「小林はあのとき、辞世の歌を作るようにと勧めるつもりだったのかな、俺たちに」と良太は言った。「貴様は作ったのか、辞世の歌」
「歌には自信がないが、それらしい歌をどうにか作ったよ。手紙に書いて送ったんだ」
「俺もな、手紙やノートに歌を書くことがあるんだ。辞世の歌というわけじゃないけど」と良太は言った。
良太は入浴からもどると、忠之にあてたノートを開いて、先に書きつけた言葉のあとに歌を記した。
時じくの嵐に若葉散り敷くも桜な枯れそ大和島根に
いかに多くの特攻隊を出撃させたところで、この日本は敗北に至るはず。その結果がどのようなものであろうと、いつかは立ち直ってもらわねばならない。戦争に負けても国が滅ぶようなことになってはならぬ。この国は俺たちの死を無駄にしてはならない。俺たち特攻隊員のこの願いが天に通じないはずがない。
夕食をとる時刻になったので、良太は仲間とつれだって、食堂にあてられている場所へ向かった。
食事を終えた良太はもとの教室にもどると、千鶴への手紙を書くために便箋をとりだした。
良太は悲嘆にくれている千鶴を想った。谷田部で書いた浅井家への礼状を、千鶴はどんな気持ちで読んだことだろう。悲しみの淵であえいでいる千鶴は、この手紙をどんな気持で読むことだろう。どんな言葉を書きつらねても、千鶴の悲しみを癒すことなどできるわけがない。それでも俺は千鶴のためにこれを書かなければならない。
良太はペンを執って便箋にむかった。
〈千鶴よこのような結果になったことをどうか許してほしい。俺の出撃を知って千鶴がどんなに悲しむことかと案じつつ、そしてこの手紙をどんな気持ちで読んでくれることかと思いつつ、こうして便箋に向かっているところだ。千鶴と人生を共に歩もうとの約束は果せなくなった。それどころか無事に還るとの約束を破って悲しませることになった。ここにどんな言葉を書き連ねても、千鶴の悲しみを癒すことなどできそうにないが、千鶴のためだけでなく俺自身のためにもこの手紙を書こうと思う。
上野駅での千鶴が思い出される。私は大丈夫だからと繰り返した千鶴の言葉が、しっかりと俺の心に伝わってきた。嬉しい別れの言葉だった。千鶴よありがとう。〉
続きの文章を考えていると、吉田から聞かされたモーツアルトの話が思い出された。
〈今日は近くの民家で風呂に入らせてもらった。風呂に入っていると四月だというのに虫の声が聞こえた。その声が本郷の家の庭を思い出させた。虫の声を聴きながら、ふたりで語り合ったあの夜のことを、千鶴も覚えていることだろう。
仲間と風呂に向かっているとき、その仲間がこんなことを話した。中学時代に肺を患い、二十歳までには死ぬだろうと予想したとき、三十五歳まで生きたモーツァルトを羨ましく思ったという。十二歳だった中学生には、三十五歳という年齢は、人生とは如何なるものかを知り得る年令だと思われたのだろう。その話を聞いて二十二年を生きた自分の人生を思った。やりたいことは多々あるし、やるべきことも残しているので、人生を終えることには心残がある。とはいえ精一杯に生きたことを以て、この人生も可なりと肯定したいと思うが、千鶴との約束が果たせなかったことはこの上なく無念だ。無念と思うにとどまらず、千鶴には許を乞いたい気持でいる。このような結果になったことをどうか許してもらいたい。
今日は仲間たちと散歩に出かけ、満開のれんげ草に寝ころんで語り合ったが、ときには笑い声が起こった。千鶴の悲しみを思うと耐えられない程に悲しいのだが、俺もまた仲間とともに声をだして笑った。そのような自分の心の奥をのぞいて見ても、ここに記せるような形では見えそうにない。俺の気持を理解してもらうには、千鶴に渡した日記を読んでもらったほうが良さそうだ。いずれにしても俺は死の恐怖に怯えているのでもなければ、運命を呪って暗い気持に沈んでいるのでもなく、仲間たちと話すときには声をあげて笑うことすらある。その様子を千鶴に見せて安心させてやりたいのだが、こうして手紙で報せることしかできないのが残念だ。〉
ふいに良太は不安に襲われた。良太は記したばかりの文字を眺めた。心をこめて記した言葉ではあっても、自分の本心を表したものではなさそうな気がした。霊魂の実在を知っていようと、死を恐れる気持は確然としてある。愛する者たちの悲しみを思えば、生還を願う気持が沸きおこってくる。特攻要員に指名されてからというもの、眠れぬ夜が幾夜もあった。ことに昨夜は寝つかれず、寝返りをうつ仲間の気持を推しはかりつつ、長い時間を過ごした。俺たちはれんげ草の上で笑い声をあげたが、束の間の笑い声のあとには虚しさを覚えた。特攻隊員の俺たちに、本来の笑い声など出せるわけがないのだ。もしかすると、この手紙だけでなく家族や忠之たちにも、偽りの言葉を遺したことになりはしないだろうか。
「歌には自信がないが、それらしい歌をどうにか作ったよ。手紙に書いて送ったんだ」
「俺もな、手紙やノートに歌を書くことがあるんだ。辞世の歌というわけじゃないけど」と良太は言った。
良太は入浴からもどると、忠之にあてたノートを開いて、先に書きつけた言葉のあとに歌を記した。
時じくの嵐に若葉散り敷くも桜な枯れそ大和島根に
いかに多くの特攻隊を出撃させたところで、この日本は敗北に至るはず。その結果がどのようなものであろうと、いつかは立ち直ってもらわねばならない。戦争に負けても国が滅ぶようなことになってはならぬ。この国は俺たちの死を無駄にしてはならない。俺たち特攻隊員のこの願いが天に通じないはずがない。
夕食をとる時刻になったので、良太は仲間とつれだって、食堂にあてられている場所へ向かった。
食事を終えた良太はもとの教室にもどると、千鶴への手紙を書くために便箋をとりだした。
良太は悲嘆にくれている千鶴を想った。谷田部で書いた浅井家への礼状を、千鶴はどんな気持ちで読んだことだろう。悲しみの淵であえいでいる千鶴は、この手紙をどんな気持で読むことだろう。どんな言葉を書きつらねても、千鶴の悲しみを癒すことなどできるわけがない。それでも俺は千鶴のためにこれを書かなければならない。
良太はペンを執って便箋にむかった。
〈千鶴よこのような結果になったことをどうか許してほしい。俺の出撃を知って千鶴がどんなに悲しむことかと案じつつ、そしてこの手紙をどんな気持ちで読んでくれることかと思いつつ、こうして便箋に向かっているところだ。千鶴と人生を共に歩もうとの約束は果せなくなった。それどころか無事に還るとの約束を破って悲しませることになった。ここにどんな言葉を書き連ねても、千鶴の悲しみを癒すことなどできそうにないが、千鶴のためだけでなく俺自身のためにもこの手紙を書こうと思う。
上野駅での千鶴が思い出される。私は大丈夫だからと繰り返した千鶴の言葉が、しっかりと俺の心に伝わってきた。嬉しい別れの言葉だった。千鶴よありがとう。〉
続きの文章を考えていると、吉田から聞かされたモーツアルトの話が思い出された。
〈今日は近くの民家で風呂に入らせてもらった。風呂に入っていると四月だというのに虫の声が聞こえた。その声が本郷の家の庭を思い出させた。虫の声を聴きながら、ふたりで語り合ったあの夜のことを、千鶴も覚えていることだろう。
仲間と風呂に向かっているとき、その仲間がこんなことを話した。中学時代に肺を患い、二十歳までには死ぬだろうと予想したとき、三十五歳まで生きたモーツァルトを羨ましく思ったという。十二歳だった中学生には、三十五歳という年齢は、人生とは如何なるものかを知り得る年令だと思われたのだろう。その話を聞いて二十二年を生きた自分の人生を思った。やりたいことは多々あるし、やるべきことも残しているので、人生を終えることには心残がある。とはいえ精一杯に生きたことを以て、この人生も可なりと肯定したいと思うが、千鶴との約束が果たせなかったことはこの上なく無念だ。無念と思うにとどまらず、千鶴には許を乞いたい気持でいる。このような結果になったことをどうか許してもらいたい。
今日は仲間たちと散歩に出かけ、満開のれんげ草に寝ころんで語り合ったが、ときには笑い声が起こった。千鶴の悲しみを思うと耐えられない程に悲しいのだが、俺もまた仲間とともに声をだして笑った。そのような自分の心の奥をのぞいて見ても、ここに記せるような形では見えそうにない。俺の気持を理解してもらうには、千鶴に渡した日記を読んでもらったほうが良さそうだ。いずれにしても俺は死の恐怖に怯えているのでもなければ、運命を呪って暗い気持に沈んでいるのでもなく、仲間たちと話すときには声をあげて笑うことすらある。その様子を千鶴に見せて安心させてやりたいのだが、こうして手紙で報せることしかできないのが残念だ。〉
ふいに良太は不安に襲われた。良太は記したばかりの文字を眺めた。心をこめて記した言葉ではあっても、自分の本心を表したものではなさそうな気がした。霊魂の実在を知っていようと、死を恐れる気持は確然としてある。愛する者たちの悲しみを思えば、生還を願う気持が沸きおこってくる。特攻要員に指名されてからというもの、眠れぬ夜が幾夜もあった。ことに昨夜は寝つかれず、寝返りをうつ仲間の気持を推しはかりつつ、長い時間を過ごした。俺たちはれんげ草の上で笑い声をあげたが、束の間の笑い声のあとには虚しさを覚えた。特攻隊員の俺たちに、本来の笑い声など出せるわけがないのだ。もしかすると、この手紙だけでなく家族や忠之たちにも、偽りの言葉を遺したことになりはしないだろうか。