「わ、わわ、ド、ドルー! シーッ! 静かに!」

 慌てて叱ったけれど、俺は冷や汗がドッと噴き出した。マズい、今のは絶対に聞かれた。
 どうやって誤魔化そうかと獣医さんや助手の人の顔をおそるおそる窺う。……ところが、みんな特に驚いた様子もなく、「そんなに叱らなくても大丈夫ですよ、天澤さん。ドルーく
ん、お注射できて偉いね」なんて、ニコニコとしていた。

 ……もしかして、ドルーの声聞こえてない?
 そういえば脳波の一致がどうのこうのってナントカ教授が言ってたっけ。ということは、
ドルーと会話できるのは俺だけってことだろうか。無駄な心配をしてしまったな。

 診察と狂犬病の予防接種の済んだドルーを連れて、俺は動物病院を後にした。他の病気の
ワクチンなんかもあるようだけど、それは追々様子を見てからということだ。
 帰り道、隣を歩くドルーは、心なしかしょんぼりとしている。尻尾も耳も、元気がない。

「大丈夫か? 初めて病院行って疲れちゃったかな。 もう一ヶ所寄りたいところがあるん
だけど……お前は家で留守番してる?」

 一応辺りに人がいないことを窺ってから、ドルーに尋ねる。ドルーの声は俺にしか聞こえ
なくても、俺がドルーに語りかけるのは誰にでも丸聞こえだ。傍から見たら犬と会話してる
つもりになっているイタイお兄さんになっちゃうので、やっぱり注意が必要だ。

 俺を見てためらっていたドルーに「喋ってもいいよ」と許可すると、ドルーはますますし
ょんぼりと顔をうつむかせてしまった。

「……カナ、嫌なとこ連れてった。カナはオレのこと嫌いか? オレはカナのこと大好きな
のに……」

 深刻な様子でそう話すドルーに、悪いと思いながらもブフッと噴き出すのをこらえきれな
かった。

「ごめん、ごめん。注射がそんなに痛かったのか。でもアレをしないと犬と人は一緒にいら
れないって、法律で決まってるんだよ。それにドルーが病気にかからないためでもあるんだ。だから意地悪したんじゃないよ。ドルーと一緒にいるために、したことなんだ」
「カナと一緒にいるため?」
「そう」

 俺の話を聞いたドルーの顔が、少し笑って見えたのは錯覚だろうか。まあ、笑ったかどう
かはともかく、しょんぼりとしていた耳と尻尾は元気よくいつも通りになった。

「しかし注射が初めてってことは、やっぱお前なんの予防接種もしてなかったんだな。でも
そのわりにはノミもいないし体のどこもかしこも綺麗だって、獣医さん褒めてたし。……ド
ルーの飼い主ってよくわかんないなあ。お前のこと大事にしてたのかそうじゃないのか、ど
っちなんだろう」

 改めて不思議に思いながら、しゃがんでドルーの頭をなでてやる。本当に謎だ、飼い主の
人物像が全く見えてこない。
 ドルーはドルーで「オレのリーダーはカナだけ」って言ってはばからないし、飼い主の捜
索は難航を極めること間違いなしのようだ。

 気を取り直して立ち上がると、俺はポケットに入れていたスマホを見て「さて、と」と呟
き、かぶっていたキャップのつばを目深に下げた。