あとがき

「防風林の松」は私が書いた最初の小説である。小説についてはまったくの素人であり、まだ在職中の身でもあったが、ある日いきなり、思い立って小説を書くことにした。それにはむろん動機があった。
 バブル経済をもたらし、その弊害によって社会を混乱させた者たちに対して、私は強い憤りをおぼえていた。その憤りに背中をおされた私は、ユーモア小説を書いて政治を風刺することにした。文章作成のための利器とも言えるワープロを使えば、未経験の小説にも挑戦できそうに思えたからである。
 ワープロを購入した私は、小説の構想がまとまらないまま液晶画面に向かった。
 プロットなるものを作成し、構想を練ってから書き始めるのが一般的なやり方らしいが、私はまったく行き当たりばったりに書き進めていった。才能に恵まれているとは思えない私が、小説の作法も学ばないままに開始したので、原稿用紙二十枚分を書くのにひと月を要した。
 書き始めてからひと月あまりは、そのように遅々としか進まなかったが、5月の連休に入った頃から、自分でも驚く程の速さで書けるようになった。政治を風刺する小説を書きたかったにもかかわらず、物語が進むにつれて、若い技術者の生き様と、その恋愛模様に重点が移っていった。
 創作に慣れたことの他にも筆を速めた理由があった。技術者の執念なる言葉を思い出したことで、小説のテーマが見つかったような気がしたこと、そして、故郷の防風林が心に浮かんだことがそれである。当初の目的は政治を揶揄するにあったが、そこからはすでに大きく逸れていたので、創作意欲を維持するには新しいテーマが必要だった、ということであろう。その頃になってようやく、題名が決まって「防風林の松」になった。
 ワープロに向かえるのは休日と夜間だけであったが、心血を注いだ数ヶ月を過ごして、どうにか最後まで書き上げることができた。
 草稿と呼ぶべきその原稿を読み返してみると、文章と表現は甚だ稚拙ながらも、その概要はこの最終版と変わらない。物語の行方が見えないままに書き進めたのだが、どうにか小説らしい形にはなっていたことになる。
 なっとくできる形に仕上げるために、幾度となく改訂を重ねたのだが、前記のごとく、物語のすじを変える必要はなかった。どうやら、その気になりさえすれば、小説は誰にでも書けるものである、と言えそうである。とはいえ、それなりに覚悟は必要である。もしかすると、作家と呼ばれるようなひとにとっても、創作は喜びであるとともに、身をけずるような営みではなかろうか。素人であるのみならず、才能にも恵まれない私ゆえの感想かも知れないのだが、私にはそのように思えるのである。
 この小説は一人称で書かれているために、読んでいただいた知人の中には、主人公を私に重ねる人がいたようである。この小説には私自身の体験も入っているが、それはせいぜい一パーセントである。その一パーセントとは、中学一年生までの私が成績劣等生だったこと、ラジオに興味を抱いて独学したことも、成績向上に役立ったと思われること、電機会社に三鷹市から通勤していたこと、仕事に関わる資料や原書を持ち帰り、夜おそくまで読みふけったこと、会社にしばしば遅刻したことである。
 この小説で重要な役割をはたしている防風林は、私の故郷である出雲に実在するものであり、作中に出てくる小学校の校歌は、廃校になって久しい私の母校のものである。物語に関わるそれ以外のすべては私の創作になるものだが、初めて書いた小説ということもあって、微妙な心理の描写に少なからず苦労した。とはいえその経験が、特攻隊員を主人公とする小説「造花の香り」を書くうえで、大いに役立つことになった。
 最近になって読み返したところ、稚拙なところが眼につきすぎて、改訂せざるを得なくなった。そこで改訂にとりくみ、終章の「記憶の世界」を加えてこのような形に仕上げたのだが、その結果、政治に関わる文章はさらに少なくなった。最初に記したように、この小説を書いた動機は政治に対する怒りであったが、結果的には当初の目的から大きくはずれたものとなった。
 バブル崩壊後の「失われた二十年」を経てもなお、この国の政治が愚劣な様態に留まっていることを思えば、若い世代の眼を政治に向けさせ、政治への積極的な関与をうながす小説に対して、多くの出番が用意され、登場を待たれているような気がするのである。才能に恵まれた誰かによって、そのような小説が書かれるようにと願っている。