「それじゃあ、おじゃましました」
来たときと同じように、俺とドルーは勝手口から帰っていった。キャップを目深にかぶっ
て、マスコミに見つからないよう裏門からそーっと出ようとする。
「ん?」
そのとき、また気配を感じた。ドルーもピクリと耳を動かし、気配のする方を見上げる。
俺も同じ方向に顔を向けると、二階の窓にふたつの人影が見えた。カーテンの陰に隠れて
いるつもりなんだろうけど、室内からの逆光でシルエットがくっきり浮かび上がっている。
「誰かいる。こっち見てる」
ドルーのこぼした呟きに、俺は黙って頷いてから顔を逸らし、裏門を出ていった。
日はほとんど沈みかかり、住宅街は寂しげな薄闇に包まれている。灯りのついた家からは
賑やかな子供の声や、温かな湯気の匂いが漂ってきていた。きっとどの家も、これからだん
らんの時間を迎えるのだろう。
「なあ、ドルー。大河内さんの家で、なにか感じたことないか?」
ひとけのない歩道を歩きながら、俺はドルーに尋ねた。
ドルーは足を止め、なにかを考えるように耳を後ろへ向けると、俺の方を見上げて答えた。
「いっぱい匂いがした。甘いのと、おいしそうなのと、もじゃもじゃしたのと、ツンとする
のと……あと、昨日と同じ匂いも」
その答えを聞いて、俺は空を仰いで目を閉じる。冬の夜の空気が、肺を冷たく満たしてい
った。
俺は大河内さんが好きだ。仕事熱心で後輩思いで、この業界のことを真剣に考えていて。
誠実で義理堅くて前向きで……人としても、業界の先輩としても心から尊敬している。
けど――人間はそんな単純じゃない。見えている顔だけがその人のすべてじゃないんだ。
昨夜から〝もしかして〟と考えていたことが確信に変わっていく感覚は、予想があたった
喜びより戸惑いの方が大きくて。
深くため息をつくと、ドルーが「カナ?」と心配そうに俺の顔を見上げて覗き込んできた
ので、「なんでもないよ」とぎこちなく笑ってみせた。
その日の夜中、俺はドルーと一緒に散歩に出かけた。
公式SNSに『犬を飼い始めました! これから夜の散歩です』なんて、ドルーの写真を
添えた投稿をわざわざしてから。