副本部長は、とくに種原さんの名前を出すのにうしろ暗い様子はない。コンプライアンス的にあり得ないことを頼んでいる自覚は、さほどないのかもしれない。
 蔵寄さんがちらっと振り返り、私をしっしっと追い払うしぐさをした。その気づかいを無駄にしないためにも、私は横手の路地にそっと姿を消した。
 歓楽街からははずれているものの、雑居ビルに挟まれた路地には色あせたネオンの看板が並んでおり、なにを目的にそうしているのかわからない男性がぽつぽつと、ひまそうに煙草をふかしながら立っている。
 朝から曇天だったけれど、飲んでいる間にひと降りあったのかもしれない。空気は湿っていて、アスファルトの路面はじっとりと水気を含んでいるように見えた。
 駅の方角へ歩いていると、人が追いついてきた。
「もうちょっと道を選んだら? あんたになにかあったら、柊木さんに合わせる顔がないんだけど」
 阿形さんだ。パーカーのポケットに両手を入れ、スニーカーで歩いている。この街に山ほどいる、学生かフリーターみたいだ。
 第二総務部の人たちは、総じて足音がしないのはなぜなんだろう。
「お相手の方は?」
「帰したよ。二軒めもさぐりたかったけど、さすがに無理だな、怪しまれる。岳人さんが行ってくれてよかった」
「収穫、ありました? 私はなんとも手ごたえがなくて……」
「セクハラもほとんどされなかったしね」
 彼がじろっと私を上から下まで見る。
「すみませんね、魅力不足で!」
「なに怒ってんの? よかったって意味だよ」
 心外そうに言う顔は、戸惑っているようでもあって、おそらく本心だ。私は拍子抜けして、「すみません」と勘繰ったことを恥じた。
「〝材料〟を手に入れるのが私の仕事だったのに」
 露骨なセクハラのひとつもされていれば、柊木さんへのお土産もできたというものだ。肩を落とす私を、阿形さんがじっと見つめる。
「それは、あんたに囮(おとり)になってほしいってことじゃないから」
「でも……」
「俺たちをなんだと思ってんの? 勝手に身体張ったりしたら、調査員もやめてもらうよ。柊木さんからも、無茶するなって言われてない?」
 そうか……と私は喫煙室での会話を思い出した。単純に、副本部長のセクハラに気をつけろ、くらいの意味だと思っていたんだけれど。私が突っ走る可能性も、彼は見越して懸念していたのかもしれない。