わたしは、雨の日が好きだ。空にきらめく星々が隠れて、いつもよりも深く空が暗くなる。
普段は気づかないほどに小さく、浅い地面の割れ目や凹みに水たまりができるのが好きだ。あらゆる水面ににあふれる波紋が好きだ。雨音で目を覚ますのが好きだ。雨の日は、晴れの日と比べると特別な感じがするから好きだ。
しかし、雨雲は食用に適さない。

基本的に、食用となる雲は羊雲、筋雲、入道雲が代表的である。その中でも、わたしはその中でも入道雲が一等好きだ。雲の密度や水気、におい、スプーンに乗せたときの崩れ具合。どれをとってもあれが一番程良い。さらにいえば、青空の味が幾分が染みている部分が大好きだ。

今日も執事のセバスチャンと一緒に、お父様に内緒で雲を食べた。馬盥型のガラス容器にこんもりと雲を乗せると、ゆらりと形を保って山形に収まる。固形のはずなのに対流している様が見て取れるのは神秘的であり、そこがまた魅力的である。
スプーンで雲の頂を掬い、口に入れると、じゅんわりと口の中で解けて甘味と共に溶けてしまう。空の蒼い匂いと、透明な甘さが癖になる。氷山を削ってふわふわにしたものとは違い、そこまで冷たくはない。にもかかわらず溶けてしまうのは不思議である。
空の色が少し染みた、薄く青みがかった部分は特に良い匂いがする。甘味も一層濃い。セバスチャンは、空が染みた部分を食べるのははしたないと言うけれど、美味しいのだから仕方がないのだ。

調子に乗って食べ過ぎてしまったので、またお父様に叱られる。セバスチャンが怒られないように、かばってあげなくては。