「おれの友達がよく言うんだよ。人生の目的は幸福になることだから、幸福になるための努力をしなくちゃならないし、人を不幸にしないように気をつけるべきだ。確かにその通りだと思うけど、むつかしいことだね」
「人生の目的は幸福になること、か。そういう考え方もあるだろうな」と伯父は言ってタバコを口にくわえた。
ゆっくりと煙をはきだしてから伯父が続けた。
「ついでだから、人生の目的とは何か、ということを考えてみないか。もしかすると、ジロちゃんが困っている問題を考えるうえで、参考になるかも知れないからな」
その言葉が僕に期待を抱かせた。今の自分に必要な何かが、これから始まる話し合いの中で、ようやく見えてくるような気がする。
「幸福とは何かということから考えるべきだが、今はそれは措いとくことにしよう。ここではひとまず、自分は幸福だと思う人は幸福であり、不幸だと思う人は不幸だということにしておこう。そこでだな、人生の目的が幸福になることだとしたら、不幸だった人は、あるいは不幸だったと思っているような人は、せっかく生まれてきたのに、その目的をはたせなかった、ということになるんじゃないのかな。どんなに努力をしても幸福になれなかった、と思う人もいるだろうし、何かの事情でそのための努力すらもままならなかった、という人もいるだろう。運の悪い人はこの世に生まれた目的を果たせないというのでは、どこかおかしいとは思わないか。幸福とはいえなかったと思う人にも、生れてきた目的があったはずなんだよ」
黙って耳を傾けている僕に向かって、伯父はさらに続けた。
「そこで、人生の目的ということだが、生きるということ自体が人生の目的だと考えたらどうだろうか」
伯父は灰皿にタバコを押しつけて火を消した。灰皿の中で重なっている二本の吸い殻を見ながら、生きること自体がどうして目的になるのだろうか、と思った。
「生きること自体が目的って、どういうことだろう」
「人生を生きる過程で学んだことに意味がある、ということだよ。だから、どんな生き方をするのか、そしてどんな考え方で生きるかということが大切なんだ」
「たとえば、生きがいのある人生になるように努力する、というようなことかな」
「生きがいというのはたいせつなことだが、そのような生き方をすることが、人生の目的だとは言えないだろうな。いまの世の中には、生きがいを感じられない者がたくさん居るということだが、そういう人にも人生の目的はあるはずだからな。それで、生きること自体に目的があるということの意味なんだが、これはつまり、人生を生きるということから得られた結果に、なんらかの価値があるということなんだよ。どんな価値があるかということだな、その人が生きた結果に」
「自分が学んだり成し遂げたりしたことが、他の人のために役立つならいいけど、そうじゃない場合には人生の目的を充分に達成したことにはならない、というようにも聞こえるけど、多分そういうことじゃないよね」
伯父は新しいタバコをとりだしたが、口にくわえるかわりに、ライターと並べてテーブルの上に置いた。ライターの横には、灰皿とビールで満たされたコップがあった。中身が半分ほど残ったビールのビンは、テーブルの中ほどに置かれたままだった。
僕は眼の前のコップをとって一口だけ飲んだ。コップを手にしたまま泡の消えたビールに眼を落としていると、話しかける伯父の声が聞こえた。
「こんな話を聞いたことがないかな。人が生まれてくる目的は、この世での修業を通して魂を向上させることだ、という話を」
意外な言葉だったが、それを聞いても僕は驚かなかった。伯父と父が霊魂の実在について議論したことがあったからだ。
霊魂が実在する証拠は、その気になれば簡単に見つけることができると主張した伯父に対して、科学的にそれはありえないことだと父は反論した。それに対して伯父はさらに主張した。霊魂が存在するという確かな証拠があるにもかかわらず、この問題に真剣に取り組もうしないことこそ、非科学的な態度というべきだ。それとも、霊魂は存在しないということを科学的に証明できているのか。実際のところ、霊魂の実在を体験的にあるいは実証的に知ることが可能になっている。そのことを確かめてみたいというのであれば、それができる所へいつでも案内するつもりだ。
そのころ僕は中学生だった。電子回路の勉強に熱中していた僕にとって、科学こそが信ずるに値する偉大なものだった。僕には考えるまでもなく父の主張が正しいと思われ、伯父は非科学的な考えにとらわれているとしか思えなかった。それから数年を経た学生時代に、友人から霊に関する書物をすすめられたが、そのようなことにはまったく興味がなかったので、僕はその書物を借りようともしなかった。
「聞いたこともないし、読んだこともないよ、そんな話は」と僕は答えた。
「ジロちゃんが抱えている問題は、やっかいで難しいものだし、ジロちゃんにとっては深刻な悩みに違いないけど、これを、ジロちゃんの魂を向上させるうえでの試練だと考えたらどうかな」
「おれがいい加減だったために起こった問題なのに、それがおれの魂を向上させるというのは、なんだか奇妙なことだという気がするけどね」
「自業自得による悩みだとも言えるし、厳しい試練に直面している人からは、甘えていると非難されるかも知れないけども、ジロちゃんのいまの悩みは、自分で用意した試練だと考えたらどうだろう。人間は試練を通して自分の魂を向上させるわけだが、場合によっては、自分で試練を用意することもありえるわけだよ。もしかすると、運命には自分が責任を持つべき部分があるのかも知れないな。もうひとつ考えておくべきことは、魂を成長させるために、人は互いに協力し合っているということだよ。人の運命は他の人の運命とも関わり合っているということだな」
伯父はテーブルの上からタバコとライターをとりあげた。タバコに火をつけた伯父は、ライターをポケットにしまった。伯父のしぐさを僕は黙って見ていた。
伯父はゆっくりと煙を吐いてから、僕に顔を向けた。「さっき話した試練のことだけど、試練だから甘んじてそれを受け入れるというだけで、それに積極的に対処しなかったなら、試練から逃げだしたことになるわけだよ。あきらめたり逃げたりしないで、それを克服しようと努力すべきだ、ということだよ。試練というものは、それを乗り越えてこそ意味があると思うよ。幸せな人生というものは、その結果として得られてこそ、価値があるんじゃないのかな。だから、ジロちゃんの友達の言ってることも、ある意味では正しいと思うよ。人生の目的は幸せになることだ、というのもな」
「どうしても克服できないような試練だったら、それから逃げても責められないと思うけどな」
「いかに努力しても解決できないような試練か・・・・・・そういうのも確かにあるわけだが、そのような場合であっても、絶望して暗い人生を生きる人もいれば、与えられた条件の中で有意義な生き方を見つける人もいるだろう。あとの例の場合には、試練にしっかりと対処したことになるんじゃないかな。だから、与えられた条件の中で最前を尽くすことや、そういう心構えを持って生きることも、試練から逃げない生き方と言えるわけだよ」
「試練についてはわかったけど、生きること自体が人生の目的ということが、おれには漠然とした感じでよくわからないよ。魂の向上ということの意味がよく理解できていないからだけど」
「こういったことを本当に理解するには、先入観にとらわれないで精神世界のことを学ぶ必要があるんだ。こんな言い方をすると、ジロちゃんは観念論や宗教のことだと思うかもしれないが、そうじゃなくてこれも科学なんだよ。アメリカなどには、こういうことを大学で本格的に研究している学者もいるし、日本にもすぐれた本をだしている人がいるんだ。そういう人たちが書いた書物を貸してやるから、ジロちゃんも読んでみたらどうかな。注意しておくけど、自分で買う場合には、いんちきな本に気をつけるんだぞ。本屋にはこういった方面の本がずいぶん並んでいるが、金儲けのためや自己満足のために本をだす人間もいることだし、うかつに手をだすと危険な本だってあるからな」
心から信頼している伯父であろうと、霊に関することを素直に受け入れることはできなかったが、叔父が紹介してくれた書物は読みたいと思った。伯父が語ってくれたことを理解するためには必要と思われたし、伯父の話を聞いて、精神世界のことに興味をおぼえたからでもあった。
人が生きることの意味や生き方について、伯父はなおも語り続けた。僕は感謝しながら伯父の話に耳を傾けた。僕が当面している問題とは関わりのない話だったが、それを聞いているうちに、伯父に期待していたのはこのような話を聞くことだったのだ、と言う気がした。そして、伯父と話し合ったことで、自分の進むべき道を、遠からず見つけることができそうな気がした。
8時に近い時刻に、僕たちは店を出て立川駅に向かった。
プラットホームのベンチで伯父が言った。
「ジロちゃんの問題は、理屈で解決できるわけじゃないけど、いずれは答えがでてくるんだからな。苦しいだろうけど、あせらないでな。いい答えが見つかるように祈っているよ」
伯父の言葉を聞いて僕は思った。どんなにつらかろうとも、僕は答を見つけなければならない。いま抱えているこの問題を、自分の力で解決しなければならない。伯父は僕よりもさらに大きな悩みをのり越えたのだ。自分にもそれが可能なはずだ。
高尾行きの電車が入ってきた。電車に乗りこもうとする伯父に、僕はあらためて感謝の言葉を伝えた。スピーカーからのアナウンスが、東京行きの電車がくることを告げていた。
「人生の目的は幸福になること、か。そういう考え方もあるだろうな」と伯父は言ってタバコを口にくわえた。
ゆっくりと煙をはきだしてから伯父が続けた。
「ついでだから、人生の目的とは何か、ということを考えてみないか。もしかすると、ジロちゃんが困っている問題を考えるうえで、参考になるかも知れないからな」
その言葉が僕に期待を抱かせた。今の自分に必要な何かが、これから始まる話し合いの中で、ようやく見えてくるような気がする。
「幸福とは何かということから考えるべきだが、今はそれは措いとくことにしよう。ここではひとまず、自分は幸福だと思う人は幸福であり、不幸だと思う人は不幸だということにしておこう。そこでだな、人生の目的が幸福になることだとしたら、不幸だった人は、あるいは不幸だったと思っているような人は、せっかく生まれてきたのに、その目的をはたせなかった、ということになるんじゃないのかな。どんなに努力をしても幸福になれなかった、と思う人もいるだろうし、何かの事情でそのための努力すらもままならなかった、という人もいるだろう。運の悪い人はこの世に生まれた目的を果たせないというのでは、どこかおかしいとは思わないか。幸福とはいえなかったと思う人にも、生れてきた目的があったはずなんだよ」
黙って耳を傾けている僕に向かって、伯父はさらに続けた。
「そこで、人生の目的ということだが、生きるということ自体が人生の目的だと考えたらどうだろうか」
伯父は灰皿にタバコを押しつけて火を消した。灰皿の中で重なっている二本の吸い殻を見ながら、生きること自体がどうして目的になるのだろうか、と思った。
「生きること自体が目的って、どういうことだろう」
「人生を生きる過程で学んだことに意味がある、ということだよ。だから、どんな生き方をするのか、そしてどんな考え方で生きるかということが大切なんだ」
「たとえば、生きがいのある人生になるように努力する、というようなことかな」
「生きがいというのはたいせつなことだが、そのような生き方をすることが、人生の目的だとは言えないだろうな。いまの世の中には、生きがいを感じられない者がたくさん居るということだが、そういう人にも人生の目的はあるはずだからな。それで、生きること自体に目的があるということの意味なんだが、これはつまり、人生を生きるということから得られた結果に、なんらかの価値があるということなんだよ。どんな価値があるかということだな、その人が生きた結果に」
「自分が学んだり成し遂げたりしたことが、他の人のために役立つならいいけど、そうじゃない場合には人生の目的を充分に達成したことにはならない、というようにも聞こえるけど、多分そういうことじゃないよね」
伯父は新しいタバコをとりだしたが、口にくわえるかわりに、ライターと並べてテーブルの上に置いた。ライターの横には、灰皿とビールで満たされたコップがあった。中身が半分ほど残ったビールのビンは、テーブルの中ほどに置かれたままだった。
僕は眼の前のコップをとって一口だけ飲んだ。コップを手にしたまま泡の消えたビールに眼を落としていると、話しかける伯父の声が聞こえた。
「こんな話を聞いたことがないかな。人が生まれてくる目的は、この世での修業を通して魂を向上させることだ、という話を」
意外な言葉だったが、それを聞いても僕は驚かなかった。伯父と父が霊魂の実在について議論したことがあったからだ。
霊魂が実在する証拠は、その気になれば簡単に見つけることができると主張した伯父に対して、科学的にそれはありえないことだと父は反論した。それに対して伯父はさらに主張した。霊魂が存在するという確かな証拠があるにもかかわらず、この問題に真剣に取り組もうしないことこそ、非科学的な態度というべきだ。それとも、霊魂は存在しないということを科学的に証明できているのか。実際のところ、霊魂の実在を体験的にあるいは実証的に知ることが可能になっている。そのことを確かめてみたいというのであれば、それができる所へいつでも案内するつもりだ。
そのころ僕は中学生だった。電子回路の勉強に熱中していた僕にとって、科学こそが信ずるに値する偉大なものだった。僕には考えるまでもなく父の主張が正しいと思われ、伯父は非科学的な考えにとらわれているとしか思えなかった。それから数年を経た学生時代に、友人から霊に関する書物をすすめられたが、そのようなことにはまったく興味がなかったので、僕はその書物を借りようともしなかった。
「聞いたこともないし、読んだこともないよ、そんな話は」と僕は答えた。
「ジロちゃんが抱えている問題は、やっかいで難しいものだし、ジロちゃんにとっては深刻な悩みに違いないけど、これを、ジロちゃんの魂を向上させるうえでの試練だと考えたらどうかな」
「おれがいい加減だったために起こった問題なのに、それがおれの魂を向上させるというのは、なんだか奇妙なことだという気がするけどね」
「自業自得による悩みだとも言えるし、厳しい試練に直面している人からは、甘えていると非難されるかも知れないけども、ジロちゃんのいまの悩みは、自分で用意した試練だと考えたらどうだろう。人間は試練を通して自分の魂を向上させるわけだが、場合によっては、自分で試練を用意することもありえるわけだよ。もしかすると、運命には自分が責任を持つべき部分があるのかも知れないな。もうひとつ考えておくべきことは、魂を成長させるために、人は互いに協力し合っているということだよ。人の運命は他の人の運命とも関わり合っているということだな」
伯父はテーブルの上からタバコとライターをとりあげた。タバコに火をつけた伯父は、ライターをポケットにしまった。伯父のしぐさを僕は黙って見ていた。
伯父はゆっくりと煙を吐いてから、僕に顔を向けた。「さっき話した試練のことだけど、試練だから甘んじてそれを受け入れるというだけで、それに積極的に対処しなかったなら、試練から逃げだしたことになるわけだよ。あきらめたり逃げたりしないで、それを克服しようと努力すべきだ、ということだよ。試練というものは、それを乗り越えてこそ意味があると思うよ。幸せな人生というものは、その結果として得られてこそ、価値があるんじゃないのかな。だから、ジロちゃんの友達の言ってることも、ある意味では正しいと思うよ。人生の目的は幸せになることだ、というのもな」
「どうしても克服できないような試練だったら、それから逃げても責められないと思うけどな」
「いかに努力しても解決できないような試練か・・・・・・そういうのも確かにあるわけだが、そのような場合であっても、絶望して暗い人生を生きる人もいれば、与えられた条件の中で有意義な生き方を見つける人もいるだろう。あとの例の場合には、試練にしっかりと対処したことになるんじゃないかな。だから、与えられた条件の中で最前を尽くすことや、そういう心構えを持って生きることも、試練から逃げない生き方と言えるわけだよ」
「試練についてはわかったけど、生きること自体が人生の目的ということが、おれには漠然とした感じでよくわからないよ。魂の向上ということの意味がよく理解できていないからだけど」
「こういったことを本当に理解するには、先入観にとらわれないで精神世界のことを学ぶ必要があるんだ。こんな言い方をすると、ジロちゃんは観念論や宗教のことだと思うかもしれないが、そうじゃなくてこれも科学なんだよ。アメリカなどには、こういうことを大学で本格的に研究している学者もいるし、日本にもすぐれた本をだしている人がいるんだ。そういう人たちが書いた書物を貸してやるから、ジロちゃんも読んでみたらどうかな。注意しておくけど、自分で買う場合には、いんちきな本に気をつけるんだぞ。本屋にはこういった方面の本がずいぶん並んでいるが、金儲けのためや自己満足のために本をだす人間もいることだし、うかつに手をだすと危険な本だってあるからな」
心から信頼している伯父であろうと、霊に関することを素直に受け入れることはできなかったが、叔父が紹介してくれた書物は読みたいと思った。伯父が語ってくれたことを理解するためには必要と思われたし、伯父の話を聞いて、精神世界のことに興味をおぼえたからでもあった。
人が生きることの意味や生き方について、伯父はなおも語り続けた。僕は感謝しながら伯父の話に耳を傾けた。僕が当面している問題とは関わりのない話だったが、それを聞いているうちに、伯父に期待していたのはこのような話を聞くことだったのだ、と言う気がした。そして、伯父と話し合ったことで、自分の進むべき道を、遠からず見つけることができそうな気がした。
8時に近い時刻に、僕たちは店を出て立川駅に向かった。
プラットホームのベンチで伯父が言った。
「ジロちゃんの問題は、理屈で解決できるわけじゃないけど、いずれは答えがでてくるんだからな。苦しいだろうけど、あせらないでな。いい答えが見つかるように祈っているよ」
伯父の言葉を聞いて僕は思った。どんなにつらかろうとも、僕は答を見つけなければならない。いま抱えているこの問題を、自分の力で解決しなければならない。伯父は僕よりもさらに大きな悩みをのり越えたのだ。自分にもそれが可能なはずだ。
高尾行きの電車が入ってきた。電車に乗りこもうとする伯父に、僕はあらためて感謝の言葉を伝えた。スピーカーからのアナウンスが、東京行きの電車がくることを告げていた。