夜の蝶。
 そういえば、ホステスさんのことを、そんな風に呼ぶのだっけ。

「どうして夜の蝶って言うんでしょうね。確かに蝶っぽいけど」

 服も、なんだかひらひらした素材を着ている人が多い気もするし。派手な色合いの人が多いし。
 夜の蝶、というのはけっこう的確な例えではある気がする。

「昔の映画のタイトルみたいですよ。ホステスを描いた」

 私の前にいたかえでママが穏やかに微笑みながら言った。

「へえ。……あ、かえでママも、なにか」

 なんだか彼女が手持ち無沙汰なように思えて、手のひらで、かえでママの前のカウンター上を指す。
 かえでママは頬に手を当て、少し首を傾げた。

「あら、ええですか? 女の人に奢ってもらうんは申し訳ないような」
「ええです、どうぞ」
「じゃあ、おビールいただきます」

 そう言って、かえでママも冷蔵庫があるのであろうところに歩いていく。
 ビールに「お」を付けるのが、なんだか変な感じだけれど、彼女たちの中では常識なのだろう。

 小さめの瓶ビールの栓を開けて、空のグラスを持ってかえでママは私の前に来ると、とん、と瓶ビールを私の前に置いた。

「注いでいただいても?」
「あ、はい」

 斜めに傾けてこちらに差し出されたグラスに、ぎこちなく両手で持った瓶からビールを注ぐ。
 あと少し、というところでかえでママはグラスをそっと上に動かし、瓶ビールの口を立てさせた。もういいですよ、の合図なのだろう。

「ではいただきます」

 私のグラスに自分のグラスを近付けてくるので、慌ててビール瓶を置いて自分のグラスを持って、ちん、と乾杯する。

 こういったスタンドに来るのは初めてではないけれど、男の人たちはこういうのを流れるようにやっていたなあ、だなんてことを思う。
 私は、不慣れなのが丸出しだ。

 かえでママは、左手でグラスの底を支えるように持ち、上品な仕草でビールを一口飲んだ。

「ああ、美味しい」

 そう言って微笑む。

 缶ビールに直接口を付けてグビグビと飲み、「沁みるわー」と言っていたあのホステスさんとは、すごい違いだな、と思いながら、私はそれを眺めていた。

 結局、かえでママがこの店のママだというのなら、あやかママは違うお店のママなのだろう。
 もしかしたら店名を聞き間違えたとか、階数を間違えて覚えたとか、そんなことかもしれない。一回しか聞いていないから、確信が持てない。

 第二新天地公園でウロウロしているのなら、またそのうち会えるかもしれないし、必死になって探すこともないかな、と心の中で勝手に納得する。

 はっきりさせたいような気もするけれど、「あやかママって知ってますか?」と、目の前のかえでママに訊くのはためらわれた。
 訊くといっても、かえでママにどう説明していいかもわからなかったし、下手すると変な人だと思われてしまうかもしれない。

 それに。
 もしかしたら、あやかママという人は、本当に妖精かなにかだったのかもしれない、という気持ちもちょっと残っているのだ。

 あやかママは四階のお店の人ですよ、とか言われたら、なんだか興ざめの気がする。
 それなら、このまま謎の人でもいいかな、という気持ちもあるのだ。

 そんなことを考えているうち、ドアベルの音が響いて次にお客さんが入ってきたので、私はいい頃合いだと立ち上がった。
 お会計は、三千六百円という、安心のお値段だった。

「よかったらまたいらしてくださいね」

 お店の外までお見送りにきてくれたかえでママがそう言った。なので私はこう返す。

「次はボトルを入れますね」
「あら、嬉しい」

 そう言ってにっこりと両の口の端を上げるかえでママは、ケラケラと笑うあやかママとは、やっぱり別人だなと思った。