「――京介さん」

 呼びかけると、京介さんは「はい?」と身を乗り出した。

「ウェンディが京介さんに『元気出して欲しい』って言ってます。じつは俺、犬の言葉がち
ょっとだけわかるんですよ」

 正確には、わかるのはドルーの言葉だけで、ウェンディの気持ちは又聞きだけど。まあ細
かいことはどうでもいい。
 唐突に奇妙なことを言いだした俺に、京介さんはポカンとした表情を浮かべる。当然の反
応だ。

「ウェンディは他の犬と同じ自由が欲しいなんて言ってないですよ。ただ、京介さんの元気
がないことが悲しい、って。ウェンディが望んでないものを与えられないで京介さんが落ち
込んで、それでウェンディが悲しくなってたら本末転倒ですよね」

 俺の言葉に、京介さんはハッとした様子で口に手をあてた。

「俺も……忙しくてドルーに寂しい思いさせてばっかだし、全然いい飼い主じゃないけど…
…でも、ドルーはこんな俺でも大好きだって言ってくれるし、俺も自信がないからってドル
ーと別れようとか考えたことないです。お互いが完璧なものを与え合うパートナーなんて、
この世にいないんじゃないかな。きっと、長い人生の中で欠けたものを補い合ってパートナ
ーになっていくんだと、俺は思います。……犬も、人も」

 ウェンディの気持ちを伝えるだけのつもりだったのに、出過ぎたことを言ってしまっただ
ろうかと思ったとき、キッチンのドアが開き「お待たせ~」と蓮美さんがこちらへ戻ってき
た。
 スーパーの袋に入った立派なデコポンみっつを受けとって、俺は礼を言って宗方家を後に
する。門を出るときにほんのり柑橘類の香りが鼻をかすめたのは、蓮美さんの庭から漂った
ものか、手もとのお土産から漂ったものか。
 郊外の、どこにでもあるような平和な一軒家。けど、俺の好きな人と犬が住んでいる一軒
家。もしまたお邪魔できることがあれば、そのときはウェンディと京介さんも心から笑って
いるといいと思う。


 帰宅後。俺の話を聞いたドルーは、デコポンの匂いを時々クンクンしながら神妙な顔をし
ていた。

「人間の気持ち、難しいな……。宮乃のこと好きなのに一緒にいたくない京介の気持ち、オ
レには全然わからない」

 ドルーは何回も首を傾げていた。人間のプライドとか男の意地とか将来や福祉の不安とか、そういうものは犬とは無縁らしい。