総統の屋敷は、県境の山手のほうにある。市街地までは案外遠い。一本道だから迷う心配はないけれど。
ぼくは毎朝、ローラースケートで屋敷を出る。行きは下り坂。バイク並みのスピードが出るから、目を保護するためのバイザーを掛けている。
駅のそばに出たら、革靴に履き替える。ローラースケートはスポーツバッグの中。駅前で友人と落ち合って学校に向かうのが日課だ。
「はよ、海牙」
「おはよう」
升井瑠偉《ますい・るい》。小柄で童顔なのを気にする同級生。ぼくと並んで歩くとさらに小さく見える、と愚痴を言う。そのくせ毎朝、瑠偉はこうしてぼくを待っている。
「おまえ、昨日、また集会を抜け出したよな。担任がキレてたぞ」
「そろそろ学習してくれればいいのに。ぼくはこういう人間なんですが」
「だよな。海牙を枠に嵌めようってのが間違いだ」
瑠偉こそ、枠に嵌まらない。集会には出席しつつ、話を聞かずに内職していたようだ。
「投石機のモーションの動画、やっとサマになってきたぜ。これでようやく攻城戦のプログラムが組める」
瑠偉の趣味はコンピュータゲームの作成だ。小型のタブレットPCで、授業中でも隠れてデータを書いている。最近は前近代の戦争物を作っているらしい。情報工学系のスキルは、高校生のレベルじゃない。
瑠偉と知り合ったのは、総統の屋敷でのことだ。実は瑠偉も宝珠の預かり手で、チカラを持っている。
宝珠は基本的に単独では存在しない。四獣珠は四つでワンセット。七曜珠なら七つ、十干珠なら十、十二支珠なら十二。そんなふうに、バランスを取り合う相手が必ずいる。
セットとなる宝珠の母数が大きいほど、チカラは分散されて弱くなる。つまり、等級が低くなる。
瑠偉は十二支珠のうち辰の宝珠を預かる家系に生まれた。四獣珠に比べると、かなりチカラの弱い宝珠だ。預かり手である瑠偉のチカラもさほど強くない。本人曰く、ちょっと勘がいい程度の一般人だそうだ。
「それで、海牙、昨日は何人倒した?」
「三人」
「またカツアゲされかけたのか?」
瑠偉はニヤニヤしている。
緋炎は、大都高校の生徒を狙ってカツアゲしに来る。でも、ぼくと瑠偉にかかれば、あっさりと返り討ちだ。勘のいい瑠偉は運動神経も抜群によくて、小柄で幼い印象の外見とは裏腹にケンカが強い。
「昨日はカツアゲだけじゃなかったんですよ。美人がナンパされてたから助けまして。最終的には、その美人の連絡先を教えてもらいました」
「マジかよ!」
リアさんの一件を詳しく教えろと言われた。けれど、教えられるほどの進展もない。
「またそのうちに」
はぐらかしておく。髪を切ってもらった後に報告してやろう。
「海牙、おまえ、逆ナンされすぎだろ」
「応じたことはありませんし、昨日のは逆ナンとは違いますよ」
「おまえから声かけたわけ?」
「双方合意の上でした」
「言い方が怪しすぎ」
軽口を叩き合って、力の抜けた笑い方をする。
登校中のこの時間はいい。でも、学校に到着すれば、息もつけないような競争社会。ぼくと瑠偉はつねに上位にいて、下位から徹底的な敵意を向けられている。
角を曲がって、コンビニが目に入った途端。
瑠偉がビクッと肩を震わせて足を止めた。見張った目は、コンビニのほうへ向けられている。ぼくもつられてそっちを見て、ギョッとした。
コンビニのガラス壁に背中を預けて座り込んだ女の子が三人。
近所の公立高校の制服を、かなり派手に着崩している。緋炎関連の不良少女か。でも、様子がおかしい。
「酔ってんのか? それとも、クスリ?」
「両方、違うと思いますよ」
「だよな。目を開けた状態で寝てるみたいな、あれだな。ついに人間まで現れたか」
四月に入って、この界隈に異変が起きていた。異常な様子の動物が道端に座り込んでいる。人間的な表現をするなら、放心状態。まぶたは開いているけれど、目の前で手を振っても眼球が動かない。脈拍や呼吸の状態は、まるで冬眠中みたいだった。
近所の住人が警察と保健所に届けを出したらしい。その件について学校にも通達が来たのは、犯人探しが始まったからだ。
警察は何かの薬物だと疑っているようだった。高校生が関与した犯罪ではないか、とも疑っている。
「でも、化学物質ではないですよ、やっぱり」
「放心状態の動物を調べたときと同じか?」
「ええ。その気になって目を凝らせば、呼気に含まれるアルコール濃度だって、ぼくのチカラで観測して算出できるんです。そういう化学的な異常は、問題となっている放心状態の対象からまったく感じられない」
眉間にしわを寄せた瑠偉が、声を潜めた。
「サイエンスじゃ解決できないとなると、きついな。おまえがじっくり見ても、おれがプログラム走らせても、解析不能。でも、現象は確かに目の前に存在する。この現象についての情報をどう処理していいものやら」
科学的に解明されていない現象は、身近にたくさん存在する。
例えば、「コップに入った水の表面で、水分子は上を向いているのか、下を向いているのか?」というテーマ。分子レベルになると、モノそのものは、ぼくの目にも見えない。
ぼくも瑠偉も凝り性で、総統からは「謎があれば解けるまで考え続ける研究者気質は見事なものだ」と、呆れ半分に誉められる。でも、その実、ぼくたちは謎を放置することにも、ある程度は慣れている。そうじゃなきゃ気が狂う。
ただ、放置しづらい謎もある。
放置できるかできないかの基準は、たぶん、サイエンスという枠組みを超えている。倫理的な、あるいは生理的な、もしくは感性的な基準があるように思う。
ぼくは毎朝、ローラースケートで屋敷を出る。行きは下り坂。バイク並みのスピードが出るから、目を保護するためのバイザーを掛けている。
駅のそばに出たら、革靴に履き替える。ローラースケートはスポーツバッグの中。駅前で友人と落ち合って学校に向かうのが日課だ。
「はよ、海牙」
「おはよう」
升井瑠偉《ますい・るい》。小柄で童顔なのを気にする同級生。ぼくと並んで歩くとさらに小さく見える、と愚痴を言う。そのくせ毎朝、瑠偉はこうしてぼくを待っている。
「おまえ、昨日、また集会を抜け出したよな。担任がキレてたぞ」
「そろそろ学習してくれればいいのに。ぼくはこういう人間なんですが」
「だよな。海牙を枠に嵌めようってのが間違いだ」
瑠偉こそ、枠に嵌まらない。集会には出席しつつ、話を聞かずに内職していたようだ。
「投石機のモーションの動画、やっとサマになってきたぜ。これでようやく攻城戦のプログラムが組める」
瑠偉の趣味はコンピュータゲームの作成だ。小型のタブレットPCで、授業中でも隠れてデータを書いている。最近は前近代の戦争物を作っているらしい。情報工学系のスキルは、高校生のレベルじゃない。
瑠偉と知り合ったのは、総統の屋敷でのことだ。実は瑠偉も宝珠の預かり手で、チカラを持っている。
宝珠は基本的に単独では存在しない。四獣珠は四つでワンセット。七曜珠なら七つ、十干珠なら十、十二支珠なら十二。そんなふうに、バランスを取り合う相手が必ずいる。
セットとなる宝珠の母数が大きいほど、チカラは分散されて弱くなる。つまり、等級が低くなる。
瑠偉は十二支珠のうち辰の宝珠を預かる家系に生まれた。四獣珠に比べると、かなりチカラの弱い宝珠だ。預かり手である瑠偉のチカラもさほど強くない。本人曰く、ちょっと勘がいい程度の一般人だそうだ。
「それで、海牙、昨日は何人倒した?」
「三人」
「またカツアゲされかけたのか?」
瑠偉はニヤニヤしている。
緋炎は、大都高校の生徒を狙ってカツアゲしに来る。でも、ぼくと瑠偉にかかれば、あっさりと返り討ちだ。勘のいい瑠偉は運動神経も抜群によくて、小柄で幼い印象の外見とは裏腹にケンカが強い。
「昨日はカツアゲだけじゃなかったんですよ。美人がナンパされてたから助けまして。最終的には、その美人の連絡先を教えてもらいました」
「マジかよ!」
リアさんの一件を詳しく教えろと言われた。けれど、教えられるほどの進展もない。
「またそのうちに」
はぐらかしておく。髪を切ってもらった後に報告してやろう。
「海牙、おまえ、逆ナンされすぎだろ」
「応じたことはありませんし、昨日のは逆ナンとは違いますよ」
「おまえから声かけたわけ?」
「双方合意の上でした」
「言い方が怪しすぎ」
軽口を叩き合って、力の抜けた笑い方をする。
登校中のこの時間はいい。でも、学校に到着すれば、息もつけないような競争社会。ぼくと瑠偉はつねに上位にいて、下位から徹底的な敵意を向けられている。
角を曲がって、コンビニが目に入った途端。
瑠偉がビクッと肩を震わせて足を止めた。見張った目は、コンビニのほうへ向けられている。ぼくもつられてそっちを見て、ギョッとした。
コンビニのガラス壁に背中を預けて座り込んだ女の子が三人。
近所の公立高校の制服を、かなり派手に着崩している。緋炎関連の不良少女か。でも、様子がおかしい。
「酔ってんのか? それとも、クスリ?」
「両方、違うと思いますよ」
「だよな。目を開けた状態で寝てるみたいな、あれだな。ついに人間まで現れたか」
四月に入って、この界隈に異変が起きていた。異常な様子の動物が道端に座り込んでいる。人間的な表現をするなら、放心状態。まぶたは開いているけれど、目の前で手を振っても眼球が動かない。脈拍や呼吸の状態は、まるで冬眠中みたいだった。
近所の住人が警察と保健所に届けを出したらしい。その件について学校にも通達が来たのは、犯人探しが始まったからだ。
警察は何かの薬物だと疑っているようだった。高校生が関与した犯罪ではないか、とも疑っている。
「でも、化学物質ではないですよ、やっぱり」
「放心状態の動物を調べたときと同じか?」
「ええ。その気になって目を凝らせば、呼気に含まれるアルコール濃度だって、ぼくのチカラで観測して算出できるんです。そういう化学的な異常は、問題となっている放心状態の対象からまったく感じられない」
眉間にしわを寄せた瑠偉が、声を潜めた。
「サイエンスじゃ解決できないとなると、きついな。おまえがじっくり見ても、おれがプログラム走らせても、解析不能。でも、現象は確かに目の前に存在する。この現象についての情報をどう処理していいものやら」
科学的に解明されていない現象は、身近にたくさん存在する。
例えば、「コップに入った水の表面で、水分子は上を向いているのか、下を向いているのか?」というテーマ。分子レベルになると、モノそのものは、ぼくの目にも見えない。
ぼくも瑠偉も凝り性で、総統からは「謎があれば解けるまで考え続ける研究者気質は見事なものだ」と、呆れ半分に誉められる。でも、その実、ぼくたちは謎を放置することにも、ある程度は慣れている。そうじゃなきゃ気が狂う。
ただ、放置しづらい謎もある。
放置できるかできないかの基準は、たぶん、サイエンスという枠組みを超えている。倫理的な、あるいは生理的な、もしくは感性的な基準があるように思う。