第4章 海軍飛行専修予備学生

 舞鶴海兵団に到着した12月9日をもって、良太の海軍生活がはじまった。
 仮編成の分隊と班に配属された良太たちは、その日のうちに身体検査をうけさせられ、身上調書の提出を求められた。良太は命じられるまま、食事をとり、食器を洗い、ハンモックの扱いかたを習得し、そして、慣れないハンモックで最初の夜をすごした。
 二日目の朝、挨拶に立った人事部長より、入団した二千名の学徒出身者から士官候補者を選抜するにつき、全員がそれに応募するようのぞむが、とくに飛行機搭乗員を積極的に志望するように、との言葉があった。
 前日につづいて再度の身体検査がおこなわれ、良太は飛行機搭乗員として適格であると判定された。良太には正しい判定結果とは思えなかった。いかに視力が優れていようと、機械の操作が不得手な俺に、飛行機の操縦ができるはずがない。たとえ求められても志望はしまい。そうは思いながらも良太は不安であった。飛行機搭乗員に適していると判定されたからには、飛行科への道が用意されたと思わねばならなかった。生還の可能性が極めてとぼしい道だった。
 入団して三日目に、正式に所属すべき分隊と班が決められた。班は出身大学をもとにして編成されたので、名前を知らないまでも顔を見知っている者がいた。
 入団式が行われた12月14日になって、良太たちはハガキの発信を許された。良太は出雲の家族や千鶴たちに第一信を送ることにした。
 千鶴へのハガキには、近況を記したあとの空白に文字を加えた。〈チーズの香りとパイナップルの味が懐かしい〉
 12月15日から新兵教育が開始されたが、同じ日の午後には予備学生の採用試験を受けさせられた。予備学生とは、予備士官になるための教育を受ける学生であり、少尉の下であって兵曹長の上に相当する階級だった。無事に予備学生としての教育期間を終了すれば、海軍少尉に任官されることになっていた。
 試験科目は作文と国語、それに数学と物理であった。不得手な数学や物理の試験をおえた時点で、良太は士官への道をあきらめた。
 予備学生への道を早々にあきらめた良太であったが、筆記試験の翌日には口頭試問を受けさせられた。良太は試問を受けながら思った、どうやらこれで俺が士官になる道は閉ざされたようだ。このような回答で合格できるわけがない。
 冬の舞鶴は寒かったが、屋外での訓練は悪天候であろうと強行された。そのような日々を送って迎えた12月25日に、良太は父親と忠之、そして千鶴の祖父からの手紙をうけとった。
 父親の手紙には家族の者たちの手紙が、千鶴の祖父からの手紙には千鶴の手紙が同封されていたが、それらはすべて検閲のために開封されていた。
 良太は千鶴からの手紙に返事を書いた。
〈本日のお便り嬉しく拝見。故郷を描いた絵を喜んでもらえて嬉しく思う。勤労奉仕が増えるとのこと、健康に留意しつつがんばってほしい。ここでは6時すぎに朝礼があり、そのあとで故郷に向かって黙祷し、家族の安全を祈る。俺は向きを変えて千鶴や皆さんの無事も祈っている。千鶴や皆さんが良き年を迎えられ、健勝にて過ごされるよう祈っている。〉
 受け取った手紙はいずれも良太の出したハガキに対する返信だったから、急いで便りを出す必要はなかったが、軍需工場で働くことになった忠之には激励のハガキを書いた。