ポツリと呟いたとき、俺の顔をベロベロ舐め回していた犬がパッと目を輝かせて笑顔になった……ように見えた。犬って案外表情あるんだな。
「カナ! 会いたかった! うんと、うんと会いたかった!」
「ん?」
またもや幻聴が聞こえる。しかも今度はハッキリと幻聴もとが分かった。……この犬だ。
やっぱり俺は頭がどうかしちゃったみたいだ。犬が喋るとか、ファンタジーに脳が侵され
てる。自分で感じていたよりストレスは重篤みたいだと思ったら、なんだか悲しくなってき
た。
本当に今日は散々だ。芸能生活六年目でようやく手にしたブレイクチャンスは木っ端みじ
んになり、謎の通り魔に追いかけ回されたうえに側溝に足を突っ込み、お気に入りのスニー
カーを泥まみれにしたあげく、犬が喋るなんて脳がエラーまで起こし始めた。
「最低だよ……なにもかも嫌になってきた」
側溝から足を引き抜くと、濡れた足もとに風があたって痛いほど冷たく感じた。それと共
に鼻の奥までツンとして、涙が滲んでくる。
「カナ? どこか痛いか? 見せろ、舐めてやる」
犬はそんな優しい慰めを言って、俺の体をあちこちスンスン嗅いできた。いや、それも幻
聴なんだけどさ。
けどやっぱり犬って表情豊かみたいで、さっきとは違い悲しそうな焦ってるような顔に見
えるから、都合のいい幻聴が本当にこいつの言葉みたいに聞こえる。
「ありがと、ワンコ。お前、いいやつだな」
どこのワンコだか知らないけど、人懐っこくて優しいいい子だ。それに偶然とはいえ、俺
を通り魔から助けてくれた。いわば命の恩人だ。
俺はいったん立ち上がりその場にしゃがみ直すと、犬のモフっとした頭を撫でてやった。
すると犬はブルブルッと首を振ってから、不満そうに俺をジッと見つめて言った。
「ワンコじゃない、ドルー。間違えるな。ちゃんとドルーって呼べ」
「んん?」
……幻聴のレベルが上がってきたみたいだ。この犬、俺の言ったことを理解してる。
なんだかさすがにヤバい気がしてきた俺は、さっきの犬みたいにブルブルッと頭を振って
から、勢いよく立ち上がった。
「さーて、帰ろっと。元気でな、ワンコ」
とにかく帰ろうと思った。帰って頭から熱いシャワー浴びてビール飲んで寝ちゃえば、き
っとツイてないのもおかしくなった頭もリセットできる。それで明日からまた元気で明るい
俺に戻るんだ。