良太は航空隊に帰着するなり士官舎にむかった。進発準備は二日前におえていたので、時間にゆとりがなくても慌てることはなかった。残り少ない時間にやるべきことは決っていた。谷田部に残る仲間と別れの言葉をかわす。飛行服に着替えて進発前の儀式にのぞむ。訓練を共にしてきた仲間に見送られて零戦で発つ。その先にあるのは鹿屋からの出撃だった。
 士官舎に入ると佐山が近づいてきた。
「遅いから心配したぞ。貴様のことだから間に合うとは思っていたけど」
「心配をかけたな。せっかくの外出だから、大事につかってきたんだ」
「あのメッチェンと一緒だったか」
「ちょっと会ってきた」
「うらやましいぞ、森山。おれたちにはせいぜい片想の相手しかいないからな」
「おれたちには片想が理想的だよ。悲しませる相手などいないほうがいいんだ」と良太は言った。
 良太は急いで飛行服に着がえた。それまで着ていた軍服はトランクにつめる最後の品物だった。沈丁花と芍薬の造花が入っている紙箱を布袋からとりだし、ノートや筆記用具などといっしょに風呂敷に包んだ。
 トランクの遺品は出雲の家族のもとに、布袋の品物は千鶴に宛てて送り出されるはずだった。そのための作業は佐山に依頼してあった。
 支度を終えた良太は、航空隊に残る仲間たちに声をかけた。「これまでありがとうな」「先に征くぞ」
 仲間たちが応えた。「しっかりやってくれ。俺たちも必ずあとに続くぞ」「靖国で会おうぜ」
 進発する者たちのための儀式が、指揮所の前で行われることになっている。良太は同じ隊の仲間たちと指揮所へ向かった。佐山たち航空隊に残る仲間もついてくる。
 航空隊でやるべきことの全てが終わり、出発のときがきた。
 良太は佐山の手を握って言った。「ありがとうな、これまで。あとは頼むぞ」
「しっかりやってくれ。俺たちもあとに続くぞ」握った手に力をこめて佐山が言った。
 良太は残る仲間たちに別れを告げ、ノートなどを包んだ風呂敷包みを持って零戦に向かった。整備員が精根をこめて整備してくれた零戦は、列線にあってプロペラが回っている。
 良太は整備員に感謝の言葉をつたえ、零式艦上戦闘機の操縦席に入った。
航空隊に残る者たちが、「帽振れ」にそなえて帽子を手にしながら、滑走路の近くに並んでいる。
 良太は右手で操縦桿をにぎると、見送ってくれる仲間たちをながめた。佐山たちが思いつめたような表情を見せている。良太は笑顔で左手をあげ、大きな声で叫んだ。
「先に征くぞ」

 特攻機の多くは機体が古く、性能も劣化していたけれども、良太たちは全機そろって中継地の鈴鹿基地に着いた。そこで一泊している間に機体を整備してもらい、谷田部を発った翌日、南九州の鹿屋に着いた。海軍特攻隊の出撃基地のひとつだった。
 出撃命令が下されるのは、攻撃目標が見つかって、気象条件にも支障がない場合であった。予測のつかないその命令を待ちつつ、良太たちは宿舎で暮らすことになった。
 良太たちにあてがわれた宿舎は、使われていない国民学校の校舎であった。その建物には爆撃された跡があり、天井にあけられた穴を通して光が射しこんでいた。
 その宿舎には電灯がなく、夜の照明はカンテラだった。わびしいその明かりのもとで、良太は数枚のはがきを書いた。出撃命令は翌日にも出される可能性があったから、それが最後の便りにならないとはかぎらなかった。受けとる者たちの悲しみを悲しみ、良太の胸はふさがった。
 次の朝、校舎の側を流れる小川で顔を洗っていると、子供の頃から聴きなれているヒバリの声が聞こえた。良太は辺りを見まわした。畑の麦が勢いよく伸びている。向こうに見える赤い花はれんげ草らしい。風が通り過ぎると、川べりの草がいっせいになびいた。
 吉田少尉が言った。「俺が生まれた村とよく似てるんだよな、この辺りの景色は。俺の故郷からは遠くはなれてるのに」
「同じ日本だからな。俺は島根なんだが、島根にもこんな感じの風景がある」
「きょうの出撃は無いらしいから、飯を食ったらその辺りを散歩してみないか」
「そうだな、歩いてみるか、俺たちがこの世で暮らす最期の場所を」と良太は言った。
 朝食をすませてから、良太は吉田とふたりで散策に出かけた。川べりの道を歩いてゆくと、同じ隊の遠藤二等飛行兵曹と木村二等飛行兵曹が、道ばたの草に腰をおろしていた。良太は、予科練出身のその少年たちを、散歩に誘っていっしょに歩こうと思った。