アジュさんの車に回収してもらったのは、まだ深夜と呼べる時間帯だった。ココロの迷宮をさまよった時間は、中で体感していたより短かったらしい。
総統の屋敷に戻って、夜食をつまんで、報告もそこそこに、各自の部屋や客室に引っ込んで眠った。
疲労の度合いには、差があったみたいだ。煥《あきら》くんと鈴蘭さんは、普通に起きて登校した。リアさんも、きちんと起きて仕事に行った。すでに一日欠勤しているから、それ以上は休めなかったらしい。
ぼくと理仁《りひと》くんがいちばん長く寝た。目が覚めたのは夕方近くだった。リアさんよりダメージが深いとは思っていなかったから、驚いた。
起こったことを系統立てて総統に報告したのは、リアさんだったそうだ。ココロの中の出来事を全部感知していたみたいだけれど、総統にはどこまで言ったんだろう?
目覚めたぼくと理仁くんに、総統みずからお茶を淹れてくれた。
「迷宮の中の一連の出来事は、例えて言えば、後戻りの利かない分岐だらけのシナリオを持つシミュレーションゲームだった。どこかで違う選択をしたら、ゲームオーバーだった。もちろん、バッドエンドのね」
バッドエンドは、ぼくたち個人の結末にとどまらない。四獣珠を手にした祥之助と黄帝珠が暴走すれば、この一枝は負荷に耐えかねて滅んだかもしれない。
分岐だらけのシミュレーションゲーム、か。
鈴蘭さんが丘に、煥くんが病院に、残らなかったら? 独りぼっちのリアさんは、迷宮をより深くしてしまっただろう。
理仁くんがぼくたちに過去を語ってくれなかったら? 事情のわからないぼくたちは、リアさんのココロを直接、傷付けたかもしれない。
ぼくが思念をそのまま表現する声を持たなかったら? 何も言えなかったぼくを、リアさんは受け入れてくれなかっただろう。
理仁くんがぼくを信頼してくれなかったら? ミラーハウスか赤外線か、どこか途中でタイムリミットを迎えただろう。
リアさんは、そういう全部を見てくれた。ぼくたちの選択や判断にココロを開いてくれた。
取りそびれた朝食と昼食のぶんを補う勢いで食事をしながら、同じテーブルに着いた理仁くんがぼくに言った。
「しかし、チカラの入れ替わり、ヤバかったよね~。その間ずっと黄帝珠の影響をこうむってて。そりゃ疲れて寝まくるって」
ぼくのごはん茶碗には、うぞうぞと動く数字の群れが重なっている。けれど、そんなものも気にならないくらい空腹だった。
「リアさんたち、無理してないならいいんですけど」
「姉貴ってば、海ちゃんに愛されてるね~」
「リアさん『たち』と言いましたよ、ぼくは」
「料理が全然できない姉貴だけど、大目に見てやってよ」
「苦手なことくらい、誰にでもあるでしょう」
「お、そういうフォローするんだ? やっさしー」
まだ眠いせいもあって、意識がどこか心もとない。ぼんやりしてしまう。
ココロの中での出来事は、夢と呼ぶべきなんだろうか。みんなは、ぼくと同じようにすべてを覚えているんだろうか。
「海ちゃん、考え事?」
「まあ、少し」
「しっかし、細いのによく食べるよね~」
「体の使い方の問題で、消費が速いんですよ」
「座標どおりにピッタリ動く、あの動き方?」
「全身の筋肉を緊張させないと、あれはできないんです」
「海ちゃんの細さ、姉貴がうらやましがってた。ウェストがめちゃくちゃ細いとかって。身体測定でもした? てか、脱いだ? いつの間に何したの?」
不意打ちだ。
米粒が気管に入ってしまって、ぼくは思いっ切り咳き込む。
測定が可能なシーンはあった。リアさんが後ろからぼくに抱き付いた、あのときだ。ぼくがリアさんの体の柔らかさと弾力を感じたように、リアさんにもぼくの体の骨や筋肉の硬い質感がわかったはずだ。
「さっきからさ~、海ちゃん、いちいち怪しいよ? 姉貴の話を出すたびに赤面すんの、気になるんだけど。二人きりのとき、何かあった?」
「いえ、別に……」
「その反応、絶対に黒! 姉貴に何て言ったのかな~? すっげー気になる!」
ごほうびにデートしてください。
あなたに触れるための鍵を、ください。
あなたをぼくだけのものにしたい。
あなたの力になるための方法を、ぼくに教えてください。
自分がリアさんに告げた言葉が、頭の中でリフレインする。赤面ものだ。それ以上だ。他人に知られるわけには、絶対にいかない。
「海ちゃ~ん? 何て言ったの~?」
「お、教えられるはずないでしょう!」
「ってことは、何か言ったことは確定だ。熱~いセリフを吐いちゃったわけだね?」
「う」
「じゃなくて、セリフは甘~い系かな?」
「いや、その」
「それとも、年下男子の武器を最大限に活かして、かわいくお願いしまくった感じ?」
「えっと」
理仁くんが持つ言葉のチカラは脅威だ。号令《コマンド》が効かないぼくにも、その誘導尋問は有効すぎる。
「お願い系ってか、おねだり系かな? それ、効果抜群だよ。姉貴って、まさに長女って感じの性格じゃん? 何々してくださいって頼まれると弱いんだよ。しかも、相手はかわいい年下男子だし。そんでもって、年下くんがたま~に強気なこと言ったら最強。でしょ?」
「わ、わかりませんよ……」
「えー、マジで? んー、まあ、そこんとこは信用してもいいかなー。海ちゃん、無意識でやってたわけだ。計算してやってたんじゃないって、そりゃまたすっげー破壊力だよ」
黙っていよう。いや、黙っていてさえ、顔色を読まれてしまうけれど。
自分で自分を制御できない。
いつからぼくは恋をしていたんだろう? リアさんと出会った最初から惹かれていたのなら、ずるいと思う。ぼくに勝ち目はない。惚れた弱みという言葉があるけど、それだ。
「バカですよね」
「何が? てか、誰が?」
「ぼくが」
「恋したら、誰でもバカになるよ」
「自分がそうだとは知らなかったんです」
「今、全力で認めた」
「……認めたほうが楽になる気がしたので」
姉であるリアさんが女性として見られるのは複雑だと、以前、理仁くんは言っていた。その後、ぼくならかまわないと、リアさんのことをお願いしてくれた。
どちらが本心なんだろう? どちらも本心なんだろうか。
「どう転ぶかわかんねぇけど頑張れよ~。おれらの対親父バトル、これから始まるわけだしね。正直な話、黄帝珠のエピソードなんてのはゲーム本編じゃねーよなって思う。サブストーリーか外伝か、そんなもんだ」
「理仁くんにとって、本編は朱獣珠を巡る親子の対立なんですよね」
「ラスボスはうちの親父どのだね~。第二形態、第三形態とかに進化していく面倒なタイプじゃないことを願うけど」
歌うように言って、理仁くんは食事を再開した。ぼくも、止まっていた手を再び動かす。
総統も言っていた。運命のこの一枝は生長を続ける道を選んだが、油断をしてはならない、と。因果の天秤はいまだ安定せずに揺れている、と。
食事にだいぶ満足してきたころ、先に食べ終わった理仁くんがぼくを呼んだ。
「海ちゃん、一つ、約束してほしいんだけど」
「何ですか?」
理仁くんの朱っぽい目が微笑んでいた。
「姉貴と付き合うなら、中途半端なこと、すんなよ? ああ見えて、ほんと、傷付きやすいから。大事にしてほしいし、嘘つかないでほしい。本物の本心で、マジの真心で、想ってやってほしい」
絶対の約束をできるほど、ぼくは自分を強い人間だと思っていない。でも、理仁くんの信頼を損ねたくはない。
「ぼくにできる最大限の努力をしますよ」
精いっぱい、そう言った。
理仁くんは食事の後、リアさんを一人にできないからと、帰宅した。さよ子さんはその直後に下校してきて、理仁くんと入れ違いになったことを悔しがっていた。さよ子さんにつかまる前に、ぼくは自室に引っ込んだ。
動き回ったのはココロの中でのことなのに、全身の筋肉痛がつらい。ベッドに引っ繰り返って、スマホを眺める。
リアさんに連絡したい。でも、何と送ればいいかわからない。
「新着メッセージなし。着信通知なし」
リアさんからの連絡がないのは、忙しいからか。勤め先のヘアサロンは、何時から何時までの営業なんだろう? まだ仕事中なのかな。
素っ気ない勉強机の上に、ぬいぐるみのイヌワシが一羽。その生意気な顔を見ているうちに、ぼくはまた眠くなった。
明かりも消さずに、気付いたら朝だった。
総統の屋敷に戻って、夜食をつまんで、報告もそこそこに、各自の部屋や客室に引っ込んで眠った。
疲労の度合いには、差があったみたいだ。煥《あきら》くんと鈴蘭さんは、普通に起きて登校した。リアさんも、きちんと起きて仕事に行った。すでに一日欠勤しているから、それ以上は休めなかったらしい。
ぼくと理仁《りひと》くんがいちばん長く寝た。目が覚めたのは夕方近くだった。リアさんよりダメージが深いとは思っていなかったから、驚いた。
起こったことを系統立てて総統に報告したのは、リアさんだったそうだ。ココロの中の出来事を全部感知していたみたいだけれど、総統にはどこまで言ったんだろう?
目覚めたぼくと理仁くんに、総統みずからお茶を淹れてくれた。
「迷宮の中の一連の出来事は、例えて言えば、後戻りの利かない分岐だらけのシナリオを持つシミュレーションゲームだった。どこかで違う選択をしたら、ゲームオーバーだった。もちろん、バッドエンドのね」
バッドエンドは、ぼくたち個人の結末にとどまらない。四獣珠を手にした祥之助と黄帝珠が暴走すれば、この一枝は負荷に耐えかねて滅んだかもしれない。
分岐だらけのシミュレーションゲーム、か。
鈴蘭さんが丘に、煥くんが病院に、残らなかったら? 独りぼっちのリアさんは、迷宮をより深くしてしまっただろう。
理仁くんがぼくたちに過去を語ってくれなかったら? 事情のわからないぼくたちは、リアさんのココロを直接、傷付けたかもしれない。
ぼくが思念をそのまま表現する声を持たなかったら? 何も言えなかったぼくを、リアさんは受け入れてくれなかっただろう。
理仁くんがぼくを信頼してくれなかったら? ミラーハウスか赤外線か、どこか途中でタイムリミットを迎えただろう。
リアさんは、そういう全部を見てくれた。ぼくたちの選択や判断にココロを開いてくれた。
取りそびれた朝食と昼食のぶんを補う勢いで食事をしながら、同じテーブルに着いた理仁くんがぼくに言った。
「しかし、チカラの入れ替わり、ヤバかったよね~。その間ずっと黄帝珠の影響をこうむってて。そりゃ疲れて寝まくるって」
ぼくのごはん茶碗には、うぞうぞと動く数字の群れが重なっている。けれど、そんなものも気にならないくらい空腹だった。
「リアさんたち、無理してないならいいんですけど」
「姉貴ってば、海ちゃんに愛されてるね~」
「リアさん『たち』と言いましたよ、ぼくは」
「料理が全然できない姉貴だけど、大目に見てやってよ」
「苦手なことくらい、誰にでもあるでしょう」
「お、そういうフォローするんだ? やっさしー」
まだ眠いせいもあって、意識がどこか心もとない。ぼんやりしてしまう。
ココロの中での出来事は、夢と呼ぶべきなんだろうか。みんなは、ぼくと同じようにすべてを覚えているんだろうか。
「海ちゃん、考え事?」
「まあ、少し」
「しっかし、細いのによく食べるよね~」
「体の使い方の問題で、消費が速いんですよ」
「座標どおりにピッタリ動く、あの動き方?」
「全身の筋肉を緊張させないと、あれはできないんです」
「海ちゃんの細さ、姉貴がうらやましがってた。ウェストがめちゃくちゃ細いとかって。身体測定でもした? てか、脱いだ? いつの間に何したの?」
不意打ちだ。
米粒が気管に入ってしまって、ぼくは思いっ切り咳き込む。
測定が可能なシーンはあった。リアさんが後ろからぼくに抱き付いた、あのときだ。ぼくがリアさんの体の柔らかさと弾力を感じたように、リアさんにもぼくの体の骨や筋肉の硬い質感がわかったはずだ。
「さっきからさ~、海ちゃん、いちいち怪しいよ? 姉貴の話を出すたびに赤面すんの、気になるんだけど。二人きりのとき、何かあった?」
「いえ、別に……」
「その反応、絶対に黒! 姉貴に何て言ったのかな~? すっげー気になる!」
ごほうびにデートしてください。
あなたに触れるための鍵を、ください。
あなたをぼくだけのものにしたい。
あなたの力になるための方法を、ぼくに教えてください。
自分がリアさんに告げた言葉が、頭の中でリフレインする。赤面ものだ。それ以上だ。他人に知られるわけには、絶対にいかない。
「海ちゃ~ん? 何て言ったの~?」
「お、教えられるはずないでしょう!」
「ってことは、何か言ったことは確定だ。熱~いセリフを吐いちゃったわけだね?」
「う」
「じゃなくて、セリフは甘~い系かな?」
「いや、その」
「それとも、年下男子の武器を最大限に活かして、かわいくお願いしまくった感じ?」
「えっと」
理仁くんが持つ言葉のチカラは脅威だ。号令《コマンド》が効かないぼくにも、その誘導尋問は有効すぎる。
「お願い系ってか、おねだり系かな? それ、効果抜群だよ。姉貴って、まさに長女って感じの性格じゃん? 何々してくださいって頼まれると弱いんだよ。しかも、相手はかわいい年下男子だし。そんでもって、年下くんがたま~に強気なこと言ったら最強。でしょ?」
「わ、わかりませんよ……」
「えー、マジで? んー、まあ、そこんとこは信用してもいいかなー。海ちゃん、無意識でやってたわけだ。計算してやってたんじゃないって、そりゃまたすっげー破壊力だよ」
黙っていよう。いや、黙っていてさえ、顔色を読まれてしまうけれど。
自分で自分を制御できない。
いつからぼくは恋をしていたんだろう? リアさんと出会った最初から惹かれていたのなら、ずるいと思う。ぼくに勝ち目はない。惚れた弱みという言葉があるけど、それだ。
「バカですよね」
「何が? てか、誰が?」
「ぼくが」
「恋したら、誰でもバカになるよ」
「自分がそうだとは知らなかったんです」
「今、全力で認めた」
「……認めたほうが楽になる気がしたので」
姉であるリアさんが女性として見られるのは複雑だと、以前、理仁くんは言っていた。その後、ぼくならかまわないと、リアさんのことをお願いしてくれた。
どちらが本心なんだろう? どちらも本心なんだろうか。
「どう転ぶかわかんねぇけど頑張れよ~。おれらの対親父バトル、これから始まるわけだしね。正直な話、黄帝珠のエピソードなんてのはゲーム本編じゃねーよなって思う。サブストーリーか外伝か、そんなもんだ」
「理仁くんにとって、本編は朱獣珠を巡る親子の対立なんですよね」
「ラスボスはうちの親父どのだね~。第二形態、第三形態とかに進化していく面倒なタイプじゃないことを願うけど」
歌うように言って、理仁くんは食事を再開した。ぼくも、止まっていた手を再び動かす。
総統も言っていた。運命のこの一枝は生長を続ける道を選んだが、油断をしてはならない、と。因果の天秤はいまだ安定せずに揺れている、と。
食事にだいぶ満足してきたころ、先に食べ終わった理仁くんがぼくを呼んだ。
「海ちゃん、一つ、約束してほしいんだけど」
「何ですか?」
理仁くんの朱っぽい目が微笑んでいた。
「姉貴と付き合うなら、中途半端なこと、すんなよ? ああ見えて、ほんと、傷付きやすいから。大事にしてほしいし、嘘つかないでほしい。本物の本心で、マジの真心で、想ってやってほしい」
絶対の約束をできるほど、ぼくは自分を強い人間だと思っていない。でも、理仁くんの信頼を損ねたくはない。
「ぼくにできる最大限の努力をしますよ」
精いっぱい、そう言った。
理仁くんは食事の後、リアさんを一人にできないからと、帰宅した。さよ子さんはその直後に下校してきて、理仁くんと入れ違いになったことを悔しがっていた。さよ子さんにつかまる前に、ぼくは自室に引っ込んだ。
動き回ったのはココロの中でのことなのに、全身の筋肉痛がつらい。ベッドに引っ繰り返って、スマホを眺める。
リアさんに連絡したい。でも、何と送ればいいかわからない。
「新着メッセージなし。着信通知なし」
リアさんからの連絡がないのは、忙しいからか。勤め先のヘアサロンは、何時から何時までの営業なんだろう? まだ仕事中なのかな。
素っ気ない勉強机の上に、ぬいぐるみのイヌワシが一羽。その生意気な顔を見ているうちに、ぼくはまた眠くなった。
明かりも消さずに、気付いたら朝だった。