扉をくぐると、薄暗い螺旋《らせん》階段が下へと伸びていた。くすんだ色をした空間だ。セピア色と呼ぶには、少し色味が強い。
 螺旋階段の手すりの外側には、ガラスのショーケースが、延々とはるか下まで並べられている。埃を被ったそれらの中身は、女児向けの玩具の着せ替え人形だ。
 階段に足を踏み出そうとした理仁《りひと》くんを、煥《あきら》くんが止めた。
「オレが先に行く。あんたはまだ足下がおぼつかないだろ」
「落ちても、あっきーが助けてくれるって? イケメンだね~」
 おどけた口調は、明らかに空元気だ。声がかすれている。リアさんのあんな記憶をのぞいて、理仁くんが平然としていられるはずもない。
 煥くんも、理仁くんの空元気を痛々しく感じたらしい。
「泣きたけりゃ泣けよ」
 理仁くんは手すりをつかんで歩き出した。
「そういうセリフは、女の子に言ってやんなよ。おれはもう平気。今までさんざん泣いてきたから。てか、おれがセリフ言いたい側だゎ。姉貴って、おれの前では絶対に泣かないから」
 足音もなく先頭を進みながら、煥くんは自分の銀色の髪をクシャクシャにした。
「弟の面倒見なきゃいけない人間は、そういうもんだろ。オレの兄貴も無駄に辛抱強い。絶対、オレには弱音吐かねぇし」
 ぼくは最後尾から問い掛ける。
「文徳《ふみのり》くんでしたっけ。煥くんのおにいさん」
「ああ、文徳っていう。うちのバンドのギタリストでバンマスで、オレを無理やりステージに引っ張り出した人。オレは人前に立とうなんて思ったこともなかったのに」
 理仁くんがうなずく。
「文徳も、まあ、姉貴と近いタイプかもね。度胸よくて、堂々としてて、面倒見がよくて。その理由が、頼りない弟を守るため、だもんな~」
【頼りない弟?】
 煥くんが、ささやいているのによく通る声で、淡々と言った。
「オレが小学生のころ、両親が死んだ。ふさぎ込んでたオレを救ってくれたのは兄貴だ。本人には言えねぇけど、感謝してる」
 階段の両側に連なるショーケースを、見るともなしに見る。
 着せ替え人形が林立している。金髪の少女人形。いろんな服を着て、いろんなポーズで、たたずんでいる。
 ときどき、違うタイプの少女人形がある。ぬいぐるみも交じっていて、そのほとんどがうさぎだ。ドールハウスが入ったショーケースもあった。
 階段をさらに下りていくと、人形のゾーンが終わって、幼女のマネキンが並ぶゾーンに入った。子供服がずらりと展示されている。
 すそがふわりと広がったドレス。小学生サイズのフォーマルウェア。バレエの衣装みたいな白いチュチュ。何かの舞台で使ったのかもしれない、妖精の羽が付いたワンピース。
 ショーケースの中身は古ぼけている。さっきの丘の情景が鮮やかな色をしていたのとは対照的だ。
「姉貴が大事にしてたおもちゃや服だ。でも、捨てなきゃいけなかったからね」
 ポツリと、理仁くんがこぼした。あいづちも打てないぼくと煥くんに、理仁くんはポツポツと語る。
「うちの財産、増えたり減ったりのアップダウンすごくて、引っ越しも多くて、だいぶいろいろ捨てた。まあ、ほとんど捨てたね。今、実家の中を探しても、何も出てこないよ。思い出系のもの、何も。姉貴はここにしまい込んでたんだ」
 誰の思い出でも、可視化したら、こんなふうに陳列されるんだろうか。ぼくだったら、何が並ぶんだろう?
 ボロボロになるまで読み込んだ科学図鑑。五千個ほどピースを持っていたブロック玩具。唐突に両親が買ってくれた、かなり高価な天体望遠鏡。モーターから羽の成形まで、徹底的に自作したドローン。
 夢中になれるものは、ほんの少しだった。無関心と集中状態のギャップが激しすぎて、異常な行動も多かったみたいだ。両親は、ぼくが異能を持つ特殊な子どもだと理解していたけれど、それでも扱いに困って、何度もぼくを病院に連れていった。
 両親は平凡で善良な人たちだ。預かり手の家系に連なる末端の傍流で、まさかこの家から次代の預かり手が生まれるとは、本家の人々は想像もしていなかったらしい。前代はぼくの曽祖父に当たる人らしいが、ぼくが生まれた日に死んだ。
 高校入学と同時に家を離れて以来、一度も帰省していない。両親と仲が悪いつもりはない。でも、ぼくが同じ家にいてもあの人たちは困るんじゃないか、と思う。
 少なくとも、両親は、ぼくの学業成績のよさを持て余していた。親戚との会話の中で、雲の上にいるみたいな子、と母が笑いながら言っていた。父も同意していた。あの一言が忘れられない。両親に突き放されたように感じた。自分は捨て子なんじゃないかと思った。