「女はねえ、割とあるパターンとしちゃあ、優しい人とイケメンの人、とか。真面目な人と面白い人、とか。違うタイプの二人に口説かれとるんじゃけど、どっちがいいと思う? ってよう聞かれる」
「はあ」

 なんと贅沢な悩みか。
 そしてあやかママはこちらに振り向いた。大きなピアスがゆらりと揺れる。

「ウチはね、そういうときは、なんて言うか決めとるんじゃ」
「なんて言うんです?」
「どっちと寝たいん? って」

 俺はその言葉に、なにも言えなくなって固まってしまう。
 女性の口からそんな言葉が飛び出すとは思ってもみなかった。

「寝たい男が好きな男よ。単純明快」

 いったいなにを悩んでいるんだ、とでも言いたげな顔をして、あやかママはまたビールをぐびりと飲んだ。
 しかし、それを女性に対して言うのか。なんと明け透けな。言われたほうも驚くのではないか。

 けれど確かに、わかりやすい。

「それは、女性の相談の場合なんですよね」
「うん」

 俺の質問に、あやかママはこくんと首を前に倒した。

「じゃあ、男性の相談の場合は決めているんですか」
「決めとるよ」
「なんて」
「他の男に抱かれて欲しくないのはどっち? って」

 なるほど。
 そうきたか。

「どっちも、って言う人、多いけどね!」

 そう言ってケラケラと笑う。

「どっちかっていうと、って突っ込んで話したら、大抵は、心が決まるみたいじゃわ」

 そして組んだ足の上に肘をついて、こちらを覗き込むようにして見てきた。思わず、身体を少し引いてしまう。
 いろいろと、見透かされているような気がする。
 俺よりも、俺のことを知っているみたいな。
 さっき会ったばかりなのに。

「低俗じゃあなんじゃあ言うても、身体の相性はやっぱり大事じゃけえね。触って欲しくもない人と付き合えるわけないじゃろ」
「……それは、まあ」
「健太くんの場合、寝たい女が好きな女で。他の男と寝たのが気に入らない。そういうことなんじゃないんかねえ?」

 そう言って、口の端を上げる。

「恋心とかそんなん、わかりづらいわ。深く考えたら余計にわからんようになるわ。好きな女とは寝てみたい、それでええじゃろ」

 あやかママは軽く肩をすくめた。
 まあ、一理ある。

「確かに、単純明快ですね」
「あんまり考えんちゃんな。面倒くさい」
「俺の恋心、面倒ですか」
「やっぱり恋の悩みじゃわ」

 あはは、と笑ってあやかママは言う。

「恋愛の始まりなんか、いろいろあるに決まっとるわ。綺麗な始まりじゃないといけん、なんて法律はないわ。好きになったら、きっかけなんて、どうでもええことよ」

 軽い口調で、あやかママはそう続ける。

 そうか。そこまで考え込むことでもないか。なんにしろ、まだ始まってもいない。スタート地点に立ち止まってもいない段階で、ぐちゃぐちゃと考えても仕方ない。
 まずは、歩き出すか。
 そう思った。

 隣にいる、そういう気持ちにしてくれた恋愛マスターにふと、訊いてみる。

「あやかママは、恋人は?」
「今はおらんよー」
「ああ、面倒そうですもんね」

 そう言うとあやかママはこちらをちらりと見て、唇を尖らせる。
 それから、右腕を振り上げて俺の頭にチョップをくらわせた。

「痛っ」
ぶち(すごく)はがええ(ムカつく)

 死ね、ではなかったが、どうも俺は女性から、頭上にチョップをくらうようにできているらしい。
 あやかママはそっぽを向いて、そしてまたビールを口に運んだ。
 俺はそれを見て、小さく笑って手を振る。どうやら誤解されたみたいだ。

「違う違う。あやかママのほうが、誰かと付き合うのを面倒くさがりそう、という意味ですよ」

 するとあやかママは納得したのかどうなのか、軽く肩をすくめて言った。

「ほいならええわ。確かにウチは面倒くさがりよ」
「そんな感じします」

 二本目のビールも終盤に差し掛かったらしいあやかママは、ビール缶の底を空に向け始めている。

「まあとにかく、ありがとうございます。すっきりはしました」
「そりゃあ良かったわ」

 そう言って、あやかママはにっこりと微笑む。
 しかし、彼女はどうしてこんなところにいるのだろうか。

「あの、これって、営業、なんですか?」
「営業?」

 俺の質問に、あやかママはこちらを向いて首を傾げる。

「呼び込みってヤツ」
「違う違う」

 そう言ってひらひらと手を振る。

「でも、ご自分のお店、あるんじゃないですか」
「あるよー。あそこ」

 ママは公園の目の前の雑居ビルを指さした。

「あのビルの三階の一番奥にあるんよ。『エスケープ』っていうお店じゃけえ、行ったらわかるわ。高うないけえ、安心しんちゃい」
「やっぱり営業じゃないですか」
「別に、行きとうないんじゃったら行かんでもええよ」

 少し不貞腐れたようにママは唇を尖らせた。
 俺は苦笑しつつ返す。

「まあ、そのうち」
「その部下って子でも誘って」
「来ますかね」
「さあ? そんなの、誘ってみんとわからんわ」
「確かに」

 俺は自分の手の中にあるビール缶を眺める。
 ひとまず、誘ってみよう。振られればまた、行く方向も決まるだろう。
 まずは、一歩を踏み出してみよう。面倒な、俺の恋に。

 俺は残ったビールをグイっと飲んだ。すべてを飲んで、あやかママのほうに振り返ると。
 もうそこには、誰もいなかった。

「……え?」

 俺は慌てて立ち上がる。辺りを見渡しても、あやかママはどこにもいなくて。
 もうずいぶんと寂しくはなっていたが、千鳥足のサラリーマンや、家路に向かうためにタクシー乗り場に急ぐ人がちらほらと見えた。
 そして第二新天地公園にある時計を見上げると、針は夜中の三時を指している。

「え……?」

 俺はすとんとベンチに腰掛ける。
 空になったビール缶二本と、まだ飲まれていない一本のビールが、レジ袋に入っていた。