* * *


 夜のあらいぐまで荒熊さんの話を聞いてから、二日。


「あ、源内さん。いらっしゃいませ」


「やあ、志希ちゃん。今日も元気だね」


 いつもと同じく昼下がりにやってきた源内に、志希は目一杯の笑顔で挨拶した。

 源内がカウンター席に座ると、志希は荒熊さんとアイコンタクトを交わす。どうやら、一昨日聞いた話を実行に移す時が来たようだ。


 タイミングがいいことに、源内に注文のブレンドコーヒーを出してしばらくしたところで、店から他のお客さんがいなくなった。

 源内がこの町にいる残り日数を考えても、チャンスはここしかない。志希は一度深呼吸をして心を落ち着け、「源内さん」と声を掛けた。


「何かな、志希ちゃん」


「この間の『もう一度奥さんと梅の花を見たい』というお話のことなのですが……」


「ああ、あれか。すまないね。この間は年甲斐もなく妙なことを言ってしまって」


 志希が話を切り出すと、源内は頬を掻きながら恥ずかしそうに笑う。


「――あの願い、私と荒熊さんで叶えさせてもらえませんか。源内さんが、憂いなく新しい生活へ向かっていけるように……」


 そんな源内に向かって、志希は真剣な表情で沿う言葉を続けた。


「……どういうことだい?」


 源内が、怪訝そうな目で志希を見る。

 志希は、そんな源内のおかしなものを見るような視線を真正面から受け止める。


 危ない人間だと思われるかもしれない。関わるのを避けようと、距離を置かれるかもしれない。いや、それよりも――ふざけるな、バカにするな、と怒られるかもしれない。

 そんな恐怖と戦いながら、それでも志希は源内を勇気付けたくて、視線を逸らすことなく見つめ続ける。


 源内も、志希の瞳をジッと見据えている。まるで、志希の心を見通そうとしているかのように……。

 そして――源内は口元を緩めてフッと息を吐いた。その口が、「もしも……」と言葉を紡ぎ出す。


「もしも本当にそんなことができるのなら、私の方こそお願いしたい。――どうか私に、前へ進む勇気をくれないか」


 源内の言葉が、カフェの中に響いて吸い込まれていく。

 源内としては、到底信じられないが最後だから戯れに、くらいの心持ちなのかもしれない。それでも、話を聞いてくれようとする源内の優しさに、志希の方が勇気付けられた気持ちになった。


「ありがとうございます、源内さん。それでは、今日の午後六時――カフェが閉店する時間に、奥さんとの思い出の本を持って、もう一度ここへ来てくださいますか?」


「承知した。では、そうさせてもらおうか」


 志希の申し出に頷き返し、源内はコーヒーをうまそうに口に含んだ。