調布のインターチェンジで中央道をおり、三鷹駅へ向かった。
三鷹駅の公衆電話で絵里は自宅に電話をかけた。自宅に帰っていた坂田から、絵里は父親のようすを聞くことができた。父親は心臓発作をおこしたのだが、十日も入院すれば退院できそうだと聞かされ、絵里はようやく安堵の表情をうかべた。高原の草むらで絵里と語り合っていたころ、絵里の自宅では救急車を呼ぶ事態がおきていたのだった。
病院へ向かう絵里と三鷹駅で別れた。父親の病状が軽いことを知り、絵里はいつもの笑顔を取りもどしていた。
自宅に向かう道すがら、絵里とホテルに入るに至った経緯を振り返ってみた。甲府に泊まろうと言いだしたとき、絵里はすでに僕との同室を考えていたに違いなかった。あの内気な絵里が、あのようにして僕に誘いかけ、いっしょにホテルに入ったのだ。あの言葉を口にしたとき、絵里にはどんな想いがあったのだろうか。
それまでの絵里からは、想像することすらできない言動だった。絵里の気持ちを想っているうちに、僕は心に痛みを覚えはじめた。絵里はおれを信頼しきっており、みじんも疑っていないのだ。そのおれは、絵里と佳子のふたりに対して、不誠実極まりないことをしてきたのだ。
僕は重い気持ちを抱えて家についた。
居間では食事をおえた家族が話し合っていた。僕は夕食をすませたことを母に告げ、すぐに自分の部屋に入った。
衣服をとり替えもしないで、ベッドのうえに体を投げだした。するといきなり、ホテルでの絵里とのことがまざまざと蘇えってきた。ベッドのうえの絵里の姿が思い出された。もしもホテルに泊まっていたら、今もまだ絵里を抱いているような気がする。
そのまま空想の世界に引き込まれそうになったので、僕は急いでベッドをはなれ、すぐそばの椅子に移った。
僕は絵里の気持ちを想った。僕を信じきっているはずだから、ホテルのことも幸せな気持ちで思い返すに違いない。これからの絵里は、さらに積極的に接してくるような気がする。絵里がどのように振舞おうとも、佳子にはこれまで通りに向き合わねばならない。佳子を悲しませるようなことはしたくない。絵里とあのようにしてホテルに入るようでは、これからも、自分の自制心をあてにはできないという気がする。逃げ場のない所に追いつめられるまでに、とるべき態度を決めなければならない。そのために、まずやるべきことは何だろう。なにはともあれ、優柔不断という巣から飛び出さねばならない。
考えているうちに息ぐるしくなった。椅子から立ち上がって部屋を出ようとしたとき、まだ着替えていないことに気がついた。上に着ていたものを脱いでベッドに放り投げ、重苦しい空気に満たされた部屋を出た。
居間では両親と兄がそろってテレビの特集番組を見ていた。僕がいつもの場所に腰をおろすと、番組をしめくくるナレーションが流れた。
「どうかしたの、滋郎」お茶を注ぎながら母が言った。「疲れてるみたいだけど」
「何ともないよ・・・・ちょっと疲れてるけど」
「疲れるでしょ、山梨県までドライブしたんだから。今日は天気が良くてよかったじゃない」
母には友人と一緒に山梨へ行くと伝えてあった。
お茶を飲んでいると、父がとうとつに問いかけてきた。「このあいだ話していた実験、あれはどうなった」
音楽好きの父はスピーカーにも興味をもっているので、僕の仕事に対して強い関心を抱いていた。
僕が試作の進み具合を話すと、父は「それならよさそうだな。それにしてもだ、おまえもけっこう執念を燃やしているじゃないか」と言った。
父がそんな言葉を口にしたのは、吉野さんから聞いた執念についての話を、居間での話題にしたことがあったからだ。
居間で話し合っている間は気がまぎれたのだが、自分の部屋にひきあげてからは、再び悩みながらの思考を続けることになった。風呂に体を沈めて絵里と佳子のことを考え、寝床に入ってからも3人の行く末を思った。いくら考えても結論らしいものは得られず、寝つけないままに時間が過ぎた。
つぎの朝、絵里が病院から電話をかけてきて、父親の病気がそれほど重くはないので安心したことや、日曜日のその日は父親の看病をすることを伝えた。絵里は前日のドライブに話題を移して、八ケ岳の高原や中央道の眺めを楽しそうに振り返ったが、ホテルのことには触れなかった。
僕は優柔不断な態度から抜け出す決意をしたばかりだった。絵里に別れを告げることにもなりかねなかったので、絵里に合わせて明るい声で話していると、自分が不誠実なことをしているような気がした。会話を終えるまぎわまで、絵里の声は明るいままだった。
午後には佳子と会う約束があったが、いつも通りに佳子と向き合うことはできそうになかった。僕は佳子に電話をかけて、急用ができたので埼玉へは行けなくなったと告げた。
離婚歴をもつ伯父に相談すれば、解決に向けたヒントが得られそうな気がしたけれども、親しい伯父に持ちかけるには勇気が要った。伯父の古傷に触れるのではないかと不安でもあった。そのようにためらっているとき、池田のことが思い出された。女と別れようとしている池田もまた、大きな悩みを抱えているに違いなかった。悩む者どうしで話し合えば、得られるところがありそうな気がした。
大学の同期生会で会ったとき、池田から電話番号を知らされていた。手帳のメモを頼りに電話をかけたが、夜になってからの3度目の電話も通じなかった。そのときになってようやく、新宿で池田が話したことを思い出した。秋から翌年の春まで、池田は東京を離れているはずだった。
ためらいはあったけれども、僕は伯父に電話をかけて、会ってもらう約束を得た。
つぎの日の夕方、会社からの帰りに立川駅で電車をおりて、下りの電車に乗ってくるはずの伯父を待った。伯父は約束の時間に少しおくれて改札口から出てきた。
並んで歩きだすなり伯父が言った。「どうしたんだ、ジロちゃん。元気がないぞ」
相談の中身について問われていると思いながらも、僕にはあいまいな受け答えしかできなかった。
駅から数分ほどのところで、伯父は僕をうながして店に入った。
話をきりだせないまま、伯父に注がれたビールを飲みほした。伯父にすすめられるままにコップを空けたので、料理がならべられたときにはすでに酔っていた。
伯父は料理に手をだしながら、「とにかく食おうよ、ジロちゃん。話はそれからでもいいだろ」と言った。僕はほっとする気持ちになって箸をとった。相談を持ち出すきっかけを、食事をしているうちに見つけることにした。
食事が終ってテーブルの上がかたずけられた。追加のビールを注文していた伯父が、向き直るようにして僕を見た。
「話しにくいようだがな、ジロちゃん」と伯父が言った。「おれに相談したくてここにいるんだろ。思いきって言ってみろ。どんなことで困ってるんだ」
伯父にうながされて僕は話した。一年あまりつきあってきた佳子のこと。出会ってからまだ日は浅いが、僕にとって大きな存在になってきた絵里のこと。同時にふたりと付き合うことに、強い不安を覚えていること。伯父に問われるままに僕は認めた、佳子とはいっしょにホテルに入るような仲だということを。
「相談というのは、要するにこういうことか」と伯父が言った。「前からつき合っているのと別れるのがむつかしいのだが、どうしたらいいんだろうと」
「別れたいなんて気持ちは無いんだよ、そいつのことを好きだから」
「それで……ほんとのところ、ジロちゃん自身はどうしたいんだ」
「自分の気持ちがはっきりしなくて、どうしたらいいのかわからないんだよね。だらしないとは思うんだけど」
「何とかしたいが、自分の気持ちがはっきりしない、ということか」
伯父はくわえたタバコに火をつけると、キャップを閉じたライターをテーブルの上に置いた。
伯父はゆっくりと煙をはきだすと顔をあげ、「それで・・・・おれにどんなことを聞きたいと思ってるんだ、ジロちゃんは」と言った。
伯父からは人生経験にもとづいた助言を期待していたのだが、僕が必要としている助言がいかなるものか、自分でもわからなかった。そのような事情を僕は率直に話した。
僕が話しているあいだ、伯父は眼をつむって聞いていた。僕が話しおえても、伯父は眼をつむったままだった。だまってタバコを吸っていた伯父は、眼をあけると灰皿にタバコをこすりつけ、それからようやく話しはじめた。
伯父が語ってくれたのは、伯父自身のつらい体験だった。幼い頃から親しんでいた伯父に、そのような人生経験があったことを僕は初めて知った。
語りおえた伯父は新しいタバコをとりだした。なれた手つきで火をつけている伯父を見ながら、僕は伯父が語ってくれたことを思いかえした。
伯父が語った過去の体験は、僕が抱えていた問題とは質的に大きく異なるものだった。伯父がそのことを承知のうえで語ってくれたのだから、そこから僕が学べるところがあるはずだった。伯父は語った、自分はきちんと対処してきたから、今も後悔することはないのだ、と。僕は思った、自分が抱えているこの問題に真摯に対処しなかったなら、どのような形で決着をつけるにしろ、今の想いを伴った後悔を、いつまでも引きずることになるのかもしれない、と。
伯父のはきだした煙が、見えない迷路をさ迷いながら、それでもゆくえは決まっているかのように、ゆっくりと昇っていった。伯父がふたたび煙をはくと、先ほどとは少しだけ違った方向へ流れていった。気がつくと伯父は僕を見ていた。伯父の眼は僕を通り越して、もっと遠いどこかを見ているようだった。僕の相談に応えながら、伯父は自分自身の人生をふり返っていたのかも知れない。
「むつかしいことだがな、ジロちゃん」と伯父が言った。「つらくても、自分をごまかすような決め方をしちゃだめだぞ」
伯父の言葉にうなづきながらも、それでは、自分に正直な決断とはどんな決断だろうと思った。自分の気持を尊重するということであろうか。それとも、自分の信条なり信念に従い、妥協しない生き方を選べということであろうか。いずれにしても、僕が愛している佳子と絵里を、そして、僕を心から信頼している佳子と絵里を悲しませ、不幸にするようなことはしたくない。
三鷹駅の公衆電話で絵里は自宅に電話をかけた。自宅に帰っていた坂田から、絵里は父親のようすを聞くことができた。父親は心臓発作をおこしたのだが、十日も入院すれば退院できそうだと聞かされ、絵里はようやく安堵の表情をうかべた。高原の草むらで絵里と語り合っていたころ、絵里の自宅では救急車を呼ぶ事態がおきていたのだった。
病院へ向かう絵里と三鷹駅で別れた。父親の病状が軽いことを知り、絵里はいつもの笑顔を取りもどしていた。
自宅に向かう道すがら、絵里とホテルに入るに至った経緯を振り返ってみた。甲府に泊まろうと言いだしたとき、絵里はすでに僕との同室を考えていたに違いなかった。あの内気な絵里が、あのようにして僕に誘いかけ、いっしょにホテルに入ったのだ。あの言葉を口にしたとき、絵里にはどんな想いがあったのだろうか。
それまでの絵里からは、想像することすらできない言動だった。絵里の気持ちを想っているうちに、僕は心に痛みを覚えはじめた。絵里はおれを信頼しきっており、みじんも疑っていないのだ。そのおれは、絵里と佳子のふたりに対して、不誠実極まりないことをしてきたのだ。
僕は重い気持ちを抱えて家についた。
居間では食事をおえた家族が話し合っていた。僕は夕食をすませたことを母に告げ、すぐに自分の部屋に入った。
衣服をとり替えもしないで、ベッドのうえに体を投げだした。するといきなり、ホテルでの絵里とのことがまざまざと蘇えってきた。ベッドのうえの絵里の姿が思い出された。もしもホテルに泊まっていたら、今もまだ絵里を抱いているような気がする。
そのまま空想の世界に引き込まれそうになったので、僕は急いでベッドをはなれ、すぐそばの椅子に移った。
僕は絵里の気持ちを想った。僕を信じきっているはずだから、ホテルのことも幸せな気持ちで思い返すに違いない。これからの絵里は、さらに積極的に接してくるような気がする。絵里がどのように振舞おうとも、佳子にはこれまで通りに向き合わねばならない。佳子を悲しませるようなことはしたくない。絵里とあのようにしてホテルに入るようでは、これからも、自分の自制心をあてにはできないという気がする。逃げ場のない所に追いつめられるまでに、とるべき態度を決めなければならない。そのために、まずやるべきことは何だろう。なにはともあれ、優柔不断という巣から飛び出さねばならない。
考えているうちに息ぐるしくなった。椅子から立ち上がって部屋を出ようとしたとき、まだ着替えていないことに気がついた。上に着ていたものを脱いでベッドに放り投げ、重苦しい空気に満たされた部屋を出た。
居間では両親と兄がそろってテレビの特集番組を見ていた。僕がいつもの場所に腰をおろすと、番組をしめくくるナレーションが流れた。
「どうかしたの、滋郎」お茶を注ぎながら母が言った。「疲れてるみたいだけど」
「何ともないよ・・・・ちょっと疲れてるけど」
「疲れるでしょ、山梨県までドライブしたんだから。今日は天気が良くてよかったじゃない」
母には友人と一緒に山梨へ行くと伝えてあった。
お茶を飲んでいると、父がとうとつに問いかけてきた。「このあいだ話していた実験、あれはどうなった」
音楽好きの父はスピーカーにも興味をもっているので、僕の仕事に対して強い関心を抱いていた。
僕が試作の進み具合を話すと、父は「それならよさそうだな。それにしてもだ、おまえもけっこう執念を燃やしているじゃないか」と言った。
父がそんな言葉を口にしたのは、吉野さんから聞いた執念についての話を、居間での話題にしたことがあったからだ。
居間で話し合っている間は気がまぎれたのだが、自分の部屋にひきあげてからは、再び悩みながらの思考を続けることになった。風呂に体を沈めて絵里と佳子のことを考え、寝床に入ってからも3人の行く末を思った。いくら考えても結論らしいものは得られず、寝つけないままに時間が過ぎた。
つぎの朝、絵里が病院から電話をかけてきて、父親の病気がそれほど重くはないので安心したことや、日曜日のその日は父親の看病をすることを伝えた。絵里は前日のドライブに話題を移して、八ケ岳の高原や中央道の眺めを楽しそうに振り返ったが、ホテルのことには触れなかった。
僕は優柔不断な態度から抜け出す決意をしたばかりだった。絵里に別れを告げることにもなりかねなかったので、絵里に合わせて明るい声で話していると、自分が不誠実なことをしているような気がした。会話を終えるまぎわまで、絵里の声は明るいままだった。
午後には佳子と会う約束があったが、いつも通りに佳子と向き合うことはできそうになかった。僕は佳子に電話をかけて、急用ができたので埼玉へは行けなくなったと告げた。
離婚歴をもつ伯父に相談すれば、解決に向けたヒントが得られそうな気がしたけれども、親しい伯父に持ちかけるには勇気が要った。伯父の古傷に触れるのではないかと不安でもあった。そのようにためらっているとき、池田のことが思い出された。女と別れようとしている池田もまた、大きな悩みを抱えているに違いなかった。悩む者どうしで話し合えば、得られるところがありそうな気がした。
大学の同期生会で会ったとき、池田から電話番号を知らされていた。手帳のメモを頼りに電話をかけたが、夜になってからの3度目の電話も通じなかった。そのときになってようやく、新宿で池田が話したことを思い出した。秋から翌年の春まで、池田は東京を離れているはずだった。
ためらいはあったけれども、僕は伯父に電話をかけて、会ってもらう約束を得た。
つぎの日の夕方、会社からの帰りに立川駅で電車をおりて、下りの電車に乗ってくるはずの伯父を待った。伯父は約束の時間に少しおくれて改札口から出てきた。
並んで歩きだすなり伯父が言った。「どうしたんだ、ジロちゃん。元気がないぞ」
相談の中身について問われていると思いながらも、僕にはあいまいな受け答えしかできなかった。
駅から数分ほどのところで、伯父は僕をうながして店に入った。
話をきりだせないまま、伯父に注がれたビールを飲みほした。伯父にすすめられるままにコップを空けたので、料理がならべられたときにはすでに酔っていた。
伯父は料理に手をだしながら、「とにかく食おうよ、ジロちゃん。話はそれからでもいいだろ」と言った。僕はほっとする気持ちになって箸をとった。相談を持ち出すきっかけを、食事をしているうちに見つけることにした。
食事が終ってテーブルの上がかたずけられた。追加のビールを注文していた伯父が、向き直るようにして僕を見た。
「話しにくいようだがな、ジロちゃん」と伯父が言った。「おれに相談したくてここにいるんだろ。思いきって言ってみろ。どんなことで困ってるんだ」
伯父にうながされて僕は話した。一年あまりつきあってきた佳子のこと。出会ってからまだ日は浅いが、僕にとって大きな存在になってきた絵里のこと。同時にふたりと付き合うことに、強い不安を覚えていること。伯父に問われるままに僕は認めた、佳子とはいっしょにホテルに入るような仲だということを。
「相談というのは、要するにこういうことか」と伯父が言った。「前からつき合っているのと別れるのがむつかしいのだが、どうしたらいいんだろうと」
「別れたいなんて気持ちは無いんだよ、そいつのことを好きだから」
「それで……ほんとのところ、ジロちゃん自身はどうしたいんだ」
「自分の気持ちがはっきりしなくて、どうしたらいいのかわからないんだよね。だらしないとは思うんだけど」
「何とかしたいが、自分の気持ちがはっきりしない、ということか」
伯父はくわえたタバコに火をつけると、キャップを閉じたライターをテーブルの上に置いた。
伯父はゆっくりと煙をはきだすと顔をあげ、「それで・・・・おれにどんなことを聞きたいと思ってるんだ、ジロちゃんは」と言った。
伯父からは人生経験にもとづいた助言を期待していたのだが、僕が必要としている助言がいかなるものか、自分でもわからなかった。そのような事情を僕は率直に話した。
僕が話しているあいだ、伯父は眼をつむって聞いていた。僕が話しおえても、伯父は眼をつむったままだった。だまってタバコを吸っていた伯父は、眼をあけると灰皿にタバコをこすりつけ、それからようやく話しはじめた。
伯父が語ってくれたのは、伯父自身のつらい体験だった。幼い頃から親しんでいた伯父に、そのような人生経験があったことを僕は初めて知った。
語りおえた伯父は新しいタバコをとりだした。なれた手つきで火をつけている伯父を見ながら、僕は伯父が語ってくれたことを思いかえした。
伯父が語った過去の体験は、僕が抱えていた問題とは質的に大きく異なるものだった。伯父がそのことを承知のうえで語ってくれたのだから、そこから僕が学べるところがあるはずだった。伯父は語った、自分はきちんと対処してきたから、今も後悔することはないのだ、と。僕は思った、自分が抱えているこの問題に真摯に対処しなかったなら、どのような形で決着をつけるにしろ、今の想いを伴った後悔を、いつまでも引きずることになるのかもしれない、と。
伯父のはきだした煙が、見えない迷路をさ迷いながら、それでもゆくえは決まっているかのように、ゆっくりと昇っていった。伯父がふたたび煙をはくと、先ほどとは少しだけ違った方向へ流れていった。気がつくと伯父は僕を見ていた。伯父の眼は僕を通り越して、もっと遠いどこかを見ているようだった。僕の相談に応えながら、伯父は自分自身の人生をふり返っていたのかも知れない。
「むつかしいことだがな、ジロちゃん」と伯父が言った。「つらくても、自分をごまかすような決め方をしちゃだめだぞ」
伯父の言葉にうなづきながらも、それでは、自分に正直な決断とはどんな決断だろうと思った。自分の気持を尊重するということであろうか。それとも、自分の信条なり信念に従い、妥協しない生き方を選べということであろうか。いずれにしても、僕が愛している佳子と絵里を、そして、僕を心から信頼している佳子と絵里を悲しませ、不幸にするようなことはしたくない。