「本当は、泣いちゃいけなかったんだ。だから俺は、泣かないでいようと思った。父さんと母さんの前では、泣かないようにした。俺なんかが泣かなくても、代わりにたくさん、父さんと母さんが、泣いていたんだ」

きっと涼介には、思い出せないんだ。

そこで何が起こったのか。

涼介は世界を恨み、この世を憎んだ。

死んだ人間と、それに泣く人間と、自分を省みず、無視する輩とを。

そして呪った。

この世の全てを。

そんな自分をも含めた、この世界の全てを。

「だけどね、泣いてよかったんだよ。一緒になって悲しむことが、正解だったんだ。だけどその時の俺には、それが出来なかった。なんでか分からないけど」

今の涼介からは、想像が出来ない。

並んで腰を下ろすベンチに、そよ風が吹き抜ける。

日は随分と西に傾いていた。

誰かの笑い声と、子供の泣き声とがいり混じる。

人間の騒ぐ生なる音が、ゆるやかに耳の奥で響く。

「なぁ、やっぱり、俺たちは友達にならないか」

俺はストレートに、もう一度頼んでみようと思った。

「えぇ? どういうこと?」

涼介は笑う。

『友達』という言葉の意味が、俺にはまだ、よく分からなかった。

魔界の本には、人間と友達になればよいと書いてあった。

俺は契約書を取り出す。

そうすれば、簡単にサインすると。

「悪魔的には、これにサインしないと、友達になれないの?」

「分からない。だけど、そんな気がする」

きっと涼介は、悪魔になる。

そうなるはずだったのに、ならなかった、なれなかったんだ。

地獄に堕ち、修羅の道を歩むはずだった人間は、何かを犠牲にして、今を過ごしている。

たった一人で、孤独に暮らす涼介は、どうして悪魔にならなかったんだろう。

その魂を、売り渡してしまわなかったんだろう。

天使の祝福だなんて、そんな人間の前では、無意味な行為だ。

涼介は、悪魔のペンを手に取った。

「俺には、よく分からないな。だけど、獅子丸がそう言うなら……」

契約書を手にした涼介は、そこにペン先を近づける。

その時、急に足元の地面が盛り上がり、地の底が抜けた。