「でも、そんな、みなさんの正義感を利用するみたいな」
「正義感とか」
 阿形さんが、ははっと声を出して笑った。皮肉な笑いではあったけれど、この人の笑顔らしきものを、はじめて見る。
「恥ずかしいこと言うね。そんなおきれいな気持ちで動いてないから」
「じゃあどんな気持ちで動いてるんです?」
 うーんと首をひねって、彼は「あんたに関係ないよ」とそっけなく言った。
 駅が見えてきた。地下道への入り口が、明るくライトアップされて口を開けている。不夜城の街は、この時間帯でも昼間と変わらず人がいる。
 阿形さんが足を止めた。雨粒をぽろぽろ落としはじめた空を見上げ、フードに手をかける。それから私を見据えた。
「とにかく、今回の件はあんたが思うよりデリケートだ。副本部長のパワハラが本当だったところで、安易に糾弾するわけにいかない。結果、だれかのパワーゲームに加担してしまうかもしれないんだってこと」
「はい」
「忘れないで。じゃあね」
 このまま一緒に駅に入るのかと思っていたのに、彼は言い終えるなりさっとフードをかぶると、雑踏の中に紛れてしまった。
 何度目の当たりにしても、彼らの溶けこみ術には呆然とさせられる。白いパーカーなら見つけ出せるだろうと、しばらく周囲に目をこらしていたものの、ダメだった。
 雨も強まってきたし、帰ろう。
 地下道に足を向けたときだった。背後で同じように足を踏み出した気配がして、ぎくっとした。
 気にしすぎかなと気を取り直し、階段を下りる。足音がついてくる。なるべく足音を消そうとしているわざとらしさが、かえって怪しい。
 こういうのは案外、思い過ごしじゃないものだと私は常々思っている。
 阿形さんじゃない。気配が違う。
 どうしよう、この先もついてこられたら、乗る路線も知らせることになる。カムフラージュに違う電車に乗る? それで解決する問題なのか?
 知らず知らず、バッグから携帯を取り出していた。ドキドキと不快に鳴る胸に、ぎゅっと押しあてて、歩く速度を速める。
『蔵寄がダメなら、俺に連絡を』
 もしかして柊木さんは、このことを予想していたんだろうか。
 JRの改札が見えてきた。私は私鉄だから、この先だ。どうする、JRの改札に入る? 中は帰宅する人でごった返している。まくことができるかもしれない。