バスに乗り込もうとしたとき、近くの校舎の陰から声が聞こえた。それも、穏やかではな
い類の声が。
 気になってそっと近づき壁に隠れながら見ると、人のいない玄関口の隅で琥太郎くんとお
母さんが立っているのが見えた。

「どうして!? ゆうべ練習したときはちゃんとできたでしょう!? どうして本番だと
できなくなっちゃうのよ!」

 琥太郎くんのお母さんは涙声だ。鼻を赤くして、縋るように琥太郎くんを責め立てている。
そして琥太郎くんは、うつむいたまま静かに涙をこぶしで拭っていた。
 ……なんだか、おとといの俺とドルーを見ているようで胸が痛む。もっとも、琥太郎くん
のお母さんは俺みたいに自分勝手な理屈で怒っているのではないけれど。
 今日も琥太郎くんは肝心な場面で台詞が抜けてしまっていた。エキストラもいて大勢に迷
惑をかけてしまったことが、彼女にはいたたまれないんだろうな。

 それにしても琥太郎くんはどうして毎日台詞が抜けてしまうんだろう。主役だから確かに
覚える台詞は多いけれど、彼はドラマ経験だって舞台経験だってある。台本を覚えるくらい、難しくないはずだ。

 ――なにか、集中して覚えられない理由でもあるのだろうか。
 そんなふうに考えていると、ふいに真後ろで気配を感じた。驚いて振り向くと、そこには
俺の陰に隠れるようにして琥太郎くんの様子を窺っている、藍くんの姿があった。

「……なにやってんの? 藍くん」

 尋ねると、藍くんはパッと顔を逸らし「べつに」と、いかにも気まずそうに言った。

「琥太郎くんのことが気になるの? それなら、声かけに行ってあげたら――」
「気にしてないし! たまたま通りかかっただけだし! 俺には全然関係ないし!」

 藍くんはわかりやすく一生懸命に否定した。うん、間違いない。めちゃくちゃ気にしてる。
 すると藍くんの大声に気づいた琥太郎くんが、こちらを向いた。涙がいっぱいたまったそ
の瞳がこちらを捉えた途端、藍くんの顔まで一瞬泣き出しそうに歪む。

「……っ! 台詞くらいちゃんと覚えろよ!」

 捨て台詞のようにそう叫んで、藍くんは踵を返すと走っていってしまった。っていうか、
きみがそれ言う? NGの数では藍くんもどっこいどっこいじゃないか。