はそこから誤ったことを学ぶわけだよ。歴史としての造花は飾り物ではなくて、貴重な人類の宝物なんだ。その造花にはしっかりと、本物の香りを持たせなくちゃな」
「世界大戦が終ったばかりなのに、中国では内戦があったし、朝鮮でも戦争が起こって、一年ちかく経った今も続いてる。どうしてかしら、つい最近の歴史からさえ学ばないで、戦争を始めるなんて」
「歴史を学ぶ前に人間を学ぶべし、ということだろう。日本は民主主義の国に生まれ変わったが、政党や政治家を選びそこねたら、国民が犠牲にされるようなことがまた起こるかも知れない。国民が愚劣な政党政治に失望しているうちに、次第に軍がのさばりだして、結局はあんなことになってしまった。戦争禁止と軍備禁止の立派な憲法があっても、平和を護るためには政治を見張ってゆく必要があるんだよ。政治のありようでどんなことが起こるか、俺たちは思い知らされたじゃないか」
「警察予備隊が作られたけど、あれは警察というより、軍隊にちかいものだと言うひとがいますよ。軍隊を持たないという憲法ができてから、まだ数年しか経っていないのに」
「ゆだんしていると、そのうちいつか、憲法そのものが変えられるかも知れないわね」
「憲法も法律なんだから、時代に合わせて改正される可能性はあるけど、国民がしっかり政治を見張っていれば、悪い方に変わることを防げるんじゃないかな。そのためには、戦前みたいな失敗をしないように、俺たち国民がよく考えて、まともな政治家を選ばなくちゃならん」
「そういう意味でも作るべきよね、良太さんが提唱された墓標を。政治の成り行きによっては戦争だって起こることを、国民に教え続けるための象徴ですもの」
「その墓標には気持ちを込めたいですよね、どんなことがあっても、戦争だけはしてほしくないという私たちの気持ちを」
「そうだよ、洋子。あの戦争がどんなものだったのか、それを一番よく知っている俺たちには、戦争を心の底から憎む気持を、歴史の中に残しておくという役割があるんだ。戦争の犠牲者や遺族たちの悲しみも、特攻隊員たちの想いも、歴史のなかにしっかり残しておこうじゃないか、二度と戦争を起こさせないために」
ほんとうにその通りだ、と千鶴は思った。あの戦争を体験し、戦争がもたらす悲しみを痛切に味わった私たちには、後世の人に対して歴史上の責任があるのだ。岡さんが言われたように、歴史としての造花には、ほんものの香りを持たせなくてはならない。その香りが私たちの今の気持を伝えるはずだ。戦争を心の底から憎んでいる私たちの気持を。
日本の歴史のなかで、特攻隊はどのように記録されるだろうか。終戦から数年しか経っていないのに、特攻隊員は哀れな犠牲者に過ぎないと言う人がいるのだから、将来の日本ではそのような見方が一般的になるのかも知れない。敗北必至となっても戦争を続けたのは、指導者たちが保身を考慮したためらしいと聞いたが、それが本当であったなら、特攻隊員や原爆被災者など多くの国民が、指導者たちによって犠牲にされたことになる。たとえそうであったとしても、良太さんの戦死を無駄にしたくない。特攻隊のことを歴史にしっかり書きとどめ、反戦と平和に役立つようにしておきたい。
もしも良太さんが生き残っておいでだったら、あの戦争や特攻隊をどのようにふり返られるだろうか。今の日本で生きておいでになれば、あの頃とは考え方も変わるだろうが、良太さんなら絶対に、特攻隊員の戦死を無駄なものだったとは思われないはずだ。それどころか、日本人の誇りを体現し、敗戦後の日本のために命を捧げた者として、特攻隊員たちに敬意を抱かれるはずだ。特攻機で出撃した人たちも、人間魚雷などで出撃した人たちも、決して無駄に死んだのではない。
そうであろうと、良太さんには生きて帰ってほしかった。特攻隊さえ無ければ、良太さんは生還できたかも知れない。特攻隊を出撃させた人たちを私は許すことができない。戦争を起こした人たちも、そして、負けることがわかっていながら戦争を続けさせた人たちも、私は決して許さない。
あの戦争は、すさまじいほどの犠牲と、言葉に尽くせないほどの悲劇と悲しみをもたらした。戦争が人間を不幸にすることは明白なのに、この国はあのような戦争を始めた。そのことを悔いる私たちの今の気持が、いつまでも明確な形で伝わるようにしておきたい。そのために必要なものこそ、良太さんが提唱された大きな墓標だ。あの戦争をふり返るための象徴。戦争を否定するための象徴。そして、戦争を起こす人間について考えるための象徴。
忠之の声が聞こえた。「この辺りで引き返さないか。どうする、千鶴さん」
予定していた出発時刻を過ぎていた。次の訪問先に向かうことにして、3人は滑走路の跡に沿って復路についた。
滑走路の端までもどると千鶴の足がとまった。耳の奥でいきなり爆音が聞こえた。記憶の奥から甦ってきた零戦の爆音。谷田部航空隊の面会室で、不安におののきながら耳にしていた零戦の爆音。
南の空に眼をやると、先ほど眺めたときと変わりなく、白い雲がつらなっている。良太さんの飛行機はあの雲のかなたへ消えたはず。私は先ほどこの場所で、良太さんをしっかり見送ったのに、耳の奥にはいまもなお、谷田部で聴いたあの爆音が残っている。
千鶴は心のうちの良太に告げた。「あなたの飛行機を見送って、あなたに別れを告げたはずなのに、あなたはこれまでと変わりなく、私の中にまだおいでです。このような私ではありますけれど、あなたが望んでおられたように、幸せになるよう努めます。あなたのためにも私は幸せになりたい。なっとくできる人生を送れるように、がんばって生きてゆきます。不思議な夢を見ることができた良太さんですもの、いまの私も見えていることでしょう。私が幸せになるのを見守っていてくださいね」
千鶴の気持に応えるかのように、雲の縁が明るくなってゆく。輝く雲を見ながら千鶴は思った。良太さんが応えてくださったみたいだ。私も良太さんの気持に応えなければならない。どんなことがあっても私は絶望してはいけない。希望を抱いて生きてゆかなければならない。
千鶴は南の空から眼をはなし、洋子と忠之に笑顔を向けた。
「ごめんなさいね、お待たせして。大切なことが残っていたのよ、ここでしかできないことが」
つぎの訪問先に向かうことにして、三人は飛行場の跡をはなれた。
小川のほとりを歩いていると、はるか上空から鳥の声が聞こえた。良太さんがこの道を歩まれたときにも、このようなさえずり声が聞こえたことだろう、と千鶴は思った。
千鶴はあたりを見まわした。川べりの草をゆらして風が流れる。麦に覆われている畑を緑の波がわたってゆく。レンゲソウは今が花ざかりだ。
穏やかな日ざしに映えるその風景が、千鶴の眼にはどこかしら懐かしいものに映った。
あとがき
日本の戦争が終わった昭和20年の夏、私は国民学校の2年生だった。父が出征していたから戦争は身近にあったけれども、その実態を知ることなく敗戦をむかえた。
出雲の農村は空襲をうけなかったし、まだ7歳の少年でもあったから、戦争に対して強い関心を抱くはずもなかったのだが、特攻隊のことは知っており、それがいかなるものかを子供なりに理解していた。
ある日の教室で、1年生担任の若い女の先生が、特攻隊が出撃したことを、そして、それがいかなるものかを話してくださった。先生の悲痛な表情を見ながらその声に耳をかたむけ、その言葉を理解することはできたけれども、幼かった私は心を強く揺すられるに至らなかった。そのような私ではあったが、先生の表情と口調は今なお記憶に残り、教室の情景とともに思い起こすことができるのである。特攻隊の出撃が初めて新聞報道されたのは、昭和19年10月29日の日曜日だから、私が特攻隊について聞かされたのは、おそらくその翌日の月曜日だったと思われる。
昭和20年の春、日の丸をつけた暗緑色の飛行機が、数機ずつの編隊で飛来しては西に向かった。爆音が聞こえるたびに、私ははだしで庭にとびだし、超低空で頭上を通過してゆく機体をながめ、その姿が見えなくなるまで見送った。強い印象を残したその情景を、歳月を経てからもなお、折にふれては思い出すことになった。この小説を書くために調べた資料によって、それらの飛行機は、鳥取県の美保基地から九州へ移動してゆく途上の、ほどなく出撃することになる特攻機であったと推定される。特攻機と意識して見送ったわけではなかったのだが、機体の色と形はもとより、操縦席をおおっている風防の形状さえも記憶に残り、耳の奥には轟々たる爆音がとどまっている。
この小説の人物たちに特定のモデルはないが、多くの書簡や日記を遺した学徒出身の特攻隊員たちが、良太のモデルであると言えなくはない。彼らの日記や書簡をまとめた遺稿集を読み、その心情を推しはかりつつこれを書いたからである。とはいえ、書き遺されたものをいかに読んでも、心情の一端が垣間見えるところまでしか近づくことはできない。良太の胸中に特攻隊員の心情を移入すべく努めたのだが、それをどこまで成し得たのか心もとなく思える。特攻隊員たちの御霊からお叱りを受けるところも多かろうが、哀悼と畏敬の念を抱きつつ書いたことをもって、ご容赦賜りたいと願っている。
多くの資料を参考にしたけれども、想像を加えて書かざるを得ないところも多々あった。主な参考資料を後にまとめて示すが、書店や出版社から入手できるものが少ないために、多くは図書館の蔵書を利用することになった。
はっきりと意識していたわけではないが、私は小学生の頃から特攻隊への関心を抱き続けたような気がする。「特攻の真実」(深堀道義)を購入したのもそれゆえと思うが、それをきっかけとして、特攻隊に関する多くの書籍に眼を通すこととなり、ひいてはこのような小説を書く結果となった。
舞鶴海兵団の部分では「ある学徒出陣の記録」(藤森耕介)が、そして土浦航空隊の部分では、「太平洋戦争に死す」(蝦名賢造)と「海軍予備学生」(蝦名賢造)が参考になった。特攻隊要員の募集過程については、「若き特攻隊員と太平洋戦争」(森岡清美)を参考にした。特攻隊員の心情を推察するうえで、「特攻 外道の統率と人間の条件」(森本忠夫)が参考になった。特攻隊員たちの貴重な遺稿と、以上にあげた書籍の著者と出版社には、特にお礼を申し上げたい。
ここに、参考にした書籍から歌を転載させていただく。特攻隊員の遺詠と遺族たちによって詠まれた歌である。
市島保男(キリスト教徒の特攻隊員として沖縄に出撃)
再びは生きて踏まざる神国の栄え祈りて我は征でゆく
卓庚鉉(朝鮮出身の特攻隊員として沖縄に出撃)
たらちねの母のみもとぞしのばるる弥生の空の春霞かな
「ホタル帰る」(赤羽礼子、石井宏)には出撃前夜の卓庚鉉にまつわる 哀切なエピソードが綴られている。
塚本太郎(人間魚雷回天にて特攻出撃)
われ亡くも永遠に微笑めたらちねの涙おそろし決死征く身は
渡里修一(18歳の少年飛行兵として沖縄に特攻出撃)
かくすれば国難突破出来るならいかでや軽きわが生命かな
特攻隊員喜多川等の婚約者
あたためてあげたき己がこの胸に今尚水漬く君が屍を
特攻隊員巽精造の婚約者
戦争とはむごきものなり残されてえぐりとられし心もつ吾
特攻隊員伊奈剛次郎の父
かがまりて粉ひく妻の髪白しいのちなげうちし子をば語らず
林まつゑ(キリスト教徒の特攻隊員林市造の母)
一億の人を救ふはこの道と母をもおきて君は征きけり
泣くことは吾子に背くと思いつつ泣かぬはいよよ寂しきものを
付記
この小説には不思議な夢の話がでてくるのだが、実のところ、これは私自身の体験にもとづいている。
科学技術の世界に身をおいた者のひとりとして、科学と相いれない事がらを安易に受けいれるつもりはないが、主人公の良太と同様に、不思議な夢を二度にわたって体験したことにより、現在の科学知識では説明できない世界があることを、受けいれざるを得なくなったのである。
不思議な体験を有する人は思いの外に多そうである。学究あるいは科学技術に携わる人がそのような体験をしたとき、その探求に意欲を抱くにとどまらず、不思議な世界を世間に紹介し、人々の人生に寄与したいと願うのは自然なことと思われる。
図書館で調べてみると、そのような人の著作が少なからず見つかる。その著者が不思議な世界と真摯に向き合って著した書物であれば、単なる好奇心やオカルト趣味から離れて読むことができ、得られるところも多いはずである。とはいえ、超常現象や霊などに関する書物を安易に選ぶと、好奇心に導かれるままに、危険な所へ誘い込まれる惧れがないとは言えない。その種の書物をこれから読もうとされる方には、社会的に信頼される立場にある人の著作を、先入観をはなれて読んでいただきたいと思う。読む人ごとに受けとり方はさまざまであろうが、その読書が無駄に終わることはないはずである。