「はーっ、よかった。すみません」
 飛びこんできた宮野さんが、八階のボタンを押し、ふうっと息をつく。
「宮野さん……、今の人、どこに行きました? 来客でした?」
「今の人?」
「すれ違ってたじゃないですか、背の高い男の人!」
 くるんとしたまつ毛に縁どられた瞳をぱちぱちさせ、「そんな人いた?」と宮野さんが首をかしげる。私は〝閉〟ボタンを押してからエレベーターから飛び出し、受付を通りすぎて待合スペースへ駆けこんだ。
 いつもどおり、何人かの来客が座っているだけで、変わったところはない。私はその奥に続く商談ブースに足を踏み入れた。
 ここは会議室を使うほどでもない軽い打ちあわせや、飛びこみの営業を受けたりするのに使う場所だ。密閉されていないから機密の話はできない。
 私の身長くらいのパーテーションで区切られたブースが並んでいる。パーテーションの切れ目からさりげなく中をのぞきながら通路を歩いた。
 一番奥の、ひとつ手前のブースに彼はいた。
 佐行さんだ。
 四人掛けのテーブルの奥の席に座っていた彼は、私がのぞきこむと同時にこちらに気づき、私が声を発する前に、人差し指を立てて手招きした。
 音をさせないよう彼の正面に座り、小声で尋ねる。
「どうしたんですか」
「しーっ」
 佐行さんは隣のブースに目をやり、人差し指を口にあてたままじっとしている。隣から声が聞こえてきた。
「そうなんですよー、上司もブルっちゃって。自分から言い出したくせにね。だから今後はナシで。以前の形に戻してください」
「そうですか、承知しました。残念ですが、しかたないですね」
 隣のブースにいるのは男性ふたりだ。さっきブースに入る直前、ちらっと確認した。一方がうちの社員で、もう一方は鞄を足元に置いた、社外の人だった。
 まさかと思い、佐行さんのほうを見た。彼はちらっと私と目を合わせ、すぐに視線を隣に戻す。
「うちの栄養士と仕入れ担当は喜ぶかな。だいぶ苦労してたみたいなんで」
「もうちょっとうまくやってほしかったなあ。しかし、毎日あんな貧乏くさいところで食べてる福利厚生乞食たちも、けっこう気づくものなんですね」